天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

少女よ川は泳ぐもの

2014-08-25 15:20:59 | 身辺雑記

旧盆あたりから猛暑になり川へ来る体力が失せていて。今日ありがたいことに曇ったので11日ぶりで多摩川へ来た。

バーベキューをするのか岸辺に少年少女が多い。小学校5、6年生であろうか。
準備運動をしていると少女が「何してるんですか?」
見てわからないかなあ……うでたてふせ。
ひと泳ぎして岸へ上がって真水でうがいでいると、少年が
「どうして泳ぐんですか?」
むずかしいこと聞くなあ……まだどうして俳句に季語が必要か聞かれたほうが答えやすいよ。
「泳ぎたいから泳ぐ」
「泳ぎたいから泳ぐんですか?」
「ほかになにかある? きみも泳げばわかるよ」

あと数年して高校生になったとき、いまこんな質問をしているようでは、いざデートすることになって、
君は彼女に「キスしていいですか?」と許可をとっているのではないか。一方女子は「どうして私にキスするんですか?」などとけげんな顔をする姿が見えて暗い気持ちになった。
暗いのは雲の垂れこめてくる川だけでいい。

ぼくは次のような少年を待っている。
「おじさん、靴は履いているんですね」と聞いて裸足でないことのほうがいいことを確認する。次に「おじさん、立ってみて」といって水深を確認する。
次は衣服を脱いで水にじゃばじゃば入ってくる。
そういう少年がここにはいないのか。
少女だって差別しない。じゃばじゃば川へ入って楽しむ覇気あるおてんばはいないのか。

勉強は学校で、野球は野球場で、泳ぎはプールで……などなどさまざまな通念が子ども時代から全身にしみついている。
そんな通念はみな他人事だぜ。
自分が参加して決めたことじゃないはずだ。
人は残念ながらどの時代でも通念の中に産み落とされる。
だからといって通念どおりに生きていて、君が得られる君だけのものってなあに?

ぼくは君たちにそれを聞きたい。
通念をかなぐり捨てて泳ごうよ。雨の降る水面の音を泳いで聴いたことありますか?

泳ぐなり小雨の水輪耳の辺に
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龍ヶ崎入選組と暑気払い

2014-08-24 02:02:45 | 俳句
きのうは鷹中央例会。
テーマは二つ。一つは田無の初参加の中田芙美さんのサポート、もう一つは龍ヶ崎の面々と句会後ちょっとした宴会をすることであった。

宴会が盛り上がるには出した句が主宰選に入ることであるが、こればかりはぼくがどうすることもできない。幸い竜ヶ崎の面々は健闘し5人が入選した。
そのなかの4人とひこばえ句会の2人の合同暑気払い飲酒となった。
投句していて都合で欠席した龍ヶ崎のリーダーHさんはあえなくボツ。「来なくてよかったかも」の声が……。

宴会出席者の入選句
チェーンソー唸る男の玉の汗 高嶺みほ(龍ヶ崎)

風鈴や隣家に家族越して来て 白取せち(龍ヶ崎)

ひたすらに一本道を白日傘 清水正浩(龍ヶ崎)

奥志賀の樺の白さや秋隣 小宮光司(龍ヶ崎)

漁火を窓に見てゐる浴衣かな 中田芙美(ひこばえ)

写真機にたまりし景色夏の果 天地わたる(ひこばえ)


主宰選入選率は7割3分。きのうは選がゆるかった。
ずっと入選率は6割5分ていどで推移してきた。この数字は先代藤田湘子とほぼ一緒であったが、暑いところを来た会員にサービスしたのか、出来が総じてよかったのかは不明。


主宰選に入った会心の笑み
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氷水をかぶる馬鹿ども

2014-08-22 18:16:52 | 世相
難病の筋委縮性側索硬化症(ALS)の患者支援と認知度向上のために「寄付をするか頭から氷水をかぶるか」を選ぶキャンペーン「アイス・バケツ・チャレンジ」が話題になっている。

寄付はいいが氷水をかぶるのは馬鹿げていると思っていた。
夏でも心臓マヒ系のアクシデントが起こらないかと思っていたら、CNNが8月22日、10時35分に以下の事故を配信した。
米ケンタッキー州では21日、チャレンジの動画撮影に協力していた消防士4人が負傷するという事故が起きた。
撮影しようとして消防車から伸びたはしごの先の「バスケット」から水が勢いよく噴き出し、電線に近づきすぎたため、消防士が感電してしまったとか。

ただの水をかぶるくらいならご愛嬌であるが、氷はやめてほしい。
要するにお遊びのために氷を使うなど地球でいうと温帯に位置する先進国の贅沢である。

かつてマレーシアのサバ州(ボルネオ)へ旅したときアイスコーヒーを頼んだ。
アイスコーヒーに氷らしきものが一辺かろうじて浮んでいてすぐ消えた。まだ暑いものに入れたらしくなまぬるくて気持ち悪いこと。おまけにその氷のもとの水が悪かったようで下痢をした。
そのとき熱帯の貧乏国で氷を注文することは無謀で非常識な行為であり温帯の人間の傲慢であると気づいた。
熱帯に位置する低開発国では氷をつくる経済力も国力もないのである。そんな贅沢なことにべらぼうな電気料は使えない。それがかの地の実態である。次から暑いコーヒーをふうふういいながら汗だくで飲んだ。
そういう国にとって筋委縮性側索硬化症の認知も氷も同じように遠い存在。
温帯の先進国の贅沢・奢侈をふんだんに含んだパフォーマンスが南北格差を刺激していることくらいに気づく感性はないのだろうか。

