山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

奈良・室生寺の秋と春 3

2016年10月08日 | 寺院・旧跡を訪ねて

 国宝・灌頂堂(かんじょうどう、本堂、鎌倉時代)


金堂左手からさらに石段を登ると、やや広い平地となり、池と正面に灌頂堂(かんじょうどう、本堂)が佇む。この周辺も、秋は紅葉に染まり、春には石楠花の花が彩りをそえてくれます。

灌頂堂は五間四方の堂で、単層の入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの屋根。鎌倉時代後期、延慶元年(1308)の建立。金堂と区別するため「本堂」と呼ばれているが、真言密教で最も大切な法儀である灌頂を行う堂です。灌頂とは頭頂に智水を灌(そそ)ぐ儀式のことで、これを受けることで仏の弟子となり真言の法を授かることができるという。暗闇な中で灌頂を行うため、周囲は板壁で囲われ、正面二間しか開けられない。それも蔀戸(しとみど)をおろす構造になっている。

内陣中央の厨子には如意輪観音像(平安時代中期()が安置され、その手前左右の板壁には両界曼荼羅(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅)が掲げられている。曼荼羅の前には、灌頂の儀式を行うための大檀が設けられている。
如意輪観音像は桧の一木造りで像高78.7cm。観心寺(大阪)、甲山神呪寺(かぶとやまかんのうじ、兵庫県西宮)とともに日本三大如意輪観音といわれている。
春の灌頂堂(2016/4/26、火)

 国宝・五重塔  


灌頂堂(本堂)左横に少し長い石段があり、その上に五重塔が建っている。金堂とともに室生寺を代表する建物です。
平安初期の800年頃の創建とされる(室生寺公式サイトには「奈良時代後期」とある)。わが国の屋外にある木造五重塔としては、法隆寺五重塔に次いで古い。

石楠花と五重塔(春:2016/4/26日) 
奈良の興福寺五重塔を見慣れた者として、鮮やかすぎ、そして小さい。高さ16.1mで、日本国内に現存する屋外の木造五重塔としては最も小さいという。興福寺の3分の1ほどだそうです。日本で一番高い五重塔は、京都の東寺で高さ55mあります。
この小ささが周囲の景観にマッチし、石段とも釣り合っている。あのデッカク黒い興福寺五重塔のようだったら、室生寺のイメージをぶち壊してしまいます。

通常の五重塔に比べ屋根が非常に目立つ。ヒノキの皮を何層にも重ねた檜皮葺の屋根は、厚みがあり塔芯に比べ大きく張り出している。そしてこの五重塔の特徴として、一重目から五重目への屋根の大きさがあまり変わらないことがあげられている。普通は上部にゆくほど小さくなっていくのだが、室生寺の五重塔はそれほど小さくなっていない。

朱塗りの柱・屋根と白壁が鮮やかだ。この鮮やかさは平成12年(2000)の大修理によるもの。というのも平成10年(1998)9月22日の台風7号の直撃により五重塔は半倒壊する。傍の大杉が強風で倒れかかり、五層と四層の屋根は崩壊、塔の上の九輪は大破した。しかし、心柱を含め塔の根幹部は大丈夫だった。翌年(平成13年、1999)から2年かけて復旧工事が行われ、五層と四層は全て解体修理し、それ以外は破損部分だけの修理ですんだ。かろうじて国宝指定を外されることを免れたようです。 
 

 奥の院  


三十二石仏(2016/4/26日 撮)
五重塔の左横に三十二石仏が並んでいます。その石仏達に見送られながら、奥へ続く道に入っていく。これが奥の院への道で、鬱蒼とした杉木立に囲まれ薄暗い山道は、いかにも奥の院へ入っていくのだという気分にさせてくれます。

五重塔から奥の院へ行く途中の右手の山の斜面一帯は、国指定の天然記念物「室生山暖地性シダ群落」地帯となっている。イヨクジャク,イワヤシダ,ハカタシダ,オオバハチジョウシダなどの暖地性シダの群生が見られるという。中に入ってはいけません。といっても「マムシでるゾ」の注意書きもあったが・・・。

長い石段と、紅い無明橋が現れる。橋の下は無明谷と呼ばれ、降雨時は川となって室生川に注ぐ。石の階段は連続しており390段あるそうです。傾斜もかなりキツく、年配者には苦になりそうだ。ただ距離はそれ程でもないので、休み休み登れば誰でも登れると思う。

