京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

弘川寺(西行法師終焉の地)

2021年08月27日 08時30分00秒 | 日記
 當麻寺を後に次に訪れたのが大阪府南河内郡河南町にある弘川寺(ひろかわでら)です。(2回目の訪問です。)




石垣といい、本坊前の庫裏門といい、立派なお寺です。
と言うのも天智天皇4年に役行者により開創された古刹で、現在は真言宗醍醐派の準別格本山の寺格を有する寺院です。

天武天皇5年の夏には天武天皇は請雨の祈祷を命じられ、同8年の春にはこちらに行幸されています。

また、行基が修行されたり、空海が中興されるなどして法灯を繋いでいます。





しかし、このお寺を有名にしているのは平安時代末の歌人・西行法師がこちらで生涯を終えられた事です。



元は鳥羽院の御所を守護する北面武士で名を佐藤義清(さとうのりきよ)と称していました。しかし、保延6年(1140)10月に妻子を捨て出家し西行法師と名乗り東山、嵯峨、鞍馬などで草庵を営んでいます。




西行法師は晩年の文治5年に弘川寺の座主空寂上人の法徳を慕って来寺され庵居されます。
有名な「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」の歌の通りにここ弘川寺にて建久元年(1190)に入寂されています。

その生きざまは藤原定家や慈円らの共感を呼び西行の名声をより高めています。







歌僧似雲法師は西行を慕い藤原定家の歌集「長秋詠草」から西行終焉の地が弘川寺である事を見出し江戸時代享保17年に西行の古墳を発見しています。

その後、西行堂を建立し、境内にかっこ花の庵」を建てて住み81才の生涯を西行の顕彰に尽くされました。





似雲法師のお墓も西行法師に寄り添うように同じところに築かれています。



西行法師800年遠忌を記念して西行墳の東側桜山には桜が千本植樹され遊歩道も整備されています。

桜をこよなく愛した西行法師、その
桜に囲まれ永遠の眠りにつかれています。



西行法師、似雲法師に関する資料文献を展示している「西行記念館」です。
毎年、春と秋に公開されています。






































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