高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

なんのために、ケータイ?

2010-11-12 09:20:35 | 倫理の授業

 地球の裏に住む、ほとんど会わない人間にはケータイはしない

ケータイをかける相手の70%以上は毎日会うことができる人間

ではないでしょうか。裏返していうなら、

めったに会うことができない人間にケータイをかけることはまずしない

んじゃないでしょうか。1年に一回しか会わない、いや3年ぶりに会うなどという人間と毎日ケータイを交わすことはありえないと僕はみています。
 また、

地理的に遠く離れてしまった人間

とケータイをかわすこともまず考えられませんね。いま九州に住んでます。北海道に、アメリカに、住んでいます。・・・そんな人間と静岡県に住んでいる高校生がケータイをするなどということは考えられないのではないでしょうか。

 そこで問いましょう。

なぜ、毎日あうことができる人間にわざわざケータイをかけるのだろうか?

 いや、この言い方は正確ではないですね。じつは毎日あうことができるからこそ、ケータイ愛好家は相手に電話やメールをするのではないでしょうか。では何のために、わざわざ毎日会える人間に電話をするのでしょうか?

 もう一つこの事実でいくら当たり前でも確認しなければならないのは、こういうことです。

毎日会えるが、通話者の「今」「ここ」にいない人間

にケータイはかけるのだということです。
 くりかえします。ではなぜ、わざわざ毎日会える人間、それも通話者の「今」「ここ」にいない人間にケータイをするのか?いやしなければいられないのでしょうか?

1分200円でもおそらくケータイしない

ではケータイ愛好家にこう尋ねましょう。

「1分1000円でもケータイするか?」

生徒のみなさんは即答します。

「しない」

と。では、と値を下げていきます。「900円では?」
 このオークションは「200円になってもほとんどの生徒さんはしない」と答えるんです。これが何を意味するかおわかりでしょうか?
 そうですよ、たかだか1分200円程度のカネを要求されたら、もう話をすることを躊躇するようなその程度の内容のことを話したいだけなのです。しょうもない、人生の生き死ににはまったくかかわりのないどうでもいいようなことでわれわれはケータイするのです。

突然通話できない

 今ケータイ愛好家が電話をしようとしたとしましょう。しかし、システムの問題でしょうか、何の問題でしょうか。理由はともかく電話をかけることができなくなってしまった。さて、そのときです。問題はこのときに、では無理をして相手の家までいくなり、相手の所在を求めて努力をしてでも話そうとするだろうかということです。
 私は断言します。ケータイ愛好家のほとんどはそうなったら、あきらめる。永井秀和ばりにいうとね、まちがいない!そうです、あきらめる程度のことで、電話をしたいのです。いや、本当を言うとそういうどうでもいいことでも電話やメールをしなければ不安で仕方がないのです。
なぜ?

「今ヒマ?」「今何してる?」

 通話の内容は何でしょうか?私はこの二つの問いに尽きると、思っていますね。ま、それに毛の生えた程度のことですよ。だから、

1分200円

になったら通話などしないのです(もっと非現実にもし、ケータイに200円の現金を挿入しなければ通話もメールもできないと仮定したらどうでしょう?)。このケータイというツールが使用不能になればあきらめてしまう程度のことなのです。

ごめんも言わずに通話拒否

 仮に下のような会話をしたらどうでしょうかねえ。
A「今ヒマ?」
B「いそがしい。迷惑だ」

A「今何してる?」
B「いわなければいけないのか?言えない、秘密だ」

 この二つの応答は普通しません。
 でも、仮にしたときにされた側、つまり電話をした側はどう思うでしょうか?僕が想像するのは二つの反応ですね。
 一つ

怒り

ですね。二つめは

ショック=疎外感

でしょうね。「みじめ」って感じですかねえ。そして、絶対ありえないのが、「相手のことを考えず電話してすまなかった」という思いでしょうね。
 「申し訳ない」この気持ちをケータイ愛好家がもつのは通話をことわる側がこういう返答をしたときじゃないでしょうか。

「今ヒマ?」
「申し訳ない。すまない、いまいそがしい。」

 なぜ「すまない」とことわるほうが謝るのでしょうか?おかしい話ではないですか?なぜ、時間を割いてやる側が謝るのでしょうか?

なぜ通話料に関心がないのだろうか

 ケータイを受けて通話をしている人間がまず関心を払わないのは相手の通話料ですね。
「このあたりで一たん切ってくれ、ずいぶん話してしまった。こちらからかけ直す」
 こういうことをケータイを受けた人間がいうことはまずないのではないでしょうか。相手がこれまで話した時間で一体どのくらいの通話料を費やしたのか、ケータイ愛好家はこういうことに関心を払いませんね。平気で相手に電話料を払わせる。では、どうして平気で電話料を払わせ続けられるのでしょうか。

10万円の自己資金

「あなたに10万円あげるから代わりにケータイをやめなさい」

といわれたらあなたはどう考えるのでしょうか?
10万円の根拠は?というと、大体高校生の1年間のケータイ使用料金の平均がそんなものだという意味です。私の調べでは、高校生は、1か月7000~8000円ぐらいのケータイ使用料というのが平均的です。ま、だから月1万円というのは、ちょっと平均より高いくらいでしょうか。で、年間にすると、1万円×12=12万円ですよね。悪い話ではないのではないでしょうか。あ、そうそう、もちろん、あなたがこの平均値より平均値が高かったらその割り増し分もお支払いしますよ。
 ただし、その10万円を、

あなたが向上するだろう何かにつぎ込む

というのが条件です。また、その金でケータイを契約するなんてなしですよ。

拒否する意味

もちろん、ケータイ愛好家は、きっぱり拒否するでしょうね。私はこういうように付け加えたのです。

「英会話学校へでもいって、英語のレッスンに使ったらどうでしょう?
 英語力をあげるのです。もちろん、英語をしゃべれるなんて人はいっぱいいます。いるにしても、あなたのまわりに英語をやっていてもしゃべれる人ってどのくらいいますか。とにかく、最低の語学力を身につけるのです。そして、書けるようになってごらんなさい。大体、あなたが活動できる範囲が広がります。英語圏ということになるのだから、そして、英語力をいかせば、時給5000円や10000円の仕事がみつけることができますよ。」

しかし、こういう言葉がほとんど意味を持たないのが、普通のケータイ愛好家ではないか、というのが私の仮説なんです。選びませんね。自分を向上させるための10万円を。
 それにしても、それでもケータイにしがみつく(それを私はあえて「しがみつく」とよびたいのですが)、しがみつかせるのは、何なのだろうか?



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