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世界遺産・石見銀山と甲州の関係

2013-01-29 11:00:00 | 文化

 大久保長安をご存じですか?  


こんにちは、市民レポーターの内藤です。

世界遺産に登録されている島根県大田市にある「石見銀山」
16世紀半ばから17世紀前半の全盛期に、
日本の銀は世界の銀産出量の約3分の1を占め、
そのかなりの部分が石見銀だったと考えられています。

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 この山梨県甲府市から遠く離れた「石見銀山」が、
 実は甲府にゆかりのある人物と深い関係にあることをご存じですか
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関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、
石見銀山の接収のために、
石見銀山を中心とする地域を幕府直轄領とし、
初代銀山奉行として大久保長安を任命しました。
長安は、石見銀山の開発を急速に進め、
家康に莫大な銀を納めたと言われています

 

現在、石見銀山の主要スポットにもなっている
大久保間歩(まぶ・銀を採掘した坑道)は、
初代奉行の大久保長安の名から名付けられた石見銀山最大級の間歩です
江戸時代から明治時代にかけて開発され、
その規模は他の間歩に比べて群を抜いています。
坑内の高さは最大で5mあり、大久保長安が槍を持ち、
馬に乗ったまま入ったという伝説があるほどです

 

この「石見銀山」の開発に大きく関わった人物
「大久保長安」の父親は、武田信玄お抱えの猿楽師
長安は、信玄に見出され、猿楽師としてではなく、家臣として取り立てられ、
武田領国における黒川金山などの鉱山開発や税務などに従事していたそうです。

また、信玄公死後は、徳川家康から老中に任命され、
勘定奉行・関東代官頭・甲斐奉行等の総代官として活躍し、
日本の三大金・銀山総奉行を兼任するなど、
徳川幕府の財政を支えた甲府ゆかりの人物です

 

甲府市城東にある徳川家康が宿陣としたことで有名な
「尊躰寺」には、大久保長安の供養塔があります
しかし、詳細な史跡を語る資料は見当たりません。


尊躰寺


長安の供養塔 

 

歴史的に重要な人物であるにも関わらず、
大久保長安の遺跡や文献・資料は、甲州ではあまり見当たりません。

それというのも・・・
甲斐奉行に任命され、甲州に赴任していた10年間で、実際に行き来したのは年1回程であり、
ほとんどは幕府での老中行政・幕政にあたっていたことや、
死後に発生した疑獄事件「大久保長安事件」により一家断絶の処置を受け、
歴史から抹消されたことが関係しているのかもしれません。

 

島根県の「石見銀山学習指導用資料」や「ふるさと学習誌」では、
大久保長安の活躍を歴史ドラマ的に紹介しており、長安のことを
「…甲斐の国(山梨県出身)の…」
「…卓越した知識と経営的才能によって、江戸時代初期のシルバーラッシュをもたらした人物…」と紹介しています。

また、八王子市教育委員会の郷土誌では、長安が当初八王子奉行であったこともあり、
長安死後の調査で、無数の金銀細工・道具などを私服化していたと、大久保長安事件を紹介しています


風説によると・・・
長安は「英雄色を好む」の喩え通り、常時20人以上の妾がいて、
この妾たちに「わしが死んだら1万両ずつ寄贈しよう」と約束していたといいます。
妾たちはこの各人1万両を長安の弔い中にもらおうではないかと、
駿府奉行所に柳眉を逆立てて訴えたそうです。
すると、徳川家康はさっそく検使を派遣し、
大久保の屋敷の土蔵から70万両という莫大な判金と
重大な密書が隠されているのを見つけたといわれています

このような話は、『大久保長安』や『史実・大久保石見守長安』、
『大久保長安の足跡・近世前期の政治的主要人物の居場所と行動』
といった文献に見られる歴史ロマンです。

 

残念なことに、これらの話は山梨県や甲府市の生涯学習用の資料には見当たらず、
史学会誌などには研究論文的文献もありません。

大久保長安に関心のある私としては、
甲府にゆかりのある大久保長安に関する資料が
もっと充実して欲しいと願わずにはいられません

 


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