今日、2月23日は「そうだ 京都、行こう。」の"親鸞聖人の生誕地 日野と五大力さん"に参加しました。ガイドは"らくたび"の代表 山村純也さんです。
地下鉄 石田駅に10時に集合の後、徒歩で最初の訪問地 法界寺へと向かいます。


法界寺は地元では日野薬師、乳薬師と呼ばれる日野家の菩提寺です。日野家と言えば室町幕府第八代将軍 足利義政の正室 日野富子が名高いです。
また、浄土真宗の開祖 親鸞聖人の生誕地でもあります。
阿弥陀堂、阿弥陀如来坐像が国宝、壁画、薬師堂が重文です。今回は、ご住職が阿弥陀堂で説明して下さいました。



お堂の前には蓮池があり、夏には蓮の花が咲き誇り、阿弥陀堂を背景に浄土の世界が広がるそうです。
次に、日野誕生院です。


こちらは、江戸時代後期に親鸞聖人の父、日野有範を祀った有範堂が起源と言われ、現在は西本願寺の飛地境内となっています。境内には、9才で出家した親鸞聖人の幼少の頃のお姿を模した童形像があります。

また、境内には親鸞聖人 産湯の井戸や親鸞聖人の胎盤の一部とへその緒を埋めたと伝わる胞衣塚(えなづか)があります。

以前は、近くで見学出来たのですが、保育園の園内にある為か、ゲートが新設されていて近づけなくなっています。


次に恵福寺です。初訪問の阿弥陀如来像をご本尊とする浄土宗のお寺です。阿弥陀さまの両脇には、周りで廃寺になったご本尊を4体を客仏としてお祀りされています。中でも、平安時代の丈六の地蔵菩薩坐像は腹帯を巻かれていて昔は、女性にとって出産は命がけの事で、子供の守り本尊であるお地蔵様に無事な出産を祈願したのでしょう。
境内には見事な枝垂れ桜があり、開花に合わせてライトアップが行われます。


上の写真は"平重衡の墓"です。重衡は清盛の五男で合戦で武勇を誇りましたが、南都焼き討ちの罪で捕らえられ、木津川の河原で斬首され、この地に葬られました。




次に善願寺を訪ねます。地元では腹帯地蔵と呼ばれ、安産にご利益があるそうです。
境内にある樹齢一千年を超えると言われる御神木の榧(かや)の木には、不動明王が彫られています。昭和30年頃に当時の住職が仏師 西村公朝氏に依頼したものだそうです。
本堂には、阿弥陀三尊像がお祀りされており、天井の花卉図、雲龍図、飛天図が見どころです。
いよいよ最終目的地の醍醐寺です。
醍醐寺では、開祖 理源大師・聖宝の遺訓により、毎年2月23日に七難即滅、七福即生を祈る「五大力尊仁王会」が盛大に行われています。
この日にのみ授与される五大力さんの「御影」のお札は、自宅、お店、会社の出入り口や、火気を使用する場所に貼ることで、盗難や災難を除くご利益があるそうです。






五大力さんと言えば、奉納「餅上げ」です。
本堂前の特設舞台のでは、力自慢の男女が を競っていました。女性は90kg、男性は150kgの紅白の大鏡餅を持ち上げ、その持続時間を競う奉納行事です。夕方のニュースで放送されることでしょう。
この日は、三宝院も無料公開されていましたが、お堂の中には入れず、庭園を手前から眺める程度の公開でした。
地下鉄 石田駅に10時に集合の後、徒歩で最初の訪問地 法界寺へと向かいます。


法界寺は地元では日野薬師、乳薬師と呼ばれる日野家の菩提寺です。日野家と言えば室町幕府第八代将軍 足利義政の正室 日野富子が名高いです。
また、浄土真宗の開祖 親鸞聖人の生誕地でもあります。
阿弥陀堂、阿弥陀如来坐像が国宝、壁画、薬師堂が重文です。今回は、ご住職が阿弥陀堂で説明して下さいました。



お堂の前には蓮池があり、夏には蓮の花が咲き誇り、阿弥陀堂を背景に浄土の世界が広がるそうです。
次に、日野誕生院です。


こちらは、江戸時代後期に親鸞聖人の父、日野有範を祀った有範堂が起源と言われ、現在は西本願寺の飛地境内となっています。境内には、9才で出家した親鸞聖人の幼少の頃のお姿を模した童形像があります。

また、境内には親鸞聖人 産湯の井戸や親鸞聖人の胎盤の一部とへその緒を埋めたと伝わる胞衣塚(えなづか)があります。

以前は、近くで見学出来たのですが、保育園の園内にある為か、ゲートが新設されていて近づけなくなっています。



次に恵福寺です。初訪問の阿弥陀如来像をご本尊とする浄土宗のお寺です。阿弥陀さまの両脇には、周りで廃寺になったご本尊を4体を客仏としてお祀りされています。中でも、平安時代の丈六の地蔵菩薩坐像は腹帯を巻かれていて昔は、女性にとって出産は命がけの事で、子供の守り本尊であるお地蔵様に無事な出産を祈願したのでしょう。
境内には見事な枝垂れ桜があり、開花に合わせてライトアップが行われます。


上の写真は"平重衡の墓"です。重衡は清盛の五男で合戦で武勇を誇りましたが、南都焼き討ちの罪で捕らえられ、木津川の河原で斬首され、この地に葬られました。




次に善願寺を訪ねます。地元では腹帯地蔵と呼ばれ、安産にご利益があるそうです。
境内にある樹齢一千年を超えると言われる御神木の榧(かや)の木には、不動明王が彫られています。昭和30年頃に当時の住職が仏師 西村公朝氏に依頼したものだそうです。
本堂には、阿弥陀三尊像がお祀りされており、天井の花卉図、雲龍図、飛天図が見どころです。
いよいよ最終目的地の醍醐寺です。
醍醐寺では、開祖 理源大師・聖宝の遺訓により、毎年2月23日に七難即滅、七福即生を祈る「五大力尊仁王会」が盛大に行われています。
この日にのみ授与される五大力さんの「御影」のお札は、自宅、お店、会社の出入り口や、火気を使用する場所に貼ることで、盗難や災難を除くご利益があるそうです。






五大力さんと言えば、奉納「餅上げ」です。
本堂前の特設舞台のでは、力自慢の男女が を競っていました。女性は90kg、男性は150kgの紅白の大鏡餅を持ち上げ、その持続時間を競う奉納行事です。夕方のニュースで放送されることでしょう。
この日は、三宝院も無料公開されていましたが、お堂の中には入れず、庭園を手前から眺める程度の公開でした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます