森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

故郷の道を歩く

2017-09-13 01:22:07 | お散歩&写真日記

近頃と言うか、ずっと前からか、私は実家のある横浜の夢をよく見るのです。

それは単に舞台がその場所であると言うだけで、特に私の若い時や幼い時の夢を見ると言うわけではありません。

そしてその場所と言うのも、ある決まった「道」で、しかもかなりリアルとは程遠く摩訶不思議な空間になっているのです。

 

だけど横浜の坂道と言うのは、本当に半端がなくて、その摩訶不思議な空間は本当に存在するのではないかとさえ思えるのでした。

 

「横浜」と言うと、何やら素敵な響きがあると思います。

でもその坂道は、もう一つの横浜の顔だと思います。

 

9月2日に横浜に帰った時に、

その夢に出てくる坂道を歩いてみました。

もちろん夢に出てくるような不思議空間ではありません。

でも

かなり

奇妙な道ではありましたよ。

 

緩い緩い坂道を登って行くと(まだ車は通れるかも・・)

 

 下の道はどこかに曲がったんじゃなくて、そのまま真っすぐに進んだのです。

狭い道をちょっと登り切り曲がると、こんな感じ↓

 またせっせと上ると、

横浜の街の風景が見渡せます。トップ画像もそこから写したものです。

 

一旦大きな通り、つまり丘の上のしっかり車などが走れる通りまで出て、少し歩き、また違う道から下ります。

 

階段が付いている坂道。

 

あっ、下のは普通の階段です。

なんだか同じ感じですよね。

尾道の狭い坂とか歩いてみたいとか思った事もあったけれど、

何もそんなに遠くに行く事はないんじゃないかと思ってしまいました。

横浜も、十分にクロネコヤマトの猫泣かせですよね。

 

 

故郷、横浜でのお散歩日記は、その2に続きます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月11日、月曜日。

2017-09-11 23:54:53 | 梢は歌う(日記)
 
9月11日、日曜日。
 9月11日、金曜日。 9月11日、木曜日。最近、自分の中の老いと向き合わなければならないこともあり、今日という日の朝のバタバタもあり、ためている書きたいドラマ記事......
 

上の囲みは昨年、2016年の9月11日に投稿したものです。

そこを開くと、またその前年の日記と言うツリーになっています。

私の中でも、どんどんと風化して行ってしまう2001年9月11日にアメリカ合衆国で起きた同時多発テロ。あの時とその後に起きた恐ろしい出来事を忘れてはいけないのだと思います。

 

だけど今の私の中には、少々の嵐が…いや、少々のなどと言ってはいけないのかもしれませんが、隣国に対しての憎しみを感じる自分がいる事を今は否定できないと思います。

あの人たちはいったい、国ぐるみのバカなの?

ミサイルが上がったことが誇りであり喜びなんですって。

みんなニコニコしちゃって、気持ち悪い。

あの人たちって、その武器で人がたくさん死んだら、

「わーい、死んだ。ワーイたくさん死んだ。」って喜ぶのでしょうか。

 

教育って本当に怖いですよね。

でも夫が、あの国の中の人もちゃんとわかってる人は分かってると言いました。

そりゃそうですよね。完全に鎖国しているわけでもないし、中国なんかは彼らの安い労働力を当てにしているわけで、見ようと思ったら世界を見る事も可能なわけで・・・(中国からちゃんとした世界が見られるかは分からないけれど。)

姉が、彼らの事を規模が大きいオウムに感じると言いました。

 

あの国を核保有国にしては絶対にダメだと思います。

 

厳しい制裁をすると言っていたアメリカはどうなってしまったのでしょうか。

 

そんな不安を抱える、2017年の9月11日でした。

 

9.11関連記事→「米同時多発テロから16年、NYの夜空に照らされた「追悼の光」

その時に亡くなられた多くの方、またその後に亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おんな城主直虎第36回「井伊家最後の日」

2017-09-11 12:52:52 | ドラマ (大河)

BSで見ているので、ツイッターしながら見ると言う事は最近しなくなりました。「いいな」と思う事があってもネタバレになってしまうので、言葉を選ばなくてはならないところが面倒だからです。だけど、近藤が自分の足で立つところで「立った。殿が立った。」と言うセリフ。思わず笑ってしまいましたよ。

