天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

泣き笑いあり老人ホーム

2018-10-16 05:49:15 | 俳句


きのう老人ホーム句会に訪れた。外来のヒロコさんが遅刻したが玄関の扉を開けると3人のかたが並んでぼくを待っていてびっくりした。
その中のメグミさんは短歌の人。ぼくが短歌でもいいから出して参加するようにとはがきを出したところそれがうれしかったらしく、蜜柑とパイナップルの缶詰をくれた。

メグミさんは感激する人で俳句を読むのは楽しいらしい。次の句を長いこと見ている彼女の目がうるみやがて涙となるではないか。
菊一輪活けて一人のくらしかな ヒロコ

ぼくは一人暮らしの自由を謳歌している毅然とした生き方と思った。一輪という響きが一人を輝かせていて高齢だが日々を自在に楽しむ人と解釈した。
けれどメグミさんは夫に死なれて仏壇に花を供えていると読んで涙したのであった。まあ俳句の読みはひとそれぞれで自由である。
俳句を読んで涙を流すシーンをはじめて見た。映画「散り椿」で黒木華が涙を流すシーンをみて女優って凄いと感動したのだが、同様のことをメグミさんに感じた。

泣きがあれば笑いもあり。
百を越え生きるつもりや菊の酒 わたる

4点も入った。年配者支援の気持ちは少しあったがこんなに喜ばれるとは。評論家のキミコさんが「百までもと多くの人がやりそうなところをさらに突き抜けておもしろくした」といってえらく喜んだ。ここだけの話だがこの句のモデルはヒロコさん。彼女は現在82歳だが大台へ行くのではないか。彼女のお父さんが百を越えたという話がヒントになった。

キミコさんは次の句にえらく郷愁を感じたらしい。
一人背負ひ二人引き連れ芋煮会 わたる

キミコさんは山形の出身で芋煮会はそうとうしたらしい。山形では牛肉を入れると聞き山形へ行きたくなった。
句会というより句をもとにした雑談、おしゃべりだが、老人ホームはこれでいい。句が話題の種火になればいいのである。それで1時間おしゃべりをして笑ったり泣いたりすればいい。

老人ホーム句会とひこばえ句会は分けて考えている。
ひこばえ句会でおしゃべりは基本的に認めない。ひこばえ句会では、山形の芋煮会はね、牛肉を入れてね、なんとか川の河川敷でやるのよ、といった話をすことをメンバーはしなくなる。それはぼくが喜ばないからである。
自分の出した俳句の事情、それがどのようにできたかを説明することもぼくは喜ばない。
俳句は1行に自分が伝えたいことを凝縮するものであり、喋って伝えるなどナンセンスである。
しゃべりたいなら人の句をじっくり読んできちんと句評を述べること。自作ではなく人の句についてたくさん有益なことを述べることである。
それが句会である。

老人ホームのキミコさんは句評がすばらしい。そこから逸脱して雑談にもなるがそのおしゃべりは皆を楽しくする。いい人材である。この人が百を越すかもしれない。


写真:吉祥寺の吟行のさい、桜の木で見つけた茸。食えるかと採ってきたが固くで捨てた
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1 コメント

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こんばんわ (サロマニヨンズ)
2018-10-16 19:15:56
〈自分の出した俳句の事情、それがどのようにできたかを説明することもぼくは喜ばない。
俳句は1行に自分が伝えたいことを凝縮するものであり、喋って伝えるなどナンセンスである。
しゃべりたいなら人の句をじっくり読んできちんと句評を述べること。自作ではなく人の句についてたくさん有益なことを述べることである。
それが句会である。

仰る通りです。そして世の中には色々なタイプの句会があってもいいと思います。
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