高校公民Blog

高校の公民科(現代社会・政治経済・倫理)教育に関連したBlogです

教育公務員の特性と倫理

2006-08-02 22:35:04 | 教育制度/行政

質問があります。 (ウェアハウス)
                             2006-07-27 20:02:50 
突然で申し訳ないですが、本文とは関係ないことで恐縮ですが木村先生に質問があります。公立学校の教師は公務員です。そこで質問とは「公務の特性と、公務員としての必要な倫理とは何か?」ということをお尋ねしたいです。公務員である木村先生のご回答お待ちしております。


過日、上のような書き込みのご質問を受けました。少し、本文と離れてしまうのですが、とても大切な問題と思いましたので、こちらに転載し、議論を継続することにしました。問題は、公教育、公務員の存在理由にからむものです。いったい、公務員は何のために存在し、どのような倫理が課せられるのか、というものです。

平等権と社会権 (木村正司) 2006-07-27 23:00:30

■書き込みありがとうございます。お尋ねの件ですが、本文とも関連しますので、私なりにお答えしたいと思います。■公務員の特性および倫理とのお尋ねですが、私は公立学校というものを機能的に考えれば、憲法にどこまでそって活動するかというあたりを考えればいいと思っています。公務員とは公共サービスをどこまで提供できるかということですから、最低限度のモラルとしては、平等権や社会権をどこまで達成することができるかというのが、福祉国家という公務の特性から考えて、公務員のモラルの核心のように思えます。■格差ということがいわれます。その意味でいえばどこまで「結果の平等」や「機会の平等」が達成されているかということを配慮するのが、公務員としての使命であると思います。■その意味では、大体、意欲だの、関心だのを公務員が評価に入れることがおかしいんです。そのような内心の自由に関するものを評価に入れるということがそもそも西洋的な意味での公務員ではなく、サムライ国家の公務員なのではないか、と私は考えています。お答えになっているでしょうか。

ご回答 (ウェアハウス) 2006-07-28 05:58:24

有難うございます。平等権と社会権、大きなキーワードにはなりますね。しかしながら木村先生の文章が少し難解で子ども達に説明するのはもっと平易な言葉で伝えたいので、もう少し平易な文章でのお考えを頂戴いただけないでしょうか?申し訳ありませんがよろしくお願いします。

ソクラテスと話をしているみたいですねえ (木村正司) 2006-07-28 20:30:27

■人権というのは、たとえば自由権のようなものもありますね。身体の自由とか、精神の自由とか。もちろん、そうしたものも基本ですから大切ですが、いま流にいえば、こんな風になると思うのです。■もっともできる生徒がいるとします。野球でいえばイチローとか、松井みたいなひとたちがいます。片一方で、ま、こういう言い方はなんですが、勉強にしても、スポーツにしても、できがあまりよくない人がいるわけです。僕は学校にせよ、公務員にせよ、その職務をいえといわれたら、そういうトップが存在しながら、もっともできが悪い人でも、自分でその分野に参加したいと思えるシステムを用意する、安部晋三じゃないけど、失敗したときにもう一度やろうという意欲ができる環境をいかにつくるのかというのが、公務員の職務と考えたらどうか、と思うのです。少なくとも、失敗しても、できが悪くても、当該社会に参加し、自立したいと思える(あくまで一般論としてですよ)制度を用意する、これが大事なのではないか、と考えています。という意味で、公務員の倫理としては、公正であり、かつ平等であれ、というのが、公務員の倫理のように思えます。
              
ソクラテスなんて (ウェアハウス)  2006-07-28 20:41:17

めっそうもないです。偉大なる哲学者ですから(笑)最後の部分の「公正であり、かつ平等であれ」というのがすべてではないかな~と感じました。しかしながら学校には出来の良い生徒もいれば悪い生徒もいる。やる気のある生徒無い生徒もいる。市民や県民、国民も然りです。そういう場合、公正で平等というのはもっとも難しい壁になると思われます。そこをどうするかが問題なのかもしれません。