だって、絶対と言っては何ですが、ツイッターではきっと「クララが立った。」と連想した人多数ではないかと思えたからです。

 

「立った。クララが立った。」

もうライター様は分かってやってる確信犯だと、私は思ったね。

 

だけど「ぷぷっ」と笑ってしまったのはそこだけ。

後はウルウルと見ていました。

 

感情移入度がいつも高いので泣き虫です。でも夫の方が感情移入度が高いような気がします。だってマジに怒っているんですよ。

「井伊を終わりにするなんて、決して言ってはならない言葉だよな。よく言えるよな。ちっ、女だからだな。」

「いやいや、だからさ、これは結局は和尚のある意味策略だと・・・」と家族で揉めていたら、

中野殿の「おなごじゃの」と言うセリフ。

 

その時、私は思いました。

夫の「女だから」と言われた時には、女だからダメなんだのように聞こえてきて、ムッとしたけれど中野殿が同じ言葉を繰り返した時に、「そうか」と私は思いました。このセリフは女でしか、この時代には言えない言葉です。

「終わりにする。」などと。

命失っても、前に突き進む。

この時代は、もうこの選択しかなかったようなものです。

 

直虎はこの時は本当に、家の再興を諦めたのかもしれません。でも『無意識の計算力』の高さは女は男の比ではないのだと思うのです。(世の中の反感を買いそうな発言かも^^)

でもそれは別の言い方をすると、大いなる「勘」と言う所。

引いて更に引く。手詰まりになっていた今の井伊に、無意識に搦め手を仕掛ける、または一旦、試合から引き揚げて傍観して流れを見る。そんな時間は必要だったかもしれません。

そしてそれは女だったから、それが可能だったかもしれません。

ただHPのあらすじにあるような「家を再興することが家臣たちを再び戦に駆り出し、新たな悲劇を生んでしまうと考えたのだ。」はないんじゃないかと思いました。なぜなら、それでは近藤の誘いや松下家の養子などおかしな話になってしまうからです。

 

それに再興かまたは終了かで悩む直虎に、今の結論になるような後押しをしたのは南渓和尚で、彼は先の先を考えていたと思うのです。つまり上に書いたような事。だから嫌だと言い張る虎松に大事なアドバイス…というよりも本心を告げる事が出来たと思います。

だからと言って彼を影の支配者とは思っていません。彼は常に直虎・政次・直親らにとって常に「大人」なんですよね。

大事な人ですよね。

 

私、今回、・・・・なんて言うかね。

脳内であれとリンクしちゃったんです。まあ、ぶっ飛んでいますけれど。あれですよ、『ラピュタ』。

あの人たちだって、天空の城を捨てて地に降りて土と共に生きようと決意するまで、そうとうの迷いと言い争いがあったと思います。でも・・・・あっ、この人大丈夫かと、今思ってしまいましたか(笑)

大丈夫ですよ。両方ともちゃんと物語の話と分かっていますからね。

そう、両方とも物語の話ですよ。

 

で、話を元に戻すと、終わらせると言うのは、本当に辛いなとメソメソしていました。

だけど龍雲丸とのシーンは素敵でしたね。

二人の大切な人を失ってしまった直虎にとって

「あなたより先に逝かない。あなたを置いて逝かない。」は殺し文句ですよね。

 

一緒になりたい女がいる、と言われた時の直虎の動揺ぶりは可愛らしかったです。

「名前を知らない。教えてくれませんかね。」と言われても、自分の事と思わずに頓珍漢な事を言ってしまう直虎。

 

自分の事と分かって、はにかみながら自分の名前を言う直虎。

「とわ」

 

その時、私の耳には「永遠」って聞こえてきたんだよね。

 

 

                ※

次週、やっぱり高瀬は武田の冠者 ?

