山登り・里歩きの記

主に関西地方を中心とした山登り、史跡巡りの紹介。要は”おっさんの暇つぶしの記”でんナァ!。

初瀬街道から長谷寺へ (その 4)

2015年06月06日 | 街道歩き

2014年11月28日(金)、近鉄・桜井駅を出発し、初瀬街道を散策しながら紅葉の長谷寺詣でへの記録です。

 仁王門から登廊(のぼりろう)へ  


多くのお土産屋で賑わう門前町を抜けると「桜ノ馬場」と呼ばれている広場に出る。そこから緩やかな階段を上ると仁王門が迎えてくれる。ここが長谷寺の入口となり、仁王門前の受付で入山料五百円支払い、門をくぐる。
仁王門(重要文化財)は長谷寺の総門にあたり、門の両側には仁王像、上階には釈迦三尊と十六羅漢が祀られている。入母屋造り本瓦葺の二階建の非常に重厚な感じがする門で、長谷寺に相応しい。

仁王門を潜ると、目の前に石の階段が長い廊下となって奥へ延びている。屋根付きなので「登廊」と呼ばれ、長谷寺の名物となっています。天井には長谷型と呼ばれる丸い灯籠が吊るされている。
登廊は全長108間、全部で三百九十九段の石段からなり、本堂(観音堂)まで続いている。途中二箇所で折れ、下から「下登廊、中登廊、上登廊」と呼び、折れ目の場所には「繋屋」「蔵王堂」の建物がある。これらはいずれも重要文化財に指定されています。階段といっても緩やかで、お年寄りでも楽に登れます。

登廊のすぐ右側斜面が長谷寺名物のボタン園です。長谷寺は「牡丹の寺」として知られ、寺全体で百五十種七千本のボタンがあり、四月中旬~五月にはボタンの花で埋め尽くされます。
一昨年(2013)五月に訪れた時の写真です。斜面全体に色鮮やかなボタンの大輪が咲き、多くの人出で賑わっていました。




 本堂(国宝)  



下、中、上の三つ折れ登廊を登りきった出口が鐘楼の二階建ての建物。その横に本堂がそびえる。
本堂横の鐘楼(重要文化財)は、藤原定家が『年を経ぬ 祈る契は初瀬山 尾上の鐘の よその夕暮れ』(新古今和歌集)と詠んだことから「尾上の鐘」と呼ばれている。朝6時には時を知らせる鐘が、正午には鐘と法螺貝の音が響き渡る。長谷寺の慣わしとして千年の昔から絶える事無く続いている。

朱鳥元(686)年、道明上人によって初瀬山の中腹の西の岡に三重塔を中心としたお寺「本長谷寺」を建てたのが長谷寺の起源だとされる。その後、神亀4年(727年)に道明上人の弟子である徳道上人が本長谷寺の東に聖武天皇の勅願をうけ十一面観世音菩薩を刻み、それを安置し祀るお堂を建立し「後長谷寺」としたのがこの本堂です。
平安から戦国時代にかけて七度も焼失した。豊臣秀長の援助で天正16(1588)年に再建されたが、その後徳川3代将軍家光の寄進(2万両)を受け、慶安3年(1650)に再度造り直されたものが現在の本堂。木造では東大寺大仏殿に次ぐ大きさで、平成16年(2004)に国宝に指定される。

本堂の中央は東から西側へ貫く通路となっている。これを「相の間」と呼ぶそうです。入って右側が本尊の十一面観音立像を安置する「正堂(しょうどう、内陣)」、左の広間は「礼堂(らいどう)」と呼ばれる。
「相の間」は一段低い石敷きの薄暗い通路で、そこを通るとおごそかで心が引き締まる気分にさせられるます。右側を見上げると巨大な観音さんが立っておられ、今にも迫ってくるような迫力があります。
左の「礼堂」は板敷き床の大広間になっており、相の間を挟んで正堂の本尊・十一面観音を拝することができるようになっている。
一昨年(2013)訪れた時は、特別拝観期間中(3/3-5/31)で法要が行われている真っ最中でした。僧侶の読経の声が響く中、沢山の参拝者の方たちが正座し読経を聞いておられました。礼堂の後ろはすぐ「長谷の舞台」です。そこから礼堂を「内舞台」とも呼ぶ。

本堂は初瀬山(546m)の中腹の傾斜地に南を正面として建てられている。そのため南側は、山腹にせり出す形で床下に柱を組み張り出し舞台の構造になっており、「長谷の舞台」と呼ばれている。規模は小さいが、京都の清水寺本堂と同じ懸造(かけづくり、舞台造とも)です。京都・清水さんとそっくりです。

舞台上からの眺望が素晴らしい。遠くに宇陀に続く山並み、下には山々に抱かれた初瀬の門前町の家並みが一望できる。谷沿いを左に行けば伊勢へ続く街道筋。右は直ぐ”まほろば”大和の地にでる。

この地は古来「隠口(こもりく)の泊瀬(はつせ)」として神聖視され、特別な感慨をもって見られてきたのも頷ける。「隠りくの」という枕詞は「山に包まれた処」の意で、泊瀬は初瀬のこと。

 御影堂(みえどう)・本(もと)長谷寺・五重塔  


本堂から山腹の方へ向かう緩やかな坂道を登って行く。この道は御影堂、本長谷寺、五重塔など見所多く、また景色も堪能できる。この周辺が紅葉の一番綺麗な場所ではないでしょうか。春から夏は新緑が冴え清々しく、この秋の紅葉のシーズンになるとこの辺り真っ赤に染まり絶景になります。春の桜はどうなんでしょうか?。

御影堂の周辺はひときわ紅葉が冴える。御影堂の立札には「宗祖弘法大師入定1150年御遺忌を記念して、その御徳を偲び、昭和59年建立せられる」とあります。

御影堂から本長谷寺、五重塔と続く道も癒しの道です。この辺りが”初瀬山の西の岡”にあたるのでしょうか。ここからは”東の岡”の本堂や張り出し舞台もよく見える。

「本(もと)長谷寺」は、飛鳥・川原寺(弘福寺)の僧道明が弟子の徳道らを率いて三重塔やお堂を建て、天武天皇の病気平癒を祈って、「銅板法華説相図」を初瀬山の西の岡に納めて祈願したのが長谷寺の始まりといわれる。

手前の竹の柵で囲われた礎石が、本長谷寺とされる三重塔跡です。たびたび焼失したが、慶長年間に豊臣秀頼によって再建されここに建っていたという。しかしこれも明治9年(1876年)の落雷で焼失し、礎石だけが残されている。

奥に見える五重塔は、案内板によれば「昭和二十九年 戦争受難者檀信徒慰霊及びに世界平和を祈願して建立されました」とある。どうりで新しいナァ、と感じたものです。内部には、本尊に大日如来を祀っているそうです。

最後に、南の端に位置する本坊へ行く。ここからは”東の岡”の本堂を眺めることができる。
長谷寺紅葉絵巻で、極楽浄土の世界か、地獄の炎か。

お寺の各所にいろいろな種類の花が植えられている。牡丹をはじめ四季を通じて「花の御寺」として有名です。春は桜と牡丹、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は寒牡丹と、ほぼ年中美しい境内の眺めを満喫できます。
平安時代以降、長谷詣でが盛んになり、貴族から庶民まで多くの人が参拝に訪れている。「枕草子」「源氏物語」「更級日記」「蜻蛉日記」の作者も参詣し、作品の中に取り入れている。


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