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野ブタ。をプロデュース ③ 小さな政府

2006-11-24 23:05:54 | 映画・演劇・ドラマ
先生の重み

 『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系列)と『3年B組金八先生』とを比べると、その舞台となる学校が対照的な構成をしていることに気づかされます。大体、ちゃんとみないとこのクラスの担任がだれなのか、一体、これは何年生の何組なのか、不明なのです。それと比較すれば、3年B組は何年生の、何組か、担任はだれか(笑)分かるじゃないですか。
 先生が重い学校を想定した金八ドラマは、まるで私には『水戸黄門』とか『大岡越前』といった時代劇と重複する、先生依存型のいじめ解決にみえるのです。だから、かならず悪代官が金八先生にはいるんです。

統制の不能という学校

 しかし、『野ブタ。をプロデュース』には、先生は道化程度の、重さしかもっていないのです。先生がHRを統制しているかにみえる学校には皮肉なことにいじめが似合うとは思いませんか?そうです。実は、悪代官的な統制的な先生が誕生する土壌の中にいじめは醸成し、しかも、その解決の不可能性が〈金八先生幻想〉を生むのです。
 ドラマ『野ブタ。をプロデュース』はしかし、そうした構成をとっていません。先生など、このプロデュースにはかかわりをほとんどもっていないのです。先生が統制し、生徒のこまごました事柄に目が届く形式、それは、生徒たちの生活に統制の匂いをたえず振りまくのです。その統制の主が往々にして〈いじめの首謀者〉となっていくのです。
 『野ブタ。をプロデュース』する世界はそうした統制を不能にする世界なのです。私たちは、そういう世界を考えなければいけません。それは、たとえ金八先生といえどもNo、thanks.これが『野ブタ。をプロデュース』の世界なのです。物語はそういう構造のなかで展開していくのです。先生の統制はできない、そして、いじめっ子の統制も同時に無効にしてしまう構造、これがこの物語が開示して見せた学校なのです。
 では、その学校の構造が、統制する主を何が何でも存在させないというものはないのか?実は、それが、単位制高校なんです(笑)。実は、実は、野ブタの舞台は実質単位制高校というのは、あまりに深読みでしょうか、勝手読みでしょうか。だから、単位制高校のみなさんが実感している担任がこの学校の舞台の担任なんだと、赤の担任あたりがちょうどいい担任、そういう学校を『野ブタ。をプロデュース』は前提にしているということなのです。ま、いずれにせよ、最終回、HRらしいエンディングをしています。しかし、そこには、金八先生ばりの担任の影はありません。それはどういうことか、最終回の次回明らかにしたいと思います。

野ブタ。をプロデュース ① 転校
野ブタ。をプロデュース ② いじめの掟
野ブタ。をプロデュース ③ 小さな政府
野ブタ。をプロデュース ④ 消費する他者へ 1
野ブタ。をプロデュース ④ 消費する他者へ 2
野ブタ。をプロデュース ⑤ ストリートへ 1
野ブタ。をプロデュース ⑤ ストリートへ 2



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2 コメント

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質問があります (Unknown)
2005-12-27 14:30:10
木村さんがタイトルに~小さな政府~と書かれたのは・・・・・?
返信する
遅くなりましてすみません (木村正司)
2005-12-29 14:57:46
先生という税金でおまんまを食っている人間が何にでも顔を突っ込む世界を「大きな政府」と呼びたいと思います。要するに公務員=教員の必要性が強く、その力に依存するせかいですね。そうでなく、教員はなるべく生徒の世界に口を出さない、そういう世界を「小さな政府」と書いたつもりなんです。野ブタの世界はもちろん、後者なのです。いじめ脱出の一つのあり方として教員が小さい学校がありうる、こういうつもりで書きました。
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