妄想とテレパシー
いかにも、綾瀬はるかにぴったりの作品ですね。
物語は本当にファンタジックラブコメディーとなっています。男性にはあまり相手にされないと思われる口下手で不器用な主人公の平野木絵(綾瀬)の前に王子様が現れます。王子さまは名家“高台家”の長男・光正(斎藤工)です。光正には、テレパスという読心術があるのです。人の心が読めてしまう、という仮想を想定したフィクションです。
その平野木絵(綾瀬)には、困ったことに妄想癖があります。この読心術と妄想という二つのありえぬフィクションが物語を複雑にし、思わぬ展開を見せるのです。
とてもいい映画ですよ。私は、関係ないとは思いながら、ちょっとシェイクスピアの『真夏の夜の夢』を思い出しましたね。
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妄想について
ちょっとだけ知ったかぶりに妄想について。フロイトがナルチシズムについて書いています。妄想は現実との断絶を意味します。胎児への退行と考えてみるとおもしろいですね。
現実から何らかの疎外を受け、人間が退行する。たとえば、いい年をして自分の事を「幸子はね」っていう高校生がいます。これ、退行現象です。幼児に対抗するのです。現実相応の対応ができずに。
引きこもりを考えてみましょう。精神科医の斎藤環によれば、引きこもりは、個室をもてない日本社会の段階では存在しなかったと言います。個室を持てて、しかも、コンビニに代表されるような引きこもった人間の食料調達をほとんど人的な直接的接触を断って可能となる社会段階になってはじめて可能となったというのです。それは、まるで、胎児です。胎児の世界は、外部と遮断され、そこですべての栄養補給が可能となるのです。そのなかですべてがかのうとなる世界を、自分で作り上げ、その自分が作った世界を愛することができる。それは、それで独立した世界なのです。外部と遮断された世界です。
妄想癖はこの状況に近似します。
男子から遮断された自我は、退行し、妄想の世界を作り、そのなかで自足するのです。
ところが、読心術はその世界に突然外部者としての他者が外的監視をする存在として介入してくることを意味するのです。
さてさて、物語はどのような展開を見せるのか。
人の心を読みたいと私たちは思います。しかし、何から何までお見通しにされたらいったいどうなるのでしょうか。
あなたは私ではないからあなたなのです。それは、自らの妄想を、妄想として知ることのできる世界です。そして、相手を知ることのできない世界です。それは不安な世界です。それは葛藤し、衝突する世界です。人間はそこでしか生きることはできません。この単純な結論へと私たちは誘われます。
ま、余計な解説はともかく、このファンタジーをお楽しみになられるといいと思いますね。
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