天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

角川俳句賞受賞作を読む

2018-11-25 06:13:05 | 俳句


第64回角川俳句賞は鈴木牛後氏が「牛の朱夏」で受賞した。選考委員の小澤實氏、正木ゆう子氏が◎、岸本尚毅氏が〇という圧倒的な支持を受けての受賞であった。
鈴木さんは昭和36年、北海道生まれ。
正木さんは「格段に厚みがあって清潔な句」、小澤さんは「牛という、はっきり詠みたいものが確か」と評価している。ぼくも最近のこの賞の受賞作の中ではいちばん納得する作品群である。

50句の中からぼくの気に入った句をいくつか見ていきたい。

仔牛待つ二百十日の外陰部
とりわけこの句は気に入った。「二百十日の外陰部」は大胆不敵ではないか。「仔牛待つ」という即物的な期待がいい。外陰部として生殖器としなかったこまやかさにもニンマリした。外陰部としたほうが見えるのである。

秋草の靡くや牛に食はれつつ
牛と深く付き合い牧場で過ごす時間がたっぷりある人でないいとこの場面は切り取れないだろう。

初雪は失せたり歩み来し跡も
外陰部みたいな大胆な攻めもあればかような素材への繊細な接し方もある。

短日や並びし牛の背なの波
牛を集めて牛舎に入れようとしている場面だろう。それは季語でわかる。中七下五の描写で複数の牛がよく見える。牛の背中の線は見どころである。

涅槃雪牛の舐めゐる牛の尿
人間の感覚では汚いとかが先行するが牛に接しているとそれはなくなる。動物は必要なものを何からでも摂取する。そういった自然の節理を季語が支える。この季語は秀逸。

母胎めく雪解朧に包まるる
雪解の季節の天地が水分で充満する景色を豊かに描く。

まひるまや陽炎を吐く牛の口
あの生臭い息を陽炎といって悪くない気がする。作者の健康感がいい。

牛死せり片眼は蒲公英に触れて
正木さんが「滅多に目にする場面ではないけれど即物的に詠まれていていい句」と評価する。珍しい素材や場面は奇異が先立って普遍性から遠くなりがちだがこの句にはぼくもついていける。たくさんある牛の句の中の一句でなくても単独で立つ句である。

菜の花に畑いちまいの膨らみぬ
畑が膨らむというのは類想がないわけではないが菜の花を得て説得力があり読み手を豊かな思いにさせる。

星の鳴る夜空だ遅霜は来るか
荒っぽい詠み方に遅霜を恐れる気持ちが込められている。「星の鳴る夜空」に北海道ならではの寒さが感じられる。

発情の声たからかに牛の朱夏
題名とした句である。素直におおらかに書かれている。

美味き草不味き草あり草を刈る
草を3回繰り返すしつこさに笑ってしまった。下五を替えられないかしばらく考えたができない。これほど牛の立場で書かれている草刈の句は読んだことがなく脱帽といったところ。

トラクターに乗りたる火蛾の死しても跳ね
いいところを見ていて実感がある。一緒に跳ねている道具なども見える。

我が足を蹄と思ふ草いきれ
牛の足を見る生活の中で自分の足も蹄に化したというのは納得できる。ここまでのめり込める対象があるのを羨ましく感じた。

鈴木牛後さんはユーモアのある方と感じた。その俳号に誰しもが「鶏口となるも牛後となるなかれ」を思うからである。

牛飼いといえば、伊藤左千夫の「牛飼がうたよむ時に世の中のあらたしき歌おほいに起る」を思った。伊藤左千夫は大正に亡くなった歌人でそのころ酪農は生業として産声を上げたのだろう。しかし現代のグローバル化した世界において日本の酪農は成り立つのか。
「牛の朱夏」という作品のすばらしさの裏面の現実の辛さを考えてしまった。



撮影地:多摩川、是政橋付近
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