難病について啓蒙するキャンペーンはいい。寄付金を出すのはいい。
けれど世界のよその自分たちの知らないところで氷はどういうものなのか感じるくらいの感性がないのはさびしくてならないぜ。

マー君ももうちょっとお利口さんかと思っていたよ。
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俳句の湧いてくる小説

2014-08-22 05:23:03 | 
川上弘美の『風花』を読んだ。
この作者のものは『蛇を踏む』、『溺レる』、『センセイの鞄』、『真鶴』くらいしか読んでいないず、久々。
川上はストーリーテラーではない。映画のように外界の流れを順次写して楽しませるというより舞台のように展開する文体であり宮部みゆきの対極にある。
それも、ぼそっぼそっと科白を語らせるような感じ。

『風花』もそういう感じ。
33歳の結婚7年目で夫に浮気されている「のゆり」が主人公。「のゆり」、雰囲気のある名前だが主体性が希薄で、なんとなく好きになってなんとなく結婚して、どうしてだかわからないうちに夫に女ができてしまった、という境遇。
このままでいいのか、別れたほうがいいのか心が揺れてふらふらしている。

川上の凄いところは夫と女の関係を描くのに、まるで熟れて崩れた苦瓜のように情欲シーンを赤裸々に描写しようとしないそっけなさにある。
女がのゆりの前で、やんなっちゃたのよ彼は私に歯を磨かせてばかりいるから、みたいなことをぼそっという。
男の歯を磨いてやるなどどんなに激しい情欲シーンを描くよりリアルで濃い。

『風花』にかぎらず川上は随所に象徴的な物、事柄をさりげなく出す。
これは俳句の手法である。
たんたんと描いていて情緒に溺れることなくグサッと本質に切り込んでくる硬質なものがが地雷のように随所にちりばめられている。
これが川上の文体である。

本書を読んでいて俳句が三つほど浮んだ。
人の小説を読んでいてその題材を俳句にしていいのかなと思うのだがそのまま盗んだわけでなく、ソースをいただいたようなものだからいいか。
弘美さん、ありがとう。

そういえば弘美さんは俳人でもあり昔、鷹にいた。中央例会のあと藤田湘子と飲んでいたのをお見かけしたことがある。畏れ多くて話しかけられなかったが。
その後、小澤實と「澤」に移りそこで俳句を書いており、小説のほかに句集『機嫌のいい犬』(集英社)を出している。

川上弘美の小説には俳句が地雷のように埋設されている。
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恩田陸の夜のピクニック

2014-08-21 01:51:31 | 

恩田陸『夜のピクニック』2004年/新潮社。
表題が比喩ないし象徴的でなく中身を具体的に伝えていることに驚いた。
すなわち夜間歩行である。

ある高校で朝の8時から翌朝の8時まで歩くという行事をやっている。
深夜に数時間の仮眠をはさんで前半60kmが団体歩行、後半20kmが自由歩行である。
前半はクラスごと二列縦隊で後半は全校生徒が一斉にスタートして母校のゴールをめざす。順位を競う。
自由歩行は仲のいい者どうしが語らいながら高校時代の思い出作りに励むのが通例である。

男子生徒の主人公が西脇融(とおる)、女子生徒のヒロインが甲田貴子。
二人は人に言えない出生の秘密を抱えていることで共通している。貴子はこの歩行祭の際、いままで一度も口を効いたことのない融とひとことでも会話できたら勝ちであるという賭けを自分の中で行っていた。
これは恋愛感情ではなくて出生にかかわることで乗り越えたいテーマであった……。
物語はこの二人にさまざまなクラスメートがからんでめまぐるしい展開をしていく。

したがって本書は「青春小説」というレッテルがはられているが、ぼくはできるだけ多くの教育関係者に読んでもらいたい「教育小説」の要素も大きいと思う。
ぼくがどこかの高校の校長であったら、東京のような車の多い大都会は無理だが、必ずこの歩行祭は部下を説き伏せてでも実施したい。
こういうことを実施する高校が増えれば世の中はいくぶんよくなっていくように思った。

全編を貫く体感は作者の想像力のみからできたものではなかった。作者はさるインタビューで「設定はほぼ母校の行事」と述べている。
ちなみにこういった長距離歩行を実施している高校は
栃木県立大田原高校(85 kmを26時間)
群馬県立館林女子高(31kmを数時間)
山梨県立甲府第一高校(103km~105kmを22時間)
茨城県立水戸第一高校(70 kmを一昼夜)

ぼくの母校(中学校)では集団登山を行っていて生徒は木曽駒ヶ岳へ登るのが恒例であった。けれど本書を読むと登山より長い距離の平地歩きのほうが強いものを印象づけるような気がした。

作者は登場人物のひとりにこう語らせている。
「みんなで、夜歩く。ただそれだけのことがどうしてこんなに特別なんだろう」と。
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