天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

俳句という亡霊

2014-08-02 05:53:34 | 俳句

ネット句会二つ、対面句会一つあるので俳句を作らなければならぬ。
暑いなか出題された「板」を考えることで頭を読書モードから俳句モードに切り替えた。人が題を出してくれるのでやっと作句のきっかけができる。ありがたい。
いろんな言葉の瓦礫を書きつけた紙が数枚机に散らかったとき、
はて、このフレーズはいつかやったんじゃないか、と立ち止まる。

創作ノートと投句記録ノートをひっくりかえして調べる。この作業が嫌なんだ。80%はすでにやっている。それを確認すると自分はあれから少しも前に行ってないじゃないかと思う、それで滅入る。
調べるノートは5冊。俺の人生ってたった5冊なのかと感じるのも嫌なんだ。暑い空気を扇風機で回しているだけとよく思う。
山地春眠子さんも「同じことを繰り返している」とおっしゃるので少し安心したが傷を舐めあうようでいじましい。

いつだったか中央例会に「鳥渡る携帯電話位牌めく」を出した。
あとでAKに鷹に出した句を出したらダメじゃないと叱責された。どうして人の句の事情を知っているのか。「私が巻頭のときあなたが4位だったから覚えてる」といってにっこりするではないか。クソったれ!悔しい。
成績がよかったときの一句なのにもう出したことさえ覚えていない。
俳句をやっていると痴呆を防げるという説もあるようだが嘘じゃないか。

活字になると亡霊から解き放たれるのがふつうだがそれでも亡霊がつきまとうこともある。
だから書いた句はどんどん出して処理してしまわなければならないが鷹には毎月6句しか出せない。使わない俳句が瓦礫のように残る。
次のシーズン、その瓦礫がまた動き始めて亡霊が出てくる。

奥坂まやにひと月何句作っているか聞かれ40句と答えたら言下に「100句作らなきゃダメよ、100句」と言われ驚嘆したことがある。
数を書けることは才能だと思った。一流の打者が毎日素振りを何百回もこなせるようなものだ。 
まやさんは鷹以外にも出す場所はあるだろうがそれでも使わない句ばかりだろう。どんどん捨てているということだがほんとうに捨てきれるのだろうか。亡霊が復活してこないのか。亡霊につきまとわれずに新しい言葉が泉のように生まれてくるのだろうか、いつか聞いてみたい。

ぼくの頭の中は亡霊ばかりだ。ゴーストバスターズを雇いたいほどである。だが亡霊を一掃してしまったらこの頭の中に俳句をやるネタがまるで残っていないんじゃないか、という恐れもまたある。
困ったものである。
コメント
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