小さな市場 (木村正司)2006-07-29 10:10:14

■そのうち書こうと思っているのですが、ヨーロッパ中世史が専門の増田四郎がヨーロッパは小さな都市でさえ、その世界だけで完結していない、ということを書いています。■つい先頃サッカーのワールドカップがありました。そのあと、テニスのウインブルドンがありました。世界のトップが競うわけです。そのときに、私たちは優れた人たちを応援します。そして、自分でもサッカーをし、テニスをするのです。■優れた人と優れない人がいがみ合うことなく同居することは可能です。しかし、そのためには、だれもが自分のフィールドをもてることが前提となっています。個人の尊厳とでもいうのでしょうか。個々人に光をあてるなどと軽くいうのですが、それは、個々人が教育を享受する主体である、という実感をもてなければいけません。そして、チャレンジするということができ、失敗のあとも次のチャレンジが可能でなければいけません。日本の学校はまったくそのことに失敗しています。■小さな市場が、個々人の細かなニーズを保証するシステムが必要です。私が授業評価を推進するここに大きな意味があります。いま、受験以外のニーズをニーズにできません。ここが問題なのです。そのなかで生徒の評価を大切にし、生徒が自発的に参加できる内容が学校の内容にならなければいけません。そのとき、社会権と平等権は具体化するのです。学校は、最低限自動車学校にならなければいけません。自動車学校に強制はありますか?服装検査はありますか?ここから最低限度がはじまるのです。

コメント (ウェアハウス)2006-07-31 17:47:52

有難うございます。最後にもう一度質問ですが、木村先生のお考えになる「公務員としての必要な倫理」については大変よくわかりました。しかし公務の特性というのがいまいち分かりません。「福祉国家としての公務の特性」と触れられていましたが、今一度公務の特性の部分の木村先生なりのお考えをお聞かせ願えたら幸いです。宜しくお願いいたします。

非営利と公共性 (木村正司)2006-07-31 20:03:18

■端的にいえば、営利性がないということが特性だと思いますね。儲けるのではないということです。したがって、市場原理ではなく、基本的な水準を計画的に配備し、また全員が共通なレベルを確保できるようにする、というのが職務の特性になるとおもいます。それは、画一的であるという弊害をもたらす危険はありますし、自由を抑圧する傾向がでてくるんだと思いますが、公務員の特性はそこにあるんです。■公立高校で進学する生徒がいてもいいのです。所得水準の低い子弟にも、十分高度の学歴を獲得できるようにする。だから、親の経済格差とは関係なく教育を受けるチャンスをもてるようにする、というのも当然公務員の責務になりますね。しかし、公務員自体は営利に走ってはいけないのです。公立学校の進学校というのはしたがって微妙だと私は考えています。が、ありえていいのではないかと考えています。

教員が地方公務員である理由はほぼなくなった (木村正司) 2006-07-31 20:07:37

それを踏まえた上で、どうも、私は学校の教員が地方公務員である必然性がどうにもわからなくなりましたね。まもらなければいけないのは、公務員の平等性ではない。担税者の子弟の平等性であって、それが公務員でなければいけないという理由はますます希薄なってきているとみています。

公務員って (ウェアハウス)  2006-08-01 13:25:33

ぶっちゃけ完全なるサービス業ですよね?しかしながら非営利団体。う~ん、難しい。利益を生まないサービスを行うって何か矛盾・・・。


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2 コメント

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公務としてのサービス (木村正司)
2006-08-03 15:46:53
■続きを書きます。公務としてのサービス業というのは、それほど不自然なものだとは私は考えていません。たとえば、月並みな例ですが、消防というサービスを考えてみます。これは営利では成立しないのではないでしょうか?大体、自分だけ火事をおこすということにはならないし、他人が出火したものを私が私費でというのも、なじまないと思います。■これと同様にして、よくいわれますが、過疎とか、所得が低い人へのサービスは、それが憲法に保障されるように国民がだれしも享受でき、自由競争の最低限度のスタートラインだとしたら、それを民営化して営利に任せることはできないと思いますね。■しかし、問題は教育がどうなのか、ということですね。
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学校教育という公務 (木村正司)
2006-08-05 15:43:17
学校教育が営利に、ということは完全民営化したとしたら、格差は確実に開きます。したがって、教育の最低限度の享受をする、という意味で、親の資産に関係なく、ある水準の達成が可能になるシステムが必要だと思うのです。その意味でいえば、学校教育という業務は公務だと思います。国はしたがって、何が最低限度なのか、その達成のために資産がなくても達成できるという意味での保障をするというのが、公務の仕事になると思います。少なくとも大学教育を受けられる。それも国公立を受けることが可能となる、という道が開けているべきですね。そこは能力があれば親の資産に関係ないようにする、ということですよね。ただ、その学校が地方公務員でなければいけないのか、ということとは話はまた別になるように思えるのです。くどいようですが。
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