藤田宣永の『戦力外通告』(講談社2007年)。
定年間近の年頃の男たちが社会から必要とされなくなっていく事情、それによって変化する女たちの状況をいくつかの例を挙げて活写している。
主人公の私はアパレル会社を55歳でクビになる。再就職をめざすがなかなかうまくいかない。
けれど困った事情の男は同級生の中にも多数いて、元プロ野球選手がインポテンツになるという相談を受ける。
元プロ野球選手の同級生は体が立派でアソコの大きさも勃起度、性交回数も自慢していたのだがはたとできなくなる。
この本でいちばん冴えたたとえ話は元プロ野球選手の彼女が、若いころ同時に二人の男とつきあったというくだり。
「ひとりは心の相性はぴったりだったけど、あっちのほうは淡泊すぎるくらいに淡泊だった。もうひとりは、性格的には合わないのに、あっちの方は私の好みだった」
この矛盾を解決するすべがなくて彼女は二人と別れた。
これに対して私が、
「警察と消防署の対立ですね」という。
つまり、警察は防犯のため鍵をたくさんつけるように指導するが、消防署は逃げ遅れないようすぐ解錠できるようにせよというような矛盾である、と。
こんな下世話な話にエスプリの効いたたとえを持って来られることに女が色めく。
結婚相手との性の問題、婚外の色恋の話と多彩であるから
「元の鞘へおさまる」といった慣用語もかなり出てくる。この表現はずいぶんなまなましい。
ドイツ語で鞘を意味するScheideは膣も意味する。よってドイツ人に「元の鞘へおさまる」を説明すると彼らはすごくリアルな印象を持つのではないか。
破綻しかけた男女がまたくっついても真の意味で元通りにはなっていないだろう。
男女関係だけでなくあらゆる事象は元に戻らない。
川で流れるようなもので似たような岩や岸が現れてもそれは前の岩や岸でなく、似ていて違うものなのだ。
セックスは刀と鞘の関係と一緒でシンプルであるが同じ相手であってもそのつど感覚が微妙に違う。
この小説の中の男たちは妻と、また愛人と「元の鞘へおさまる」ことを願うがそのことがかえって女たちを遠ざける。
男女関係は元通りにはならない、と考えないと救いはないですよ、と著者は言いたいようである。