制服違反という制服
こういういいかたは、まちがっているでしょうか?それは、
「制服違反をしている人たちにも〈制服〉がある」
一見すると、言葉遊びのように見えるこの事実を見ることが大切です。
少し前、女子はやたらとルーズソックスをはいて靴の踵を踏みつぶして、紺のカーディガンのセーターをまとっていました。街を歩いていれば、伝染病のようにおんなじカッコウをしていました。
男子も、ラップ風とでもいうのでしょうか、ズボンをパンツが半分見えるくらいにずらして、ま、だらだらとはいています。それが判で押したようなおんなじカッコウなんです。
そうです。制服違反には〈制服〉があるのです。そして、彼らはきわめてまじめに「制服違反の制服違反」をしません。〈制服違反〉という制服があるのです。
同調圧力という服装検査
北海道だの、岩手だの青森といった超寒い地方でも、真冬のそれこそ、零下20度といった真冬にも、彼らはミニスカをはき、ルーズソックスをはいているという笑い話をききました。外から帰った彼らは、スカートの下に大慌てでジャージをはき、寒い寒いとコタツの中へ入るというのです。
「みんなが着ている」この同調圧力の威力のすさまじさです。彼らに意志などありません。「みんな」教という宗教がそうさせるのです。彼らはお互いに〈友だち〉という関係のもとにお互いの服装検査をしているのです。〈同じだよね〉この確認のためだけに、真冬の北海道で、ミニスカなのです。この「みんなと同じ」=同調圧力のすさまじさです。それだけ、同調圧力からのがれたときにおそろしい地獄がまっているということなのです。
学校の先生の服装検査をはるかにしのぐ服装検査が暗黙のうちに実行されているのです。それも検査をしているという外見を脱色して、〈友だち〉という装いでこのようなことが発生しているのです。
繰り返します。制服違反に意志などありません。「同調圧力」、ただそれだけです。
男女の距離感
つまり、制服違反というのははやい話、お互いが仲間だという確認なんです。ところが、男女で〈同じ〉という距離感がことなります。男子は
「女子ほど同じだと気味が悪い」
といいます。あそこまで近い距離で同じだと妙なんです。
「机をくっつけて昼飯をたべるほど近いと妙」
「服装の類似があそこまで徹底していると妙」
でも男子も類似なんです。同じでなければ
「ダッセー」
という監視の手が伸びてくるのです。
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ということはできないでしょうか?
先生のおっしゃる”同調圧力”。自分の意志とは関係なく、同じような形にしたり、させられる現象、これは、日本中どこにいっても共通に見られるものですね。
年齢を問わないならば、こういったこともみられます。
それは、ある一定の年齢層になればお決まりのブランド物を持つとか、新幹線のグリーン車内では、申し合わせたようにサラリーマンが日本経済新聞を読むとかいった現象です。みんなが持っているから持つ。みんなが読んでいるから読む。みんながやっていることは当然自分もやらなくてはいけないということが常識化(マインドコントロールのよう)していて、学生時代のそれに限らず、大人になってからも普通に引き継がれていく課程がみえる。人よりおくれることを恐れる。同じでないことを恐れる。大変つまらない見方かもしれませんが、日本社会で受け入れられる人の形(日本規格みたいなものがあって)が時代にあわせて決まっていて、そこから外れると自動的に排除される。つまりその排除をいじめと重ねて言うなら、いじめとはオートメーション化された人間の選別作業なのだと表現することはできないでしょうか?学校時代の同調圧力と、いじめは、日本規格の人間を形作る工程でいうなら、ベースの段階ということです。
ちなみに、中央高校は制服がありませんが、制服があってもなくても同調圧力だけはしっかりと存在すると思います。
お返事が遅れましたが、本文でお返事にあたる文章を書きました。ごらんいただければと思います。私の名前をクリックしてもらうとそこへと飛びます。