四万を超える一揆勢だが、横に大きく広がって渡河しているため、
田川定利の率いる槍隊が実際に相手にするのは正面の二千人足らず。
鉄砲隊で崩した一角に向かって逆落としに斬り込んで行く。
殿を守るはずの田川隊が陣を捨て、椻月の陣形でもって出撃して来たので、
一揆勢はただ驚くのみ、何ら為す術がない。
抵抗するより早く次々と小川に向けて蹴落とされてゆく。
椻月の陣形は本陣を先頭に押し立てて進撃するのが定石。
先頭には定利が自ら立っていた。
老齢ながらも足腰は丈夫。躓くことなく駆け下りながら敵を斃して行く。
そして、勢いのまま小川を渡った。
水量が少ないので何の苦労もない。
渡河した田川隊の目指す先は一揆勢の本陣。
最初からそこを狙っていた。
北条の軍旗が風に棚引いているので見間違えようがない。一直線に駆けて行く。
先頭を駆ける定利の脳裏に一つの危惧があった。
それは魔物の部隊の存在。彼等が本陣に居れば厄介な事になる。
定利を配下の若い者達が追い越して行く。
彼は、「まずは敵の軍旗を打ち倒せ」と後ろから𠮟咤する。
勢いに乗っている者達に水を差す事もない。
ここまで来れば、後は野となれ山となれ。すでに覚悟は決めていた。
前方の敵本陣は、余裕か、それとも油断か、移動する気配がない。
ようく見れば大勢で、木の柵や陣幕、並べていた盾等を片付けていた。
敵兵数は遠目に見ても三千人くらいだろう。
大半の部隊が渡河してしまって近くに敵部隊はいない。
敵本陣の者達が田川隊の接近に気付いた。
ただちに迎撃の態勢をとろうとするが、弓も鉄砲も準備できない。
陣内が混乱する。
そこへ田川隊が突入した。容赦なく槍を振り回す。
幸いにも魔物の部隊は姿がない。
瞬く間に敵本陣を掻き回し、軍旗や隊旗を一つ残らず切り倒した。
効果が直ぐに現れた。
敵部隊が渡河した方角から陣太鼓が打ち鳴らされた。
定利は北条軍の太鼓の打ち方は覚えていた。
まずは、「全軍止まれ」。間をおいて、「引き返せ」と打たれた。
軍旗が倒されたのを見て全軍が引き返して来る。
定利の思惑通りに運んだ。
これで徳川方の転進は安全だろう。
次は自分達の身の安全を図る必要がある。
なにしろ敵は大軍で、左右から押し寄せて来るものと思われる。
逃げる前に敵の総大将を討ちたいのだが、それらしい姿は見受けられない。
陣内の混乱に紛れて姿を隠したようだ。
それを捜す余裕はない。
定利は部隊に撤退の命令を下した。
目指すは江戸城とは正反対方向の八王子。
追ってくる一揆勢を江戸城から更に引き離すつもりであった。
無事に敵本陣から離脱した田川隊だが、危急が間近に迫っていた。
左右からかなりの数の蹄の音と、砂煙が追ってきていた。
敵の騎馬隊だ。どうやら先回りしようとしているらしい。
前方を騎馬隊に塞がれ、後方から徒士隊、槍隊に襲われたら防ぎようがない。
なにしろ兵力差が有りすぎる。
奇襲ならいざ知らず、平地で四万の軍勢に囲まれては如何ともし難い。
右先方に森を見つけた定利は、「あそこに向かうぞ」と怒鳴った。
森伝いなら逃げ切れると思った。
走りずくめで膝に痛みを感じたが、弱音は吐いていられない。
一隊を率いる身にとっては、自分の身体の心配よりも隊の安全が優先する。
だが、敵の騎馬隊も戦慣れしていた。
森の存在に気付くや、そちらに向かった。
そして森の手前を塞ぎ、向き直って迎え撃つ態勢をとった。
およそ五百騎。それぞれが馬上で槍を構えた。
ぐずぐずとはしていられない。
左の騎馬隊が合流する前に突破しなければならない。
定利は配下に突入を命じた。
騎馬との戦い方は教えてあった。
口煩く、「馬上の者と戦う前に馬を攻めよ」と。
その教え通りに配下達は、馬上から繰り出される槍を無視して、
馬の足を払う、あるいは馬面を叩いた。
あちこちで馬の悲鳴が上がった。棒立ちになる馬、暴走する馬と様々。
次々に騎乗の者達が振り落とされた。
一角を突き崩した田川隊が森への退路を確保した。
配下の者達がそちらに駆けて行く。
定利も向かおうとした。
その時、背後から馬の嘶き。背中にドッと激しい衝撃を感じた。
前足で蹴飛ばされたらしい。
慌てて起き上がろうとしたところを更に踏み潰される。
馬は全体重を乗せたまま動かない。
痛みと重みに耐えきれずに口から悲鳴を漏らした。
体内から生温い液体が口元に逆流してくる。
思わず吐き出した。どす黒い血の塊。
荒い鼻息が首筋を走るのを感じながら次第に気が遠くなる。
榊原康政は太田三右衛門相手に幾度も槍を繰り出した。
突き、払い、斬り、打つ。
しかし、何一つ決まらない。
肩をぶつけて、あるいは足を絡めて体勢を崩そうとしても効果無し。
槍捌きも腕力も互角らしい。
滴り落ちる額の汗を袖口で拭う。
三右衛門が、「お主、腕はなかなかではないか」と笑いかけてきた。
余裕があるところを見せようとしているのは明白だ。
康政は、「そういうお主こそ」と痩せ我慢。
館林から長い距離を駆けて来た疲れが出てきた。
疲れで何昼夜駆けたのかすら思い出せない。
ここで腰を下ろせば寝入ってしまうだろう。正直辛い。
ドドーンと衝撃音。城門が崩れ落ちて地面が揺れた。
一騎打ちを見守っていた一揆勢から歓声が上がった。
対照的に徳川方は意気消沈。焦りの色を見せた。
得意そうに三右衛門が、「落ちたな」と笑う。
それでも康政は、「まだまだ、我等が居る」と槍を持つ手に力を込めた。
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花粉が、花粉が・・・。
田川定利の率いる槍隊が実際に相手にするのは正面の二千人足らず。
鉄砲隊で崩した一角に向かって逆落としに斬り込んで行く。
殿を守るはずの田川隊が陣を捨て、椻月の陣形でもって出撃して来たので、
一揆勢はただ驚くのみ、何ら為す術がない。
抵抗するより早く次々と小川に向けて蹴落とされてゆく。
椻月の陣形は本陣を先頭に押し立てて進撃するのが定石。
先頭には定利が自ら立っていた。
老齢ながらも足腰は丈夫。躓くことなく駆け下りながら敵を斃して行く。
そして、勢いのまま小川を渡った。
水量が少ないので何の苦労もない。
渡河した田川隊の目指す先は一揆勢の本陣。
最初からそこを狙っていた。
北条の軍旗が風に棚引いているので見間違えようがない。一直線に駆けて行く。
先頭を駆ける定利の脳裏に一つの危惧があった。
それは魔物の部隊の存在。彼等が本陣に居れば厄介な事になる。
定利を配下の若い者達が追い越して行く。
彼は、「まずは敵の軍旗を打ち倒せ」と後ろから𠮟咤する。
勢いに乗っている者達に水を差す事もない。
ここまで来れば、後は野となれ山となれ。すでに覚悟は決めていた。
前方の敵本陣は、余裕か、それとも油断か、移動する気配がない。
ようく見れば大勢で、木の柵や陣幕、並べていた盾等を片付けていた。
敵兵数は遠目に見ても三千人くらいだろう。
大半の部隊が渡河してしまって近くに敵部隊はいない。
敵本陣の者達が田川隊の接近に気付いた。
ただちに迎撃の態勢をとろうとするが、弓も鉄砲も準備できない。
陣内が混乱する。
そこへ田川隊が突入した。容赦なく槍を振り回す。
幸いにも魔物の部隊は姿がない。
瞬く間に敵本陣を掻き回し、軍旗や隊旗を一つ残らず切り倒した。
効果が直ぐに現れた。
敵部隊が渡河した方角から陣太鼓が打ち鳴らされた。
定利は北条軍の太鼓の打ち方は覚えていた。
まずは、「全軍止まれ」。間をおいて、「引き返せ」と打たれた。
軍旗が倒されたのを見て全軍が引き返して来る。
定利の思惑通りに運んだ。
これで徳川方の転進は安全だろう。
次は自分達の身の安全を図る必要がある。
なにしろ敵は大軍で、左右から押し寄せて来るものと思われる。
逃げる前に敵の総大将を討ちたいのだが、それらしい姿は見受けられない。
陣内の混乱に紛れて姿を隠したようだ。
それを捜す余裕はない。
定利は部隊に撤退の命令を下した。
目指すは江戸城とは正反対方向の八王子。
追ってくる一揆勢を江戸城から更に引き離すつもりであった。
無事に敵本陣から離脱した田川隊だが、危急が間近に迫っていた。
左右からかなりの数の蹄の音と、砂煙が追ってきていた。
敵の騎馬隊だ。どうやら先回りしようとしているらしい。
前方を騎馬隊に塞がれ、後方から徒士隊、槍隊に襲われたら防ぎようがない。
なにしろ兵力差が有りすぎる。
奇襲ならいざ知らず、平地で四万の軍勢に囲まれては如何ともし難い。
右先方に森を見つけた定利は、「あそこに向かうぞ」と怒鳴った。
森伝いなら逃げ切れると思った。
走りずくめで膝に痛みを感じたが、弱音は吐いていられない。
一隊を率いる身にとっては、自分の身体の心配よりも隊の安全が優先する。
だが、敵の騎馬隊も戦慣れしていた。
森の存在に気付くや、そちらに向かった。
そして森の手前を塞ぎ、向き直って迎え撃つ態勢をとった。
およそ五百騎。それぞれが馬上で槍を構えた。
ぐずぐずとはしていられない。
左の騎馬隊が合流する前に突破しなければならない。
定利は配下に突入を命じた。
騎馬との戦い方は教えてあった。
口煩く、「馬上の者と戦う前に馬を攻めよ」と。
その教え通りに配下達は、馬上から繰り出される槍を無視して、
馬の足を払う、あるいは馬面を叩いた。
あちこちで馬の悲鳴が上がった。棒立ちになる馬、暴走する馬と様々。
次々に騎乗の者達が振り落とされた。
一角を突き崩した田川隊が森への退路を確保した。
配下の者達がそちらに駆けて行く。
定利も向かおうとした。
その時、背後から馬の嘶き。背中にドッと激しい衝撃を感じた。
前足で蹴飛ばされたらしい。
慌てて起き上がろうとしたところを更に踏み潰される。
馬は全体重を乗せたまま動かない。
痛みと重みに耐えきれずに口から悲鳴を漏らした。
体内から生温い液体が口元に逆流してくる。
思わず吐き出した。どす黒い血の塊。
荒い鼻息が首筋を走るのを感じながら次第に気が遠くなる。
榊原康政は太田三右衛門相手に幾度も槍を繰り出した。
突き、払い、斬り、打つ。
しかし、何一つ決まらない。
肩をぶつけて、あるいは足を絡めて体勢を崩そうとしても効果無し。
槍捌きも腕力も互角らしい。
滴り落ちる額の汗を袖口で拭う。
三右衛門が、「お主、腕はなかなかではないか」と笑いかけてきた。
余裕があるところを見せようとしているのは明白だ。
康政は、「そういうお主こそ」と痩せ我慢。
館林から長い距離を駆けて来た疲れが出てきた。
疲れで何昼夜駆けたのかすら思い出せない。
ここで腰を下ろせば寝入ってしまうだろう。正直辛い。
ドドーンと衝撃音。城門が崩れ落ちて地面が揺れた。
一騎打ちを見守っていた一揆勢から歓声が上がった。
対照的に徳川方は意気消沈。焦りの色を見せた。
得意そうに三右衛門が、「落ちたな」と笑う。
それでも康政は、「まだまだ、我等が居る」と槍を持つ手に力を込めた。
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