父の死因
2005(平成17)年、私の父が他界しました。8月に脳出血を起こし、その回復が思うに任せず、ついに言語機能が回復せず、あれほど多弁だった人が、自分の思いを口に出すことなくこの世を去りました。葬儀の際の弔辞でも述べたのですが、その無念さは察する余りあるものでした。
父は、倒れてからずっと高熱を発していました。これは後から見てのことですが、父は全身がもう生きる上で限界に達していたのかもしれません。老衰という言葉がありますが、父の状況はそれに近かったのかもしれないと今にして思いますね。肺炎を惹き起こしてしまう原因はカビだと医師はいっていました。大体が、肺の機能が不全でした。その原因はタバコだとはっきり医師はいっていました。生前父は母にタバコを止められるたびに
「タバコで死ぬなら本望」
と言っていたようです。そのとおりになってしまったのでした。医師によれば、肺胞が大きく肥大し、体に酸素を送ることができないのだ、というのでした。
タバコは体に悪い
タバコは体に悪い、というのは、事実なのでしょうね。もちろん、タバコを吸いながら長生きする人はいるに違いないし、タバコを吸わないのに早死にする人だっているにちがいありません。しかし、それぞれの個人をとってみれば、タバコはやはり吸わないより吸ったほうが健康を害するのでしょうね。
「タバコは体に悪いんですよ!よいこのみなさん!」
しかし、この何気ないことばが一見あたりまえに進行する事態に意外な疑問を発するのです。タバコは不良化の一歩ですね。脱線すると、不良でタバコが嫌いな人ってどうするんでしょうねえ?私はだめなんです、あの煙が。ただむせるだけなんです。何がよくてあんな煙を吸っているんだ?!なんです。そういう不良はどうするんだろうねえ。きっと無理して吸っているんです。さて、そのときに、こういう問いを発したらどうでしょうか。
「何で友だちは自分の友人が健康に悪いことをしているのに止めないのか?」
普通とめませんね。勧めこそすれ、止めないでしょ?何で?
友だちが健康に悪いことをしている。本当に友達のことを考えるならば、やめろよ、ととめてやるのが筋ではないですか。
ところが、私も生徒が仮に吸っているとわかっても、本気でとめないでしょうね。もちろん、自分の子供ならば別ですよ(笑)。
なぜとめないのか?
では、どうして高校生の友だちがタバコを吸っているのに、友だちはそれをとめようとしないのでしょうか?本当に友だちのことを考えているならば、たとえ嫌われようととめてやるべきじゃあないですか?なぜ止めないのでしょうか?私はその答えにこういう一言を用意したいと思います。その答えはきわめてシンプルです。
「友だちだから!」
じゃあ、何で友だちは止めないのか?もちろん、「友だちだから(笑)」
友だちって、そういうものでしょ?
「えぇ?違うの?」
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じゃあ、親しい友人がタバコを吸っていてそれを止めたい場合、私なら「ばれたら退学や社会的制裁があるからだ」といいますかね。
元モー娘が未成年にもかかわらず、タバコを吸っているのがばれて干された時期がありました。「お前らだって昔、吸ってたんだろ」という反論は社会では通用しません。法に反することをやるんだったら、制裁を覚悟でやるか(自動車運転における制限速度違反はこれですね)、ばれないようにやるか(脱税などがこれですね)のどちらかでしょう。
ちなみに私の知っている私立高校生は飲酒がばれて、大学受験を目の前に退学処分を下されました。飲酒喫煙、未成年者は覚悟してやっているのかなあ?
今日、倫理受けていた者です^^
私もタバコを友達を吸っていても「全力で止めない」
私の友達はタバコで謹慎になった
タバコを吸っている場も見てた
「タバコなんて金の無駄じゃん」
と言った時に「そうでもないよ」
って返事が返ってきた
だから私は、それ以上何も言わない
吸うも吸わないも人の勝手
吸って謹慎になったって私に害が加わる訳じゃない
注意しない、止めない私が謹慎になる訳でもない
私が止めた所で本人は辞めないと思う
“吸いたいから吸ってる”
なら、別に良いんじゃない?って思う
未成年だとか、そういう事をわかってやってるなら
それなりのリスクだってわかってるはず
本人が懲りなきゃ変わらないって思う
私がそうだったから
だから友達とか周りの人に
止めたり、注意出来る人の気持ちが分からない