山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

紅葉の高雄・三尾めぐり 4

2016年12月18日 | 寺院・旧跡を訪ねて

2016年11月16日(水)、神護寺(高尾、たかお)→西明寺(槙尾、まきのお)→高山寺(栂尾、とがのお)の「三尾」紅葉めぐり

 槙尾山・西明寺へ向かう  



神護寺参道の長い階段を降り、高雄橋に戻る。高雄橋を渡り、清滝川に沿って上流に歩き、西明寺を目指します。高雄はどこを見ても紅葉だらけですが、この周辺は清滝川の清流と谷間、紅い橋があり、ひときわ絵になる場所です。

清滝川に添って散策路が続いている。車はほとんど見かけない。高雄橋から西明寺の入口にあたる指月橋(しげつきょう)まで15分位でしょうか。清流とカエデの紅葉を堪能しているうちに着いてしまいます。

高雄はどれも紅い橋だが、途中に場違いな橋が現れる。これが潅頂橋(かんじょうばし)で、西明寺への近道で「裏参道」と呼ばれている。少し歩いてみたが、参道の雰囲気が感じられないので引き返す。

紅葉に見とれて歩いているうちに、赤い欄干の橋が見えてきた。西明寺の入口にあたる「指月橋」(しげつきょう)です。この指月橋周辺は、高雄でも1,2を争う紅葉の景勝地。橋上で、東南アジア系のカップルが派手な結婚衣装で抱き合い、カメラ(ビデオ)におさまっていました。

 西明寺:指月橋から表門へ  



鮮やかに色づいたカエデに迎えらて、指月橋を渡る。入山拝観券に「見下げても 見上げてもよし 槙尾山」と書かれていますが、この指月橋周辺も「見下げても 見上げても」絵になる絶景地。橋の手前には「槙尾山聖天堂」の石柱が建つ。

指月橋を渡ると拝観受付があり、拝観料500円支払う。但し、紅葉の時期以外は境内拝観自由で、本堂拝観のみ400円だそうです。拝観時間:9時~17時、無休。
西明寺も山岳寺院なので参道の石階段を登って行くことになる。神護寺ほど距離はありません。この階段が苦になる人は、緩やかなスロープだけの裏参道を利用されると良い。階段を登りきると表門です。表門は、本堂と同じ元禄13年(1700)の桂昌院の寄進により造営されたもの。

 槇尾山・西明寺(まきのおさん・さいみょうじ)  


表門を潜ると、すぐ正面が本堂です。現在の本堂は、元禄13年(1700)に五代将軍 徳川綱吉の生母 母桂昌院(けいしょういん)の寄進により再建されたものと言われるが、東福門院(後水尾天皇中宮)の寄進によるとする説もある。

本堂正面の須弥壇上の図厨子内には、本尊の木造釈迦如来立像(重要文化財)が安置されている。高さ51cmほどの小さな仏像で、鎌倉時代に仏師運慶によって彫られたものという。



本堂脇の縁越しに庭園が見える。小さい庭だが、緑の植栽や苔と、それに覆いかぶさる紅葉が美しい。









本堂の前に槙(まき、高野槙)の大木が立っています。傍の案内板には、樹齢700年で「日本最古の槙の木の一本」とある。この木が「槇尾(まきのお)」の名前の由来となったそうです。

西明寺は真言宗大覚寺派の寺院。山号は「槇尾山(まきのおさん)」、本尊は釈迦如来。受付所で頂いたパンフに、西明寺の由来について
「天長年間(824~34)に弘法大師の高弟智泉大徳が神護寺の別院として創建したのに始まると伝える。その後荒廃したが、建治年間(1275~78)に和泉国槇尾山寺の我宝自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守等が建てられた。また正応三年(1290)に平等心王院の号を後宇多法皇より命名賜り、神護寺より独立した。さらに、永禄年間(1558~70)に兵火にあって焼亡したが、慶長七年(1602)に明忍律師により再興された。現在の本堂は、元禄一三年(1700)に桂昌院の寄進により再建されたものである」
と記されている。


西明寺の境内は広くはありませんが、どこを眺めても紅葉一色。紅葉シーズンだけ、境内有料となるのもわかります。

 高山寺へ向かいます  


ちょうど正午、指月橋を後にし高山寺に向かいます。静かな道を歩き進むと、5分位で周山街道(国道162号線)に突き当たる。ここからは車の往来の激しい周山街道を歩かなければならない。これといった景色もなく、車に神経使わされるだけ。

高山寺までの中ほどに紅い欄干の白雲橋がある。国道といえ、場所柄紅い橋になっている。この周辺だけが紅葉を楽しめます。しかし車は多いですが。


詳しくはホームページ


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