 

 

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「横浜みなとみらい万葉倶楽部」

2017-09-10 01:11:52 | お出掛け日記

月一は横浜の実家に帰りたいと思っています。

9月2日は、その横浜に行ったついでにみなとみらいにある「万葉倶楽部」に行ってきました。

千葉・東京・横浜の街中温泉、つまりスーパー銭湯をポチポチと制覇していきたいななどと言う、

意外と無謀な事をふと思いついてしまったので

早速、今月も行ってみる事にしたのです。

 

今回の参加者は、すぐ下の妹と横浜で一人暮らし中のラッタさんとの3人です。

それでかねてから行ってみたいと思っていた「万葉倶楽部」をチョイスしました。

妹が、

「ここはいろいろと一番だよ。」と言いました。

確かにいろいろと一番でした。

お値段も。

 

だけど他のいろいろの一番の所も気に入りました。

楽しい1日でした。

みなとみらいの街並みに、

私は思わず感激し、スマホでパチパチ撮っていると、

ラッタさんが

「また、この人はどこの千葉の奥から出てきたのでしょうね。」

と、言いました。

 

だってねえ~・・

綺麗なんですもの。

 

 

 

 

万葉倶楽部、いろいろと忙しいです。

まずはお風呂に入って、そして岩盤浴でしょう。

それからお食事して、リラックスルームで休憩でしょう。

それから屋上の足湯コーナーへ行くでしょう。

そして最後にもう一回入浴&塩サウナ。

 

3時半にみなとみらいで待ち合わせをして、だいたい4時くらいにスタートだったのですが、

10時10分のシャトルバスに乗って横浜駅に帰って来て、ほぼ滞在6時間。

それでも要所要所で時間を端折り、6時間滞在では時間が足りなかったと思いました。

 

ここは何といってもロケーションが最高なんです。

いつもは休憩なんかしようと思わないのですが、横になって見える風景が

 

とか

こんな感じですから、リラックスルームにいても楽しかったです。

そして屋上足湯コーナーから見た風景は

 

 

 

 

 イイ感じになっている足湯カップルたちに背を向けながら、屋上を一周してきました。

遠い明りは、ちょっとだけ寂しさなんかも誘うかも。

 

お食事、写真を撮り忘れました。

ああ、いけないと思って、追加で頼んだおつまみの唐揚げとチーズ掛けポテトのみを撮ったのだけれど、

それに意味があるのかは不明

 

 

ジェットバスとかが無いのが寂しいところですが、

とにかく港の海の美しさを見ながら入浴できるところが最高です。

後、タオルなども毎回新しいものを使えるし、着替えも自由なので

岩盤浴で汗を書いた作務衣をずっと着ていなくてはと言う状況にはなりません。

 

また姉妹たちを誘って、行きたいと思いました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰ってきた栞

2017-09-09 01:36:33 | 梢は歌う(日記)

今日、バイトの帰り道、ふと見上げたら月が煌々と輝いていました。

危なくないところまで移動してカメラを構えたら、残念な事に雲の中に入ってしまいました。

それでも月の輝きは同じ。

 

この月の輝きと太陽フレアになんか関係はあるかな。

まあ、ないか^^:

 

月と太陽とか言いながら、さてさて、これからお話するのは、何とも言えないささやかなものなんです。

でも私的には「あらまっ」的な嬉しさがあったのですよ。

 

ひとつ前の記事、「「なかなか暮れない夏の夕暮れ」のその本は、実は図書館で借りたものだったのです。リクエストした時はまだ新刊でしたので数か月待ちでした。そしてそのような本は、こちらの都合とは関係なしに突然順番が回ってくるのです。

ちょうどその時も横浜に帰る用があったのでその往復の時に読み進め、面白いと感じたので楽勝かと思いきや、家に戻って来てからは本を開く時間が取れずに返却の日が来てしまいました。

まだまだリクエストの人は続いていて、延長も叶いません。一旦は諦める事にしました。

返却してそしてまたリクエストを入れておいたのです。

 

今度は最初の時のように数か月待つと言う事はなかったと思います。それでも間に2、3人以上は入ったと思います。

再びその本を借りるために図書館のカウンターに立ち本を受け取ろうとした時、本の間に何やら赤いものが見えました。

しかも見覚えのある・・・・・・。

 

今年の春に、美術館でもらってきたチラシを二枚重ねて栞を作りました。その記事は→「ささやかな工夫で。

私は前回、その栞を挟んだまま返却してしまったのですね。うっかり者の私のやりそうなことです。

普通、図書館の人は返却された本を逆さに振って何も挟まれていないか確認していますので、栞などが挟まれたままになっていると言うのは、本当は不思議な事だと思います。何よりも私の後に読んだ方もその栞を使っていた形跡があって、それもなんとなく私には嬉しかったのです。

