高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

野ブタ。をプロデュース ⑤ ストリートへ 2

2006-11-28 23:59:56 | 映画・演劇・ドラマ

生徒ホール

  単位制高校はクラスがありません。学年もありません。制服もありません。だから、教室を一歩出るとそこはもう、ストリートと変わりありません。外部から人がきてもわかりません。その人はどこの学年か、どこのクラスか、わからないことは当たり前ですが、大体、この学校の人なのかどうなのか、さえわからないのです。
  その単位制高校静岡中央高校には1階に生徒ホールと呼ばれるロビーがあります。最初に中央高校へ来るとまずこのロビーに驚くのではないでしょうかねえ。数年前に、落語家を私が学校へ招きました。静岡駅まで迎えに行き、タクシーで学校について、生徒ホールに驚いていました。

「へぇー、ホテルのロビーみたいですねぇ」

  生徒ホールという場こそがじつは、『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系列)の教室だ、と考えたらどうでしょうか?生徒ホールはだれもが通行します。そこで生徒のみなさんに訴えるのです。買って下さい!と。イヤなら買いません。よければ足をとめ、買って行くでしょう。そこで足をとめるも、止めないも買い手の気まぐれ次第です。そういう場を考えてみましょう。そこで、自分を表現するのです。そういう人間関係をじつは、『野ブタ。をプロデュース』は教室として設定していたのです。だから、いいものには足をとめて、それがだれであれ、よければ、振り向いていたのです。そうした空間でこそ野ブタはプロデュースし得たのでした。私ははじめに野ブタの転校についてふれました。転校は過去を忘れさせる、と。つまり、転校は否が応でもその人がだれであるのか、どんな人なのかをわからなくさせるのです。静岡中央高校の廊下も生徒ホールも同様です。その人がどこのだれであるか、それを不明にさせるのです。関心を払っても無駄にさせる構造がそこにはあるのです。
 一歩教室に入って下さい。静岡中央高校はきわめてストリートに近い構造になっています。隣の人を見て下さい。その人がどこからきて、次の時間どこへいくのか、基本的にはわからなくなっています。いま中央高校は800人規模を基本にしています。あまいんです。十倍の8000人にしましょう。そしたら、どの授業へ入ってもストリートが出現するでしょう。どんなに隣の人はだれだ?だれだ?といなかっぺの田子作が気にしてもだれだかわからない学校がここに出現するのです。じつは、野ブタのプロデュースはこういう空間で敢行された、こう考えてくれていいと思うのです。
 
大変申し上げにくいのですが、いじめられる人は私の目から見ても人がどう自分をみているかに鈍い人が多いですね。その鈍さを打ちのめす、それもいじめではなく、自然のなかで打ちのめすためには、まず、この空間が必要なのです。

ふたたび、売り手と買い手

  静岡中央高校は実は、運営にほぼ失敗しています。私は残念ながらそう断定しています。なぜ、失敗しているか、つまりは、失敗しているということを気づかせるシステムのすべての牙を抜いてしまっているからです。その最大の牙は何かわかりますか?それが

「売りと買い」

なのです。来年度から基礎ゼミと称して、新入生の総合学習クラスを実質選択させなくしました。こうして自発性の基本をどんどん抜いていくのです。仕方なくいる、いやいやいる、だれだかわかる空間、こういうものを学校運営者がどんどん入れていくのです。
 いま静岡中央高校を活性化させるのは生徒ホールを市場に変えることです。生徒ホールからはじめるのです。そこで、「売り手」と「買い手」の分離を起こすのです。みなさんはコンサートへいったことがありますか?私は井上陽水が好きなので、ま、総立ちなんてことはありませんが、他のコンサートでは、みんなが総立ちになったりするじゃないですか。あれは、みんな好きで買っているからでしょ!
  中央高校でいえば、生徒ホールで、みかん箱を立てて、
「僕の授業を買って下さい」
「僕の総合学習=ゼミに来て下さい」
「僕の授業はこんなものです」
とあらんかぎりの宣伝とプロデュースをして、授業へとみなさんを誘うのです。そういう場をあらゆる組織集団形成の基礎にするのです。生徒ホールで売るのです。そこで買い手がつかなくても生きていけるなどという甘いものにしてはいけません。退場です。たえず、売り手の予備軍は控えている。現在、静岡県では教員の異動を野球のFA制度のようにしようと形だけですがしています。それを静岡中央高校では実質、教員の異動のすべてにするのです。生徒も、ここでの売りと買いを集団形成の場にすればいいのです。
 
次々と「**。をプロデュース」という企画がでてきたとしてみてください。しかし、安易なナルシスは気まぐれな買い手によってしりぞけられます。そこには、挑戦するチャレンジ精神だけ、どれどれ、どれがいい、おー!これがいいぞ、という素直な気まぐれだけが生き残っていくでしょう。それが、実は『野ブタ。をプロデュース』の教室だったと考えたらどうでしょうか。 
 
最後に、だれか、『木村を。プロデュース』してください。

野ブタ。をプロデュース ① 転校
野ブタ。をプロデュース ② いじめの掟
野ブタ。をプロデュース ③ 小さな政府
野ブタ。をプロデュース ④ 消費する他者へ 1
野ブタ。をプロデュース ④ 消費する他者へ 2
野ブタ。をプロデュース ⑤ ストリートへ 1
野ブタ。をプロデュース ⑤ ストリートへ 2



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11 コメント

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いじめられやすい人 (M.M)
2005-12-31 07:13:53
わたしは、日頃からいじめにあい易いのです。だから書き込みを試みようと思いました。よろしくお願いいたします。



先生のご意見の中に



「いじめられる人は私の目から見ても人がどう自分をみているかに鈍い人が多いですね。」



というものがございます。





これは客観的に自分を観られない

つまり、その場で構成されている言ってみれば~構造を把握できない~とい言い換えてもいいのでしょうか?
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いじめられリピーター (M.M)
2005-12-31 17:22:36
なぜ、このことについて触れるかという理由を述べます。2点あります。

1つ目は

「売り手と買い手の関係」に大変興味があります。



もう一つは先生がおっしゃるように

「その鈍さを打ちのめす、それもいじめではなく、自然のなかで打ちのめすためには、まず、この空間(いじめの?)が必要なのです。」

という点です。

 前者は、先生のお書きになっていることを通して、だんだんと理解できるようになってきました。(これからじっくり考えていきます)

 しかし、後者の「自然の中で打ちのめすためには、この空間が必要です」という「この空間」で打ちのめされることになれきっているわたしは、言ってみればいじめられリピーター。どこに行ってもいじめを受けてしまうのです。だから何度経験しても、改善することなどありえないように感じているのです。

 先生のおっしゃるこの空間で打ちのめされることが必要というのは、よい意味での「自己鍛錬」という意味を含んでいるのでしょうか。つまり、その構造を把握して、よりよく対処するために「その空間」が必要だと・・・?

返信する
空間の意味 (木村正司)
2005-12-31 19:51:05
M.Mさんへ

書き込みありがとうございます。お答えします。M.Mさんがお引きになられた私の

「その鈍さを打ちのめす、それもいじめではなく、自然のなかで打ちのめすためには、まず、この空間が必要なのです。」の「空間」はあなたのご理解されている意味合いとは異なります。

 私は何もいじめられっ子だけでなく、学校の先生自体がきわめて鈍いと思っています。自分がしゃべっているときに、自分のしゃべっていることをきいている人を、いじめられる人はきょくたんに見ることができませんね。僕は、目に飛び込んできちゃうんです。飛び込みすぎるぐらい(笑)。このまえ、授業中にそのあまりの聞いてなさに絶句してしまいました(笑)。しかしね、それだって、ホントに聞いていなかったかどうかはわかんないんです。すると、茫漠たる不安が支配するのです。いじめられる人にないのは、これだ、と僕は断定しています。極端にないんですね。だから、周りはそういう人が自己表現すると「ヤバイ」って思っているのです。

 さて、私が書いた空間はそういういじめの空間ではありません。売買の空間です。売買の空間がいじめられる人には体験する必要がある、と私は思っているのです。売るということ、それも自腹を切って何かをつくり、仕入れ、売る。そして、売れない。売れないというシカトはいじめじゃないでしょ?そういう無視をされることが必要だと思っているのです。それは、買うほうは無視しているのだけれど、そして、多分売れなければがっかりするだろうけど、自然なシカトじゃないでしょうか?

 私は自分の総合学習のクラスの生徒に、雑誌を作って生徒ホールで売ろうと提案しているのです。それで、売ってみればいいのです。不特定多数の人に。売れやしないから。大体、買ってください、っていえる?

 こういうところから、他人に自己表現し、無視される中で、人に受ける自分をプロデュースする、それがいじめられる人独特の自己中をすこしづつ矯正するチャンスがあるようにみえるのです。ま、しかし、それだって、わかったものじゃない、と人はいうかもしれません。ただ、野ブタのいじめ脱出の意味はそういうことなのです、と言いたかったのです。
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お返事ありがとうございます (M.M)
2005-12-31 20:22:16
先生の言われた「空間」とは、売買の空間だということが分かりました。



いじめられている方が、売りの立場になって他人に自己表現してみる。



無視



(まるで地下で英会話のビラや、ティッシュを配っている人のように、多くの人に素通りされるあの感じかな?)



なかなか(かなり)勇気がいると思います。



しかし先生は、結果はともかく、まずそれをやってみることで、いじめられることからの解放を見るといいたいのですね。



みんながやらないことを自分から率先してやる。「いざという間際」ってこういうことを言うんだろうな・・・。



それから、わたしは入学してから生徒ホールというところに行ったことがありません。教科書を購入しに1度だけありますが。。。



あと、食堂にも1度も入ったことがないんです。こんなわたしでも、こんなわたしでも、できるかなぁ。
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だから (木村正司)
2006-01-01 08:53:07
だから、『野ブタ。をプロデュース』ででてくる主役の修二や彰という幻想がドラマ化されうるのです。そういうあなたをプロデュースする人間の不在、これが問題なのです。いま、教育の世界ではそういう人が教員として制度として足りないということを僕はこのシリーズで書きたかったのでした。
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プロデュースする人間の不在 (M.M)
2006-01-01 15:57:42
先生がこのシリーズで明らかにしたかったことがはっきりわかりました。



「あなたをプロデュースする人間の不在」



でも先生、先生ご自身は、生徒による先生の授業評価という活動を通して,先生方1人1人と、その活動に携わる生徒たちの「プロデュースする場所をプロデュース」しているんじゃないですか?





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いじめられる立場のみかたを変える (M.M)
2006-01-01 21:43:38
これまで、自分がいじめられる環境は、どこに行っても半永久的に続いていくのだとあきらめていました。「世の中」はそういう冷たい雰囲気に包まれているんだと・・・。だから、自分自身をどこかであきらめる習慣がついてしまっていて、それをどうしようとかを考えることも、やめてしまっていました。しかし、このブログを通し「そうじゃないかもな」と少し感じはじめています。

言い換えてみれば、

「自分の弱さに気がついて上手く活用する」ってことなのかな。

自分にはじめて矛先が向いたような感じがしています。

 

気づきの場所を与えてくださり、先生に感謝です。







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M.Mさんへ (木村正司)
2006-01-02 13:41:52
よかったら私の名前のところをクリックしてみてください。前の書き込みの、これが「空間」です。じつは、そういう空間を私たち教員がプロデュースできるかどうか、なのです。
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参考になった抜粋 (M.M)
2006-01-03 17:43:53
この中から、参考になった抜粋を書かせてください。



「みずからの鏡をもつこと。鏡に写る自分との究極の事後としての一致のための準備を事前に重ねること。そして突然の瞬間的な鏡との対面を通して、そのズレを確認し、みずから自身を確認しつづけること、ここに西洋は自律の根源をみるのである。」



空間というのは、”自分が投影される鏡がある場所”

ってことですね。その、自分の姿を見るためには

”事前の準備”が欠かせない。

 

自分を直視するってことじゃないでしょうか。

相手に映る自分を見、それを受け入れる。

しかしそれをしなければ準備すらできない。



それができる人  少ないんじゃないかな。

今のわたしは、鏡の前に自分を投げ出せる勇気すらないから。



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関係 (M.M)
2006-01-04 15:34:41
それから、”関係”という点にも注目しました。



「あの人を変えさせたのは〈関係〉である。二人の間の〈関係〉というものがそうさせたのだ。関係とは同時に形成される。そして、私は私自身では確認できない。それは、ある日、あの人の態度となって現われるのである。」



それは、普段接している人(関係を持った人) 親 兄弟 友達 仕事先の人 先生 ・・・・・・・

の自分に向けられる態度が、自分の鏡ってことなのか・・・。

イヤー、見たくない!!!

それにしても、今急に自分を変えるってなかなか大変でしょ?(曲がったスプーンを元に戻すのは大変!)



ただ今の自分にプラスαしていけばいいんじゃないかなって楽観的に思っているんだけど・・・。

それとこのコーナーのタイトルとどういう関係にあるかって言うと、



「今の自分にただ、プラスしていけばいい」



っていう結論なんです。









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