ないのにあるとしかいえないもの=超越論的事実
「倫理」は、何を勉強する科目か?
この問いにたいして、今日は、
「倫理」は超越論的考え方を学ぶ
というわけのわからない、また、おそらく私と別れたら普通の人は、人生で二度とお目にかかららないだろう、ことを学ぶということをご紹介したいと思います。
みなさんは、たとえば、こういうことをいいますよね。
「落ち込んだ!」
ま、何かあって気持が落ち込むことってありますよね。
そう、
「落ちる」
んです、気持が。
「落ちる」
は、文字通りモノが下へと落ちるというのが、もともとの意味です。ためしに今、手元にあるものを下へと落としてみれば、私たちは
「落ちる」
を見ることが可能です。
しかし、
気持が「落ち込む」
ときの
「落ちる」
をそれだ、と指し示すことはできますか?
そして、モノが落ちるのと、気持が落ちるのと、同じだ、と比較して指し示すことはできますか?
「何なら私にみせて、指し示してください(笑)」
普通の人はできませんよねえ。
しかし、じゃあ、
気持が落ち込む、という意味の
「落ちる」
は存在しませんか?
それは、あるとしかいえません。
「倫理」は、そうしたあるとしかいえないが、それと指し示すことができないもの、それを考える科目なのです。このように、あるとしかいえないが、それと指し示すことができないものを論ずるずることを私たちは
「超越論的」議論
、と呼びたいと思います。
代表的なものが私たちの
「意識」
です。私たちの「意識」ってどこにあるんでしょうね?人類は科学を進歩させましたが、正確には名指していません。「夢」をビデオにとった人いますか(笑)?でも、夢は確かにあるでしょ?そういうものを私たちは、倫理で考えるのです。
「何だろうね?」
って。ずいぶん、ヒマ人の科目だな、と思ったあなた正解です。
それをヒマ人と考える人は、この科目とは縁がないと思います。
しかし、よく考えてみてください。あなたがご覧になるテレビのバラエティやお笑いなんてみんな、実際に役に立たないのに、なぜか、みてしまうなんてものだらけじゃありませんか?
まなざしの声
今年の私の「倫理」の授業の最大のネタの一つに
「まなざしの声」
があります。
みなさんも経験がありませんか?
授業中に、みんなが当然知っているはずのことを質問されて思いっきりとんちんかんな答えをしてしまった、という経験!そのときに、どこからともなく飛んでくる、軽蔑のまなざしの声
「バカじゃねえ!」
まなざしの声ははたして存在するのか?
それと指し示すことができるのか?
考えてみましょう。
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