ゴミと思われなかった、もしくはこの本とセットになっているものだと思ってくれたと言う事ですよね。

 

 

誰にも捨てられずに帰ってきた栞さん。

 

(敢えて、返ってきたとは書きませんでした。)

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「なかなか暮れない夏の夕暮れ」

2017-09-08 01:18:58 | ユーモレスクを聴きながら(book)

 

なかなか暮れない夏の夕暮れ
江國香織
角川春樹事務所

 

自分自身のスタイルをしっかり持っていて決してそれを崩そうとしない人との触れ合いは、ある意味、孤独を共にする覚悟がいるのかもしれない。

 

だけど、目の前にいるのに本を開かれてその世界に入り込んでいる人の傍らにい続ける事は、一人でいる事と同じで寂しい・・・・・・

なーんてことを、今までの人生で一度たりとも考えたことがなかったので、へえと思ったんだな、これが。

 

本ばかり読んでいる稔と、彼に関わる人たちの、ある意味群像劇だと思う。

物語に劇的な事は起きない。(まあ、稔の友人の彼には「起きた」と言えるかもしれないが。)

とにかく物語は淡々と続いて行く、私たちの毎日と同じように。

だけどそのたいして変化のないような毎日でも、人はいろいろな事を考えてそのほんのわずかながらの変化に喜びや寂しさを感じながら生きて行くのだと思う。

私は稔が好きだなと思う。

だけど彼の元妻は、そんな一人置いて行かれる寂しさよりも、ずっとテレビを見続ける若い新しい夫に、欲しかった家庭を見出すのだった。

そんなものなのか。私なんかはそのテレビを見続ける夫を最初から持っているので、逆にうんざりするけれどな。

 

同じ空間に居ながら別々の世界を旅し、そしてお互いに本をパタリと閉じると、駅で落ち合うように部屋の中で再会をする。そんな生活が私は好きだ。きっと稔と私だったら上手くいくなどと妄想をする。

第一、稔は親の遺産で食べて行けるくらいの金持ちだ。(そこが一番好きかもしれない。)祖父の家は美術館になっているし、趣味でソフトクリーム屋をやっているし、なんだかそんな生活もきっと私は大好きだ。だけど誰もそこはあまり重要ではないらしい。微妙にリアリティにかける。

誘えば本を片手に、嫌々ながらもついて来てくれそうだし、例えば私が仕事をすると言ったら、騒々しい生活を嫌ってもきっと何かしらの応援をしてくれると思う。過干渉を愛だと思う事もなく、邪魔にならないまことに良い男だと思う。

そう言えばそういうシーンがあった。

姉の雀と娘の波十と同じ空間で本を読んでいるシーン。部屋の中は静まり返っていて、ふと我に返ると皆本の世界に没頭しているのだ。それでいくつかの外食の案をけってピザを頼むシーンは、さりげない好きなシーンである。

 

そして本を読む事についても考えさせられる。

稔は食事を作るときも傍らに置いて読み進めた本でも、読み終えて次の本に移ると、もう前の本の事はあまり覚えてもいない・・・・・・。

 

昔、かなり昔。 

私は読んだ本の内容はほとんど覚えていた。そして多読だった。だけど二つ年上の先輩は私よりもさらに多読だった。しかし彼女は読んだ本の内容をすぐに忘れてしまう人だった。その時その先輩の友人が言った。

「読む意味ないじゃん。」と。

 

記憶とは常にインプットし直して継続させるものである。

 

結婚していろいろな事にかまけている間に、その事を怠って来た私。

ある時、若いころに読んだ本の内容をほとんど覚えてない事に気が付いて愕然としたことがある。

昔読んだ作品をまた読み直すべきなのかとさえ思った事がある。

 

だけどこの作品に触れてその本を読んでいるその瞬間が大事なんだと思えたのだ。そしてむしろまた続けて本を読みたくなってしまったのだった。

 

物語はすべて起承転結で成り立っていると、私は思っている。そうするとこの物語の淡々と続く日常の物語の最後はどのように結ばれるのかと、気になって読み進めて行くうちに、ふと気が付けば私はこの本を開けばすっかりとこの本の中の取り込まれている自分がいたのだった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「相棒16」と「クリミナルマインド12」そして、あれはどうしたの?

