京都東山七条にある養源院は秀吉公の側室淀君が父浅井長政の菩提を弔うために秀吉公に願い建立した寺院です。












養源院の寺名は浅井長政公の院号から採られたものです。



しかし、程なく火災に遭い焼失します。
元和7年(1621)徳川二代将軍秀忠公正室崇源院(淀君の妹お江)により伏見城の遺構の用材を用いて再建されました。

廊下の天井は伏見城落城の際、鳥居元忠はじめ武将たちが自刃した廊下の板を用いた"血天井"です。

(拝観時に頂いた絵葉書です。)
しかし、このお寺を有名にしているのは俵屋宗達の襖絵と杉戸絵が残っている事です。
廊下の東側には白象、西側には獅子が杉戸に描かれ、それぞれ普賢菩薩、文殊菩薩により伏見城で亡くなった武将たちを弔っています。

襖絵十二面も宗達の筆によるもので「お念仏、御回向」を意味した絵だそうです。
また、玄関の左には太閤秀忠の学問所とした「牡丹の間」があります。
絵師は京狩野の祖、狩野山楽です。

庭園は小堀遠州作庭と伝わりますが公開がないのが残念です。

養源院の御朱印(書置きのみ)

養源院と隣りの法住寺との間に"後白河天皇法住寺陵"があります。



異母弟の近衛天皇が17歳の若さで崩御され、皇位が巡ってきた後白河天皇、、、源頼朝から"日本国家第一の大天狗"と呼ばれながら武家から皇室を守り抜いた手腕には感服するものがあります。
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