高野山の「奥の院」への道も、非常に印象的だったが、ここの奥の院への道も刺激的です。やはり”奥”と名の付く限り、それなりの舞台装置が必要なようです。

そびえ立つ杉の大木の間を登りきると、建物を支えるため井桁に組まれた木組が見えてくる。懸造り(舞台造り)の「位牌堂(常燈堂)」です。その名の通り、たくさんの位牌を安置した堂で、仏像があるわけではない。
位牌堂の背後と両横は廻廊となっており、グルリと一周できる。
登りきると狭い平地に位牌堂、御影堂、社務所がある。写真の御影堂(みえどう、国重要文化財)は、宗祖の弘法大師空海をお祀りしているお堂で、内陣には弘法大師四十二歳像という木像が安置されている。毎月21日に開扉されお像を拝観することができるそうです。

鎌倉時代後期に建立され、屋根に特色がある。瓦棒付の厚い流板による二段葺きで、頂上に石造りの露盤を置く。これを「宝形造り(ほうぎょうつくり)」と呼ぶそうです。
お堂四方に縁が設けられているが、写真のように板が覆いかぶさっている。これは屋根の出が小さいため、縁に雨が掛かるのを防ぐため斜め板で覆っているという。

高所にある奥の院ですが、見晴らしとか眺望はきかない。位牌堂の背後と両横に設けられている廻廊は、方向的には室生の里が一望できるはずですが、樹木にはばまれ、木立の隙間からかすかに覗き見えるだけです。
西側の廻廊には休憩用の木製のベンチがおかれています。眼前に広がる紅葉の景色を眺めながら、390段の石段を登ってきた疲れを癒すのにちょうど良い。

 室生龍穴神社  


14時15分、室生寺を出て龍穴神社へ向かいます。門前町の一角に案内板が掲示されていた。龍穴神社へは約800m、徒歩10分とあります。
門前町を外れた辺りに、紅い欄干の「戎橋」が室生川に架かっている。この辺りを「爪出ケ淵」(つめでケふち)といい、室生に伝わる龍神伝説「九穴八海」の一つになっている。弘法大師が地蔵菩薩を彫っていると、龍王がこの水面から爪を出して彫るのを助けたという伝説が残されている。

室生川に沿って車道が通っている。この車道を室生川上流に向かって歩きます。

やがて左手に、杉の大木に囲まれた神社が現れる。室生龍穴神社です。
この辺りは淀川・木津川水系の水源地にあたり、雨の多い地帯。古くから水神、龍神への信仰があり雨乞いの行事なども行われてきた。奈良時代から平安時代にかけては、朝廷から勅使が来て雨乞いの神事が営まれたそうです。
一歩境内に入ると杉の巨樹に覆われ薄暗い。森閑とした霊気を感じ、”龍穴”の名にふさわしい雰囲気が漂う。境内は広くない。石鳥居と拝殿があり、その裏に紅い本殿が鎮座している。主祭神は雨ごいの神・「高?神(たかおかみのかみ)」。この本殿は寛文11年(1671)の建立と伝えら、奈良県の文化財に指定されています。
この本殿の裏を入っていくと、龍神が住んでいたという「龍穴」があるはずです。その穴を是非見てみたいと入口を探したが、奥へは立ち入り禁止になっていた。「龍穴」への道順を聞こうにも、ここまで訪れる人はいないようで、誰も見かけない。

境内に「室生龍穴神社案内図」が掲示されていた。「龍穴(奥宮)への道順」とあるが、絵入りの図で親切なようだが、あまりに大雑把で判りにくい。ともかく神社の前の道を奥へ歩いてみることにした。




 龍穴  



室生川に沿って10分ほど歩くと、左手に「吉祥龍穴 ←800m」の標識が現れた。
標識に従い林道に入って行きます。舗装され、車一台かろうじて通れるだけの道です。車も通らなければ、人も見かけない。落ち葉を踏みしめながら、緩やかな坂道を登って行く。気分爽快とゆきたいのだが、”龍穴”のイメージが浮かび少々心寂しい。







「天の岩戸」と案内されている奇妙な巨石を通り過ぎ、数分歩くと左手に吉祥龍穴への降り口が見えてきた。午後 3時です。小さな鳥居が建ち、案内があるのですぐ分る。

鳥居を潜り、細い道を下りていく。狭くかなり急坂だが、距離は短い。木立に囲まれ薄暗く、清流の流れる岩場が連なる谷底は、いかにも龍が出てきそうな気配を感じ不気味だ。一人で降りて行くのは、やや心細い。
途中に簡単な礼拝小屋があり、お供え物が置かれている。丁度、龍穴の真ん前で、ここから「龍穴」を拝するのでしょう。

清流を挟んで真正面に、大きな岩にぽっかりと洞穴が開き、しめ縄が架けられている。礼拝小屋は土足厳禁で、スリッパが用意されている。神聖で厳粛な場所なのです。不気味な穴を見つめていると、一時も早くここから逃げ出したい気分になります。

サァ、早く帰ろう!。室生寺バス停まで歩き、15時50分発のバスで近鉄・室生口大野駅へ。16時14分発の急行で大阪・上本町へ。錦秋の室生寺でした。




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