
↑名古屋城外堀
昨夜までの雨は止んで、抜けるような青空が戻り、強い日差しと
南の風が吹いて、晩秋とは思えない穏やかな日和になった。

堀川を幅下橋まで遡って名古屋城外堀まで行き、
新道や円頓寺、四間道などを回ってきた。

久しぶりに新道の菓子問屋街で、袋詰め菓子を買ってきた。

新道は「駄菓子と食玩の街」として栄え、戦前はこの地方だけでなく、
中国や朝鮮まで商圏を伸ばし、戦後の復興も早く駄菓子を仕入れに来た
業者で賑わったという。

名古屋で盛んだった、嫁入りや棟上げなどの菓子撒きが廃れ、
町の駄菓子屋もコンビニやスーパーに主役を奪われ衰退の
一途をたどった。


その象徴とも言われる「中京菓子玩具卸市場」は、100軒の卸問屋で隆盛を誇っていたが、
平成15年に閉鎖され、それを境に歯が抜けるように周りの問屋が消えていった。


それでも生き残った卸市場や、数少ない問屋が、細々と
商いを続けている。

半ば朽ちかけた赤錆の市場は、段ボールに埋まって入り難いが、
中はあられや煎餅、ラムネ菓子、ゲソ焼きなどが山積みされている。

その脇の通り抜け路地の中ほどに、隅田神社が祀ってある。

↑一人がやっと通れる参道

下級武士が内職で駄菓子を作っていた頃から、この街を守ってきたという。
菓子玩具市場の跡地は、老人施設やマンションに変わり、ノスタルジックな
昭和の風景は、遠からず消えていくことだろう。

外堀通りを挟んだ南側が円頓寺や四間道で、先日のパリ祭の
賑わいが嘘のようで、いつもながらの静けさだった。


商店街を一筋入ると、古い町家や蔵が残っている。

↑四間道


↑築200年の商家には屋根神が祀られ、隣はモダンな家が新築中
新旧が混在し、独特の雰囲気が漂う町も、いずれマンションや
モダンな住宅街に生まれ変わっていくのだろうか。

ここの学区の幅下小学校、江西小学校、那古野小学校が
統合して、「なごや小学校」が誕生した。
旧幅下小学校の跡地に、来年の新校舎完成を目指して、
建築工事が進んでいる。
これ以外にも、都心部の小中学校の統廃合議論が進んでいる。
少子化の影響は、駄菓子業界どころではない。
栄枯盛衰世の習いと申しますが、
壊れたシャッターは哀れをさそいますね。
名駅へ近い地の利があるのですから、
再開発、復活とはならないのでしょうか?
駄菓子で有名な町は知っていましたが、
武士の時代から?
昔を知るお年寄りの方々はどんな思いでしょう?
残っておられる方は少ないでしょうが・・・
いずこも同じようですね。
シャッター街は福岡にもありますが
ビル」が立ち並び、新しい街が出来れば
寂れていく街もありますね。
昔ながらの駄菓子屋さんもそのうち
消えて行くのでしょうか〜
子供の頃は賑やかだった、長者町の繊維問屋街、
京町の薬問屋街、木挽町の材木問屋街などは往時の
おもかげはありません。
流通革命で問屋の力が衰えて量販店が栄え、次は
コンビニや通販が勢いを増していきそうです。
社会構造の変化とともに、街が大きく変わって
いきますね。
時代とともに街の風景が変わっていきますね。
昭和の名残が消えていくのは寂しいことですが、
時代の流れでしょうがないです。
名古屋では「嫁入菓子」と言って、袋詰めの菓子を
2階などから撒く風習がありました。
これも廃れて目にすることはなくなりました。