2017-09-07 00:50:00 | ドラマ(相棒)

今日の「刑事7人」の予告編の後、とうとう「相棒」の予告編と言うかスポットが入りましたね。

「10月スタート !」

これはいつも思うのだけれど、本当に言い方が曖昧でもう今頃は10月何日スタートって言って欲しいですよね。

もう言えるでしょって私たちは思うけれど、きっとテレビの世界って流れるように押されていく毎日と言うか、ピシッと先々の予定とか立たないところなのかも知れませんね。

だけど10月は4日から25日まであるのだから、番組改変の時にくだらないバラエティとかつまらないクイズ番組で埋めちゃうのは無しにして欲しい・・・・。

ああ、違うかも。

テレ朝は、そう言う時、スペシャルなドラマを入れてくれることが多いのでした。みんな同じと思って疑ってはいけませんよね。

 

それで思い出したのですが、あれはいったいどうしたのでしょうか。

あれと言うのは、「必殺仕事人」の事ですよ。

 

なんだか3月ごろに撮影ロケ目撃情報が出ていたみたいで、昔の仕事人がゲストで出るような噂も出ていて・・・・・。

でもその後は珍しくさっぱりと放送日予定とか聞こえてきませんよね。

 

だけど、音楽担当の平尾昌晃さん、お姑役の野際陽子さんもいなくなってしまったので、いろいろとタイミングが難しいのかもしれませんね。

 

それはともかくとして「相棒16」の相棒はみたびの冠城亘。つまり反町さん。彼はどんどん「相棒」の中の相棒になって行くように思えて、なかなか良いと思っているので、新しいシーズンも楽しみです。

「『相棒』が始まるなあ。」と思うと、秋が来ると言う感覚がする私。

だけどなんたって16年ものお付き合いがあるわけで、そりゃ刷り込まれたりもするものですよね(笑)

 

と、ここでまたも私は思いました。

2クール遣るドラマは「相棒」だけではないのでした。

「クリミナルマインド12」。

これはWOWOWで見ているのですが、そう言えばあちらもそろそろよねと調べたら、初回が9月5日の火曜日でした。

ガーン !!

 

でも大丈夫です。来週火曜日のお昼にやっている再放送を見る事にします。

シーズン12はトーマス・ギブソンが解雇されてしまったので、彼が演じていたアーロン・ホッチナ―との別れが待っているのですが、そうとう扱いが酷いらしいです。実質シーズン12の1話が彼の最後になるらしいです。(2話も出るけれど、ほんのちょっとだけらしい…)

 

夏ドラマの最終回はまだですが、秋にはまたどんなドラマが始まるのか、それも楽しみですね。

因みに今回の夏ドラマはちゃんと見ていたのは「ハロー張りネズミ」ぐらいで、あとはテキトーに見ていました。テキトーでも「刑事7人」は好きです。「コードブルー」ももちろん見ていますが、その時間に家にいない事が多くて、いつも録画し忘れちゃうのです。

だけど今は朝ドラ、昼ドラ、大河が充実しているので、そんな程度でも満足しています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ボストン美術館の至宝展」

2017-09-06 02:38:14 | お出掛け日記

【ひとつ前の記事で『今日は更新を頑張る』と言い、せめて二つか三つは書くかと自分でも思っていたのに、結局は書かずじまいでした。
6日の今日からは、ちょっと「やらねばならぬ」ことを始めなければならないので、又も更新が滞るか、簡単な記事、もしくは簡単にした記事を載せていくかもしれません。でも心に溜めるくらいならば、140文字とは言わなくても、短い言葉でも綴っていく事は大事な事なのかも知れないなと思います。】

 

8月17日に蓮の花を見に上野の不忍池に行った時の、もう一つの目的はこの「ボストン美術館の至宝展」に行く事だったのです。

この美術展の「至宝展」と言う部分を忘れていた私は、最近いつも遊んでいただいている星子さんにお誘いするときに、乱暴にも

「『ボストン美術館』のあれに行かない?」

「うん、いいよ良いよ。行きたいところをリストアップしてね。」と星子さん。

「いや、とりあえずね、上野に行って『ボストン美術館』だけ先取りしましょ。」と私は言いました。

と言うのは、ええと、バンクーバーっていつ行ったんだっけなあ。

ブログを見ればわかるけれど、まあ、とりあえずその時のどこかの海辺から(テキトーで済まぬ)アメリカがぼんやりと見えた時に、唐突に、それまで何の興味もなかったアメリカ合衆国に行ってみたい衝動に駆られたのでした。その事を星子さんに伝えると、旅行が趣味の彼女は、アメリカで行っていないのはボストンくらいでそこなら行ってみたいと言ったのです。

