京都つれづれなるままに

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無鄰菴 「無鄰菴会議の日」洋館2階特別公開

2024年04月27日 10時24分00秒 | 日記
 4月21日は、南禅寺別荘群のひとつ無鄰菴に来ました。











この日は「無鄰菴会議の日」として洋館2階の扉が開けられ、通常立ち入る事の出来ない所まで入る事が出来ます。 

4月21日の恒例企画になっています。
通常非公開の場所からの窓が開けられた洋館の雰囲気や陽光で輝く壁一面の金碧障壁画を楽しむ事が出来ます。













金碧障壁画は痛みが激しく、近々剥がして修復に入るそうです。
狩野派の障壁画と言われていますが、その絵師の名はわかっていないそうです。

二条城の金碧障壁画などで狩野永徳や探幽の作品からすると画力は随分と劣っています。

明治36年(1903)年4月21日、名だたる政治家4 名(伊藤博文、小村寿太郎、桂太郎、そして無鄰菴の施主山縣有朋)が無鄰菴の洋館に集まり、日露戦争前夜の外交方針を話しあう歴史的な会議が開かれました。

この会議で大国ロシアとの開戦が決められた重要な会議でした。
(当時は当然ですが密室会議で国の方針が決められていました。)

毎年4月21日の恒例になる無鄰菴の行事です。
その際使われた洋館の非公開スペースを今年も公開します。通常は保存のために閉鎖している窓を開け、往時の洋館の雰囲気を味わっていただけます。普段は入れない場所からの写真撮影がしていただけます。陽光で輝く壁一面の金碧障壁画が、明治さながらに甦ります。





洋室にはテーブルセットが一組置かれていますが、テーブルは2つの小さな机をドッキングし上にクロスを掛けただけの簡素な物、椅子も座面は張り替えられていますが、比較的小さな物で、無鄰菴会議で使われた物ではない様に思われます。
(机も椅子も戦後に山縣家から寄贈されたものだそうです。)













その後、主屋2階で呈茶がありました。

この日は生憎の曇空でしたが、東山の新緑が眩しく、いい光景でした。
施主の山縣有朋は"無鄰菴の雨"を好んだそうで、霧に霞む東山をことに好んだそうです。

その後は、いつもの通りアンケートに記入し、自由観賞となりました。




上の写真上部に見える巨石は醍醐から牛24頭で曳き、据えられた石です。
かっては豊臣秀吉も採石に挑んだ巨石でしたが、天下人秀吉でさえ動かせなかった巨石は山縣の自慢のひとつでもありました。





これまでの枯山水庭園などを否定した山縣は独自の感性で庭園を設計し、7代目小川治兵衛(植治)を抜擢し作庭に当たらせました。

故郷山口県下関の第一無鄰菴、木屋町二条に残る第二無鄰菴と同様に水の流れのある開放感ある庭園を設計しました。











最奥にある場所から琵琶湖疏水の水を引き込み(一次取水)、それを三段の滝で落としています。

遣水沿いには杜若(カキツバタ)を始め四季の花々が植えられています。







無鄰菴には"燕庵"の写しの茶室もありますが、山縣自身は茶に思い入れは無かったそうです。

無鄰菴で一次取水された琵琶湖疏水の水は、園内を流れた後、向かいにある"瓢亭"と鉄管で結ばれていて二次利用されます。

いつ訪れても緑あふれ、心和む庭園です。



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