天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

世界を口に入れよう

2020-06-10 04:53:31 | 身辺雑記


きのう国分寺跡の桜の実を採取した。作業中、3歳ほどの少女とその母と思われる女性がまだ赤い桜の実を摘んでいた。ぼくが摘みながら口に入れていると「食べられるんですか」と驚くので200粒ほど摘んであった半分を少女にやった。「家へ帰って洗って食べようね」と帰ったが、さて口に合ったか。
いま同居している孫(10歳)は桜の実を苦いといって嫌い8歳は口に入れようともしない。情けない。日本人は学校で学ぶことが基本でありそれはすばらしいことだが、観念の学問だけでは物足りない。野山や川や海へ出て物を口に入れて味わうべきなのだ。食えるもの食えないものをナマの状態で察知する能力が大事。そのとき食えなくても煮たり焼いたりで食えるようになりそうという予想を立てられる能力を養わなきゃ。

きのう桜の実のいくつかが木についたまま萎んでいた。水分をなくして乾きつつあった。これを食べると通常のものより甘味が増していた。自然がいろいろ教えてくれる。きのう採った500粒の一部をいま天日干しにしている。半乾きにして食おう。

きのう西武線恋ヶ窪駅でいただいた枇杷はまるまる太って質が良かった。遊びに来た孫(男子1歳2ヶ月)にやるとどんどん食う。妻があまりやらない方がいいかもという桑の実をこっそりやると手を出すこと出すこと。枇杷よりのめり込んだ。こいつの味覚は優れている。ほかのことは凡庸な気がするこの男児の食に対する貪欲さがすばらしい。こいつを野生果実ハンター2世にしようかと思い立った。
この子なら胡桃の微細な味わいがわかるだろう。桜の実も桑の実も胡桃も似たように見えていて1個1個味が微妙に違う。特に胡桃は中の色の違いは味の微妙な違いに通じる。ぼくは黒や褐色の濃い胡桃の腐敗が始まったときの味を至上と感じている。

世界は口に入れて味わうべきなのだ。愛は口であり接吻である。同居している犬も手を舐めて愛情を示そうとする。もっと口に入れてみることで世界は広がる。


国分寺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする