前回の続編です。
大元宮の東北には明治店の"胞衣塚(えなづか)があります。
近づくには参道を外れて菓祖神社脇の細い道を上がります。
余り知られたくはないのでしょうか?整備されていなく、明治天皇の胞衣塚を示す石碑もありません。
まだ江戸時代の事、皇子誕生に伴う諸行事は全て陰陽師の指示により進められ、胞衣塚もこの地に決まったようです。
菓祖神社です。
昭和32年に京都菓子業界の総意により鎮祭された神社で「菓子の祖神」として崇められています。
鳥居の横には「神の世に」の句碑があり、「神の世に 神集まりて 神楽丘 一鶴翁」と刻まれています。
一鶴翁の句とありますが、どのような人物か?や建碑者、建碑年もわかっていない不思議な句碑です。
竹中稲荷神社
ご由緒は明らかではないようですが、古記によると天長年間(824〜834)には既に社殿があり吉田神社の創建(貞観元年859年)より古くからあった事がわかります。
参道には多くの鳥居が奉納されていて、古伝には「幾千の鳥居参道に樹立し雨雪為に傘を要せず。」とあり、当時の稲荷詣の盛んな事が伺えます。
アパレルメーカーの吉忠株式会社の歴代社長も信仰していたようで鳥居が寄進されています。
竹中稲荷の奥には在原業平の墓と伝わる業平塚があります。
御塚
また、竹中稲荷社の背後には50社以上の御塚があります。
これらは稲荷神を信仰する1日の私的な守護神で"御塚信仰"と言われています。
(ちなみに伏見稲荷大社が鎮座される稲荷山には1万社以上の御塚があるそうです。
「紅もゆる歌碑」です。
三高同窓会90周年記念事業として製作され、昭和33年(1958)5月に完成除幕式が行われています。
この辺りは山頂に近く、東側には視界が開け如意ヶ岳大文字山が近くに見えます。
この後に「茂庵」に寄りカフェを頂くつもりでしたが定休日で叶わなかったのが残念です。
この日は火曜日で茂庵の定休日は月曜日だけと思っていましたが、いつからか月曜、火曜になっていました。
最後に吉田神社本宮です。
詳細は駒札をご覧下さい。
こうして吉田山を巡ると、山自体や大岩、川など自然なものに神々が宿ると考えてきた日本人の古来からの宗教観の一端が伺えます。
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