吉祥寺 井の頭池
藤田湘子が61歳のとき(1987年)上梓した第8句集『黑』。荒行「一日十句」を継続していた時期であり発表句にすべて日にちが記されている。それをよすがに湘子の6月上旬の作品を鑑賞する。
6月1日 大磯
泰山木咲き高麗山(こまやま)の小家がち
高麗山は神奈川県の平塚市と大磯町に跨る山。大磯丘陵の東端にあたり、標高168m。広葉樹の自然林が残り、「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれている、とのこと。邸宅というような立派な家がない、というのが作者の発見。
6月2日
南風や白面にして草を嚙む
「白面にして草を嚙む」は自分のことだろうが妙な自意識である。白面は色白の意。草を嚙む、はお遊び。無聊ないし懈怠のどうしようもない時間と見る。
松の塵降りしとおもふサングラス
「松の塵」は次の句にある「松の芯」の花粉のたぐいであろう。塵がサングラスに付着したのであろうが、さて「おもふ」が最適かどうか。俳句で「おもふ」を使うと一句が軟弱になりはしないか。
6月3日
磯松の芯や低きにうちそろひ
地味な句だが目が効いていて好感を持つ。「低きにうちそろひ」にはリズムと気韻がある。
6月4日
梅雨めくや佛像は木に還りつゝ
仏像は塗装してあったのか。たとえば金などの。それが剥がれて地の木の肌合いが見える。それを「木に還りつゝ」と表現したのか。
白靴を男に持たせ海を見る
主人公は妙齢の女と見る。女は砂の上に素足で立って砂の感触を楽しんでいる。ストッキングの類も男に預けていると読みたい。男は下僕のように女の言うことを聞いている。二人の関係は短編小説になる。作者が実際に見たのか疑問。想像力が創造力に通じる。
6月5日
薬狩糺の森に近づきぬ
「薬狩」は5月5日に野に出て薬草を採ること。むかしそういう習慣があって季語となった。「糺の森」は、下鴨神社の境内に広がる原生林。京都にあり平安時代から由緒がある。この句も想像の所産ではなかろうか。4日前大磯にいた作者が京都へ旅しているように思えない。1日10句書くとなると、実際に見たもの経験したことだけでは達成できないだろう。「薬狩」を発想して「糺の森」が浮かんだような気がする。
6月6日
箱庭の金殿にして傾ける
「箱庭の金殿」が振るっている。箱庭には川や橋や人物があるが建物、それも金殿ははっとし存在感がある。それが傾いたという俳諧味もよい。
吊しのぶ女将は伊勢の旅にあり
行きつけの店へ行った。女将と話すのも目的の一つであったが不在。がっかりしている。行先の伊勢が効いている。季語も渋い味を出している。
6月7日
人寰(じんくわん)のひびきの中を揚羽過ぐ
「人寰」などという格調の高い言葉がこの句のすべて。寰はちまた・浮世の意。世の中である。要するに雑踏の中を揚羽が通り過ぎたのである。俳句もなにもかも表現の仕方次第だという見本。
6月8日
ひと揺れの地震(なゐ)に持ちたる蠅叩
人寰の句もいいのだが俳句はむつかしい言葉を知らなくてもできる。わっ揺れた、地震だ。そのときとっさに蠅叩を持ったというのである。5秒して揺れが収まったとき、俺は蠅叩など持って何をする気だったのか、と自分の馬鹿さかげんを思う。瞬間の動作、意識を書きとめるのが俳句である。同じ作者がとっさの自分を書いたり、狙って時間をかけて「人寰」を考案したりする。幅広くっこなせるのが湘子である。
6月9日
雲母(きらら)ほどの望がひとつかきつばた
「雲母(きらら)ほどの望」とは何だろう。これは名状できないし名状せずぼかしたのが巧い。俳句はまず物をしかと見せることだが、そうでなっくても言葉が凛として立てばいい場合もある。それは季語がはたらくかどうかであり、この場合「かきつばた」が申し分ない。
6月10日
夕星(づつ)を近しとおもひ羽蟻翔つ
先ほど俳句に「おもふ」を使うことを懸念したがこの句の「おもひ」は前の句の「おもふ」よりは悪くない。羽蟻は家の中にいたかもしれない。窓が開いていてそこから外へ飛び立った。もう星が出ている。「夕星(づつ)を近しとおもひ」は湘子らしいリリシズム。甘いが羽蟻のようなものに対して考えつくのが並みではない。
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