
認知症の症状については、基礎レベルでは勉強してきたつもりだが、父親の症状をみていると、
本当に表面的なことしか知らなかったと思う。
多くの時間ともに生活していてもわからないことが多いのが認知症です。
私以上に長い時間、父親に接している母親は、未だによく理解できていない。
なかなか受け入れることができないということもあるでしょう。
父親が認知症を発症したのは、3年前に脳梗塞を発症した時期からだと思っている。
あいまいな書き方ですが当時、私は京都で働いており、細かく症状を把握できていない。
母親から電話で「最近性格が変わったようだ」といわれ帰ってみると、
確かに父親は柔和な顔になっていた。
なにか、こだわりがなくなった顔だった。
そして、話すことも少しおかしいとも感じた。
この頃から私は、岡山に帰らなくてはならないな、と考えはじめた。
そして、2008年3月で京都の地域包括を退職し、4月に岡山に帰ってきた。
帰る当日、京都から電話をかけると、珍しく父親が電話口に出てきた。
母親を呼んでほしいと頼むと、「わからん」という。
不安な気持が心に渦巻き、新幹線で急いで帰ると、家には父親しかいない。
台所は散らかったままだった。
もちろん、父親に聞いても「わからん」。
可能性の高い行き先は、家の隣にある病院だ。
訪ねてみると病室に母親がいた。
病院のスタッフに入院の経緯を聞くと、父親が母親を病院に連れてきたという。
母親も脳梗塞だった。
そしてベッドから、どうしてここにいるかわからないという。
なにも覚えていないという。
この時は、本当に大変なことになったと思った。
認知症2人をみることはできない。
幸運にも、しばらくすると母親の記憶は回復し、後遺症は発語に残る程度となった。
無事、退院することができた。
やれやれである。
しかしなぜ両親とも脳梗塞を発症したのか。
これは食事が原因ではないだろうかと考えた。
高齢の二人暮らしになると、味覚の変化に気がつかないようだ。
母親は仙台育ちということもあって料理の味が濃い。
それが原因なのか子どもたちも血圧が高い。
私は料理本を買って調理に精を出した。
野菜中心で薄味に徹した。
食堂のテーブルから、珍味や濃い味の佃煮を一掃した。
以来、両親は一度も脳梗塞を再発していない。
私が唯一、自慢できること。
後は反省ばかり。
つづく。