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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

今月の介護 9年半を経て

2017-08-24 10:02:14 | ケアラーのために

最近、親の介護について書いていませんね。

2008年4月に京都から単身で実家に戻り、両親の支援を始めました。

9年を過ぎました。

9年の歳月はとても長く、前後関係がおぼろになっている期間のあります。

年表でもつくって整理したいと思います。

2008年ごろは母親が複数回入退院を繰り返していました。

介護離職をして実家に戻った私は、岡山で仕事を見つけて、両親を見守りました。

2年半を地域包括支援センターで働いたのですが介護との両立が困難になり2011年3月に2度目の介護離職をしました。

退職間際に東日本大震災が起こり、自宅近くにある医療支援NPOアムダ本部でボランティア活動をしました。

父親の認知症が進み、夜もなかなか寝られない状況になりました。

両親の主治医に、「このまま3人の生活を続ければ3人とも倒れてしまう」と忠告されました。

父親のショートステイ中心の生活に切り替えてもらいました。

それでも帰宅時の介護の大変さは変わりませんでした。

ショートステイの期間を長くしていきました。

母親も同施設のケアハウスを利用することになりました。

毎日、父親に会うことができます。

ところが、母親はケアハウスでの人間関係がうまくいきません。毎日泣いているような具合です。

私は新しい仕事をしながら、退社後に施設に通いました。

父親は認知症が進行し、同施設にある特養に入所しました。

そして、看取り介護を経て2年半前に亡くなりました。

母親はその後もケアハウスに入所していたのでが精神的に不調なことが重なり他の入所者の方を責めてしまいました。

日ごろはおとなしい母親ですが、被害を受けたと誤解することがありました。

責められた入所者の方はずいぶんと激怒し、息子の私が謝罪するということで矛を納めてもらいました。

認知症の症状と重なったように思います。

緊急避難的にショートステイに移りました。ケアハウスは退所せざるをえなくなりました。

今までの介護生活の中で精神的に最も厳しい局面のひとつでした。

母親は就寝中にいわゆる「寝とぼける」状態に陥り、自宅でもベッドから転倒し内臓出血し、命の危険にさらされたことがありました。

自覚症状がないのでなんとも防ぎようがありません。

施設でもたびたびそのようなことがありました。

そして、ついに股関節骨折へとつながってしまいました。

本人は手術を望みませんでした。

安静期間を経て骨はつながりましたが、車いす生活になってしまいました。

10か月前の話です。

要介護4と認定されました。

その後、特養に入所へとつながりました。

ただ、生活の場所が変わるということは本人にとってはとても不安なことです。

順応することに時間がかかります。

岡山にいるときは2日に一度は訪問しています。訪問すると落ち着くようです。

 

私の生活もすこしずつ変わっています。

仕事も在宅業務を中心にしてもらっています。

京都の自宅に帰る日数も少しずつ増やしています。

ただ、長い歳月の間に友人関係も岡山中心となっています。

さて、どのような生活を組み立てるか。

模索状態です。


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