小池真理子著『虹の彼方』(毎日新聞社/2006年)を三日で読んだ。ハードカバー版で500ページ以上あるが物語に引き込まれた。
小池といえば恋愛もの。
さまざまな恋を書いているが『虹の彼方』は恋というテーマを正面から押していて小気味がよく迫力がある。
筋立はまことに簡単。
48歳の人気女優志摩子と43歳の売れっ子作家の正臣が出会い恋に落ち駆け落ちするというもの。
二人はそれぞれ家庭を持っているから世間でいう不倫である。
登場人物が少なく事柄にスリルはなくほとんど主人公二人の心理を描く。二人の気持を主にこの分量を書き切る能力は凄い。
小説における恋は俳句でいう桜みたいなテーマである。
桜は誰でも知っているありふれたテーマである。同様に恋も誰でも知っているかに見えるポピュラーなテーマである。
あるふれたもの、ポピュラーなものを正面からとらえて飽きさせない作品にすることは難易度がべらぼうに高い。
たとえば桜だけを詠みなさい。水とからめるだけで、あるいは月とからめるだけで詠みなさい、といわれても呆然としてしまう。
わかっていそうな事の薄皮を剥いでどんどん剥いでその本質に迫るのは案外むつかしい。
小説は恋をメインテーマにしてもさまざまな目を楽しませる事柄を見せることによって読者におもしろみを提供することが多い。
ミステリーには鉄道や時刻表を使うなど手品的おもしろさを発揮するものがあるし、法廷ものには一般の人が知らない法律の知識を紹介することで興味をつなぎとめたりする。
そういった目を楽しませるさまざまな企てがなくて恋そのものへ切り込んだ本書は朴訥なエネルギー勝負をしているといっていい。
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ネットの読書メーターのコメントを見てみる。
ダブル不倫の話。どうなんだろうなぁー、不倫かぁー。全てを投げうってまでの恋!と熱くなるか、おいおいあんたら理性はどこにいった!と呆れてしまうか。(ウメ)
真理子さんならではの美しい描写満載で、素敵ですが、 うーんでもあまり感情移入できなかった。 おいおいそこまで溺れちゃうか!みたいな!(Lily)
ただ逃避行はいただけません。ほかに方法があったはず(ミカママ)。
志摩子には男を見る目がまるでない。正臣は考えが幼稚すぎて駄目だ(白猫の単語)。
お互いの家庭があるのに、恋に落ちて、逃避行をしてしまったのは、何だか痛い。自分結婚してるから浮気された奥さんがかわいそう。(ラビ)
大人の恋愛に憧れるけどこんな恋愛はしたくないです(さくらんぼ)
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作者はこういったコメントをする世間を大向うに回して、
恋なんて理性じゃないのよ、落ちてしまうものよ、と本書の中で繰り返しいう。
小池は主人公正臣に
「何が間違っていて何が正しいのか、健全な道徳精神とやらの呪縛から逃れきれず、ものごとの本質を一生、知りもしないで死んでいくようなやつらに、聞き飽きたような説教をされたところで、俺の知ったことではない」
と言わしめている。
こういった世間のコメントを読んであるいは予想して小池は、ほんとうの恋を知らないことは幸せでしょうか、不幸でしょうか、とやさしく問いかけ、さらに意欲を得て恋を書き続けるような気がする。
結末もまるで単純。
二人は予想した通り世間の集中砲火を浴びる。
志摩子は世間に対して謝罪することなく凛と胸を張って立ち向かう。これが作者の美意識である。
「あなたはほんとうの恋をしたことがありますか」と作者に問われているような気がする。情事のあとのハーブティーのような風味がただよう。