小川軽舟が鷹7月号の「山気」という題で発表した12句を山野月読と読む。山野が○、天地が●。
新緑やこどもの頃のひかり号
○「ひかり」ではなく「ひかり号」とすることで、いかにも東海道新幹線開通当時の時代感を醸し出してます。
● 当時、最新鋭だった新幹線にいつの間にか時間が流れたのを感じえらく懐かしくなりました。「こどもの頃の」という措辞がそう感じさせるのでしょう。
○「かつてラララ科学の子たり青写真」を思い出しました。
謁見の甲比丹の襟白牡丹
●甲比丹(カピタン)は江戸時代、東インド会社が日本に置いた商館の長のこと。洋服の大きな襟が特徴だね。軽舟さん、踏絵の句を結構書いていますがこのころ時代物に愛着があるみたです。
○絵として見たことのある南蛮衣装が思い浮かびますね。「白牡丹」は音的には、衣装のボタン(釦)も連想させそうです。
●釦はさておき、白牡丹が新鮮に感じられます。
桐咲くや廃坑を負ふ町の駅
●「廃坑を負ふ町の駅」はよくこの町を描いています。駅から仰ぐように廃坑の跡が見える。落ちぶれた町の桐の花が美しい。
○炭鉱の栄華を知る者がまだ存命で住んでいる町であるがゆえに、その衰亡への変化を背負いこんでいる町。確かに桐が映えますね。
筍に古葉降りつつ夕明り
●「筍に古葉降りつつ」は実直というかまさにこの通り。古い葉の中筍が出てくる。「夕明り」は苦し紛れで付けた感じかな。
○竹林を通しての「夕明かり」。「夕明かり」の中で降る古葉の陰影をイメージしました。
●苦し紛れでではなくて作者の人のなりでしょうね。見過しやすい景にきちんと言葉をあてがいたいという基本姿勢が出ています。
漱ぐ水に山気やほととぎす
○「漱ぐ水に山気」はストレートな感覚・表現ですが、これに斡旋された「ほととぎす」がこうしたストレート感に膨らみを与えている、のかな?
● そうですね、ほととぎすで水はいっそう清新に感じられます。ごくごく飲みたい感じ。
空が地を払へば風や諸若葉
○「空」は「そら」「くう」どちらとも捉えられそうで、「地」との対比で言えば「そら」、句の意味から言えば「くう」がしっくりきそうです。
●君が「くう」と読みたい気持ちがわかります。空を人を超えた大きなもの、キリスト教徒やイスラムの人が思う絶対者みたいな意識でとらえています。大きなものを擬人化した不思議な上五中七です。「諸若葉」も滅多にお目にかからない表現です。
○ただの横風ではない、「諸若葉」の動きが見えますね。
あふれし湯流るるタイル河鹿鳴く
○「あふれし湯流るるタイル」は、事象のプロセスというよりも、それらが同時に起きているようで、豊かな感じ。「タイル」という身近で具体な素材がいいなあ。
● 川に面している温泉宿を感じました。清流に河鹿が鳴いている。それを聞きながら湯に入って湯をまさに湯水のごとくあふれさせた…豪勢です。
深き湯に身のたゆたふや青葉木莵
○句としては別ですが、河鹿、青葉木莵と、何とも羨ましくも賑やかな環境です。
● そう前の句の続きという感じ。軽舟さん、この夏、割とくつろぐ時間があったのかなあ。骨休めをしたのでしょう。
○人目を気にすることなく、風呂の窓も開けられていそうで、いい感じだな。
多佳子忌の臙脂ひとすぢ栞紐
○「栞紐」は句材としてポピュラーかと思いますが、それをここまで単純に表現する手があったかと驚きました。句集の好きな句のページでしょうか。
●句集の好きな句のページか、感情移入していますね。それを促す気配があるしなやかな句。実は作者は第一句集『近所』で「春昼や瑠璃あざやかに栞紐」と書いていてこの路線をもう一度やりましたね。この句の方が鋭く見えると思います。
○そういう句があるのですね。そちらは読み掛けの栞っぽいなあ。
梧桐や古き港の礼拝堂(シナゴーク)
○「古き港の礼拝堂(シナゴーク)」は異国っぽく、ヘブライな感じですが、「梧桐」はどちらかと言えばオリエンタルで、こうした乖離が違和感となるか豊かさとなるか。「礼拝堂(シナゴーグ)」外観の白や「古き港」の錆びたような色イメージに「梧桐」の濃い緑が鮮明。
● ヘブライとオリエンタルねえ、そう、だからぼくはこの季語は動くかもしれないと思います。こういう句は作者の嘱目を尊重してそっとしておこうと思います(笑)
○私は知らないのですが、国内にこうした所があるのか、知りたいな。
声遠し双眼鏡の瑠璃鳴けば
●不思議な感じがしました。100mほど先の瑠璃を見ていてそれが鳴いたとき声を遠く感じたという句意。当然といえば当然だが言われてみると瑠璃の声が逆によく聞こえる。
◯そうなんですよね。視覚的器具である「双眼鏡」が聴覚的にも機能しているような錯覚。
●俳句ってこういう不可思議な感覚の錯綜する世界をつくることができるのが魅力と再認識しました。
○今月の中では最も気に入りました。
●同感です。簡単に書いていてトリップする感覚がいいです。
湖の魚鼈(ぎょべつ)悦ぶ梅雨に入る
●「魚鼈」は、魚とすっぽん、水中に住む動物の総称。「魚悦ぶ」ではどうしようもなく「魚鼈」という固い音感で持った句だろうね。
◯「魚鼈(ぎょべつ)」とは初めて知る言葉です。この句は下五の前で切れるんですか?それとも上五・中七は「梅雨」の形容句ですかね?
●ぼくは切れずに梅雨を形容していると読みました。
○切れないとすると、水の中にいても、或いは水の中にいるからこそ、梅雨が好きという感覚は嫌いではないですけどね。作者は雨が嫌いなんだな、きっと(笑)
●いや作者は雨が嫌いじゃないと思う書きっぷりですが、この句あまり好きじゃないんです。作者は擬人化の名手で「道ばたは道をはげまし立葵」(呼鈴)、「古暦北極星も沈みたく」(手帖)、「寒晴や海におどろく町の川」「手がのびて土筆思はず目をつぶる」(朝晩)などたくさん書いています。いくら名手でも多く見過ぎてやや食傷気味なんです。
撮影地:多摩川(讀賣新聞社前あたり)