じゃあ、そこで良いわと言うよりも、「ボストン」と聞いて、むしろそこに行きたいと思いました。

観光地的にはどうかと思うのだけれど、だってカッコいいじゃないですか。「ボ・ス・ト・ン」と言う響きが。

 

このような関係のない事を書きましたが、でも私の中でこの気持ちがなかったら、この美術館は行かなかったかもしれません。なんかこの美術展用のチラシが好みじゃないんです。そんな所も行くか行かないかって左右されますよね。

 

それに私にとってゴッホの絵は、まだハードルが高いような気もするんです。話がまたまた飛躍するので我慢して書かない事にしますが、ゴッホの絵には思う事がちょっとだけあります。

 

だけどこの展覧会のみどころの一つはこのゴッホの絵なんですよね。

アルルに居た時にお世話になった「ルーラン夫妻」。

解説がなかなか面白かったです。ゴッホは自分の絵を何枚も模写し、夫のルーラン氏は最初の一枚、妻の方は最後の一枚がやって来たのだと。

(逆だったらすみません)

 

妻の絵は「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン夫人」

やっぱりゴッホは難しいなあ。

「子守歌、ゆりかごを揺らす」とあるのに、この女性のまなざしは優しくもなく微笑んでもいない。

分からないなあ・・・・。

だからむしろなんか惹かれるものもあるなあー。

 

家に帰ってからHPのコラムを読んでみると、この絵は耳切事件の後に描かれたものらしいです。絵などはただ感じ取れればいいのかもしれませんが、その描かれた時代の背景を知ることは時には理解する手掛かりになるかもしれません。

何があってもルーラン夫妻のゴッホへのかかわり合い方に変わりはなかったのです。飄々と、または朴訥に描かれている二人。夫人の背景に花を添えたのも、その二人への感謝の気持ちなのかも知れません。ルーラン夫人はモデルになるときにも、気取らず照れて

「ヤダねえ、こんなんで良いのかい。」などと言いながら椅子に座って緊張していたのかもしれませんね。

 

もう一つのみどころは

 「英一蝶の巨大涅槃図、修理されて170年ぶりの里帰り」ですね。

この作品の修理しているビデオなども放映されて面白かったです。

 

この美術館展は構成が7章に分かれて展示されていました。

「古代エジプト美術」「中国美術」「日本美術」「フランス美術」「アメリカ美術」「写真・版画」「現在美術」。

どれも充実していると思いました。

でも「フランス美術」の部屋に来た時に、なぜか私はホッとしました。やはり見慣れているのです。そしてそこに展示されている絵が、やっぱり一番好きなんだと思いました。

そして「アメリカ美術」の部屋では、それらのまったく知らない画家の名前に凄く感心しました。

 

なんていうか・・・・

世界は広くて、まだまだ知らない事ばかりだと、又もここでも再確認し、だから楽しいなと私は思ったのでした。

 

10月9日までです。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百鬼夜行抄26

2017-09-05 15:17:21 | 漫画・マンガ・まんが

【自治会のイベントが一つ終わってヤレヤレと言う気分でいましたが、実はここからが、私にとっては、又も落ち着かない毎日が来てしまうと言う所です。いろいろな部分でやる気をなくしていて、私的には珍しく『ブログももういいかなあ』みたいな気持ちになっていました。でもね、やっぱりね…と言う事で、今日はちょっと更新を頑張るつもりです。そういつも言う時も、たいして更新できないのですが、いくつ更新できるかチャレンジしてみますね。】


毎年、夏に新刊が出る「百鬼夜行抄」。今年はアマゾンで予約して発売日(8月21日だったかな。)にゲットしました。


「百鬼夜行抄」は飯嶋一族の、家族の物語。

一族の物語とするならば、いくらでも新キャラ登場は可能なのですね。

「なるほど~」と私は思いました。

そこに何年も続けられる秘密があると言うものです。

新キャラ登場。それはそれで面白いなと思いました。

でも反面、心のどこかでは律と司のコンