談志は饅頭こわいといったが、俺はうんここわい。
水が見えないほどぐつぐつ出た黒々したやつは俺の行方を真っ暗にする。
20時半から21時に寝ると1時半ころいったん目が覚める。
このとき便意を覚え排便して寝る。
それから3時間寝て起きるのが日課だが、このときの便意は凄い。
便意が突き上げてというか、突き下げてというか、うんこしたいのと目が覚めるのが一緒。
ゆっくりしていてはダメ。
15秒以内に便座にすわらないと尻をよごしてしまう。
二階のトイレのウォシュレットがこわれていて一階へ13段をおりるのだが音を立てると妻が起きる。
静かにすばやく一階のトイレへ急げ、急げ!
20秒かかるとパジャマが汚れる。
うんこはとぐろを巻いたり波打ったり毎日ちがうがその量は半端じゃない。
だいたい水を隠してしまう。
ほっとして煎茶を飲んで落ち着くのだがこれが刺激となってまたうんこしたくなる。
深夜から早朝にかけて都合3回は便座にすわる。
ときに昼ごろしたくなるときもある。
そんなときは妻がトイレにいたりする。バカヤロウ!
あいつはやたら長い時間トイレを占領する。
「何してるんだ」と聞くと「決まってるでしょ!」と声が荒い。
あいつはトイレへ行く回数は俺の四分の一だがその時間は四倍だ。
なんでもっと出そうになってから行かないのか不思議でそれを言ったら怒った。
伊沢惠は「冷まじや女医に訊かるる性のこと」と詠んだが、
生殖と排泄の器官はなぜこんなに接近しているのか。
生殖も排泄も旺盛な若いときは排泄の冷まじが目立たなかったが、生殖から遠ざかるにつれて排泄、とくにうんこがえらく冷まじい気がしてきた。
まだうんこを便器でできるからいいがあと10年してできているだろうか。
ぞっとする。他人事じゃない。
寝込んでいておむつしてその中へ垂れ流ししている姿を思うと死にたくなる。しかしいまは死にたくない。
誰かが俺の世話をしているのか。こわい。恥ずかしい。というか屈辱!
老人医療や介護に金をかけるなんて意味ないんじゃないか。
老人政策は「姥捨」でいいんじゃないか。村の年寄りは70歳になると「楢山まいり」に行くのが習わしという『楢山節考』こそ正解じゃないのか。
生産できなくなった老人はさっさと死んで若い世代に活躍の場を譲るのが生物界の王道じゃないのか。
林業が廃れて人の行かない山ばかり。
そこは老人を捨てる場所でいい。
むかし木喰上人というのがいた。
(1)五穀を断って火食しない
(2)五穀を断ったままで回峯行
(3)ぼん字の読み書き、解釈
(4)石彫および木彫作法
(5)和歌の作り方、詠み方
(6)毎日の勤行、作務
うーん腹が減っていこんなにできなそうもないが、彼のまね事をしていて山中で餓死する。(2)五穀を断ったままで回峯行
(3)ぼん字の読み書き、解釈
(4)石彫および木彫作法
(5)和歌の作り方、詠み方
(6)毎日の勤行、作務
山でいくらうんこ垂れても誰も文句いわない。死んだらすなわち樹木葬。
あふれる老人と見捨てられた山林はこのように結びつくのが健全。
少なくとも若い女性を殺して遺棄するより老人がくそ垂れ死にするほうが未来があるぜ。
うんここわい、うんここわい、食うのもこわい、けれど食う。もっと少なめにしよう。
それでもうんこがよく出てしまう。
生きているって冷まじい。熱いうんこが出ても冷まじい。