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千鳥足こと博多のおいしゃんの独り言

昔の事「山の季節」

そろそろ梅雨入り。子供の頃は山がいつから始まるかも知らんでいつの間にか山が始まりよりました。梅雨は雨雨で学校から帰っても遊びぃ行くとこが無ぅて家の仕事場で荷造りしよう親父の横で遊びよりました。
その頃妙楽寺新町から浜の電車道の向こうの築港は子供心には物凄ぅ遠い所と感じておりました。
あの頃は漁師の息子やら海産物屋の同級生が多く遊びぃ行っても家には子供しかおらん。
遊びぃ夢中になってあたりが薄暗ろぅなって家に帰るとはある種「旅」でした。
半分暗ろぅなって帰り道の心細かったこと。ある日帰り着いたら間違ごうて人の長靴ば履いて帰って来とう。やっと帰り着いたとぃお袋から「替えて来んしゃい!」といわれて情けなかったとば覚えとります。暗ろうなった雨降りにまたトボトボと・・・
近かったばってん大博通りの向こうには絶対行かんかった。あっちは恐い所(見知らぬ所)と思いよったとは流も違うし校区が違うとったけんやろう。

話は仕事場の親父に戻るばってん
「今日お汐井取りやバッテン出るとや?」「山笠て今日からね?」てな具合にしか思いよらんかった頃。今も、やバッテンお汐井取りは走るだけで好かんかった。「今日は出らん」て答えよったバッテン夕方になったら「こら来んか~締込ばするぞ~」の声。その頃はまだ子供は赤ベコ。
「山はお汐井取りから出らないかんと」と言われ仕方なく出よったデスねぇ。
動き出しても何が楽しかったっちゃろう?友達が他流れで櫛田さんの露天でスルメば買いようとが羨ましゅうて「13日はお金ば締込に入れていく」て駄々こねて「何しに山ぃ出ようとか?」とおごられよりました。バッテン子供はそれが楽しみで前走りしても前山に引っ付いてえずいばっかりで・・・
バッテンなんでか水かぶるだけでも楽しゅうて毎年出続けて今に至る。
なんでこげな朝から寒いとい早起きして誰も見よらんとこできつい思いせないかんっちゃろうかと思うときがちょこっとあります。
今の子供たちもそげんやって山のぼせになっていくとでしょう。
やっと後押しの棒鼻に触れたら今度は見送りば担うとが夢。そしたら今度は前ば担うとが夢。
前さばきの取締りのおいシャンに邪魔と言われながら三番棒に入り込む。
波多江のおいシャンが前さばきの時は「まだまだ」て山ば止めて「肩合わせたや?」て言うて
ヤ~て山ば出してくれよった。懐かしい時代です。

今は自分がオイシャンになって遅れんごと山についていくとば心がけとります。
さぁ運動、運動

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