Good Luck !

2006年6月5日開始
北海道札幌市
日々、家族の幸せを願いつつ生きる50歳

王さん、お疲れさまでした!

2008年09月23日 18時16分37秒 | スポーツ

Photo

          

福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が

今シーズン限りで辞任することを発表。

ホークスを率いて14シーズン目。

遂に、ユニフォームを脱ぐことになりました。

           

今更説明するまでもないですが、かつてこの方は、世界で一番ホームランを打った選手でした。

ただ、半兵衛は彼の現役時代のことは、ほとんど記憶にありません。

            

だけど

        

背番号1

一本足打法

ホームラン数世界一

   

という「1」と数字と繋がっている部分にスター性を感じ、ずっと好きで応援してきた人。

(あのバッティングフォームだけは、何度練習しても会得できなかった。。。)

      

1980年に現役引退後は、読売ジャイアンツで唯一となる助監督を勤め、監督になるための英才教育を受け、1984年に監督就任。

だけどジャイアンツで監督を務めた5年間は、リーグ優勝が1回のみ。

選手時代に残した成績と比べると、寂しい感は否めませんでした。。。

そんな彼が1995年に福岡ダイエーホークス(当時)の監督になると聞いたとき

     

ウソだろ

   

本当にそう思いました。

だって、長嶋茂雄と並ぶ、ジャイアンツの歴史に残る名選手がジャイアンツ以外のチーム、それも当時今ほど人気もなかったパリーグの、しかもホークス(当時は下位争いをしていた)の監督になるなんて。。。

だけど、彼はホークスの監督に就任して数年経った後、とあるテレビ番組で言ってました。

      

ジャイアンツの監督時代、批判されて辛いことばかりだったけど

今は、仕事が本当に楽しい。

勝ち負けに関係なく、野球を楽しくやらせてもらってます。

もう、ジャイアンツの監督はやりたいとは思わないけど

ホークスの監督は、可能な限りやっていきたいと思ってます。

    

当時かなり視聴率をとっていた、この番組での彼の発言

ジャイアンツのOBとは思えないものでした。

だけど、この言葉でますます彼のことが好きになったような気がします。

     

ホークスでは、3度のリーグ優勝、2度の日本一。

第1回ワールド・ベースボール・クラシックの優勝監督にも輝きました。

監督としても、輝かしい結果を残したと思います。

     

彼がユニフォームを脱ぐこと。

とっても寂しい気持ちもありますが、体調が思わしくないようでもあるので、仕方ないと受け止めるしかありません。

     

これまで、お疲れさまでした。

そして、本当にありがとうございました。

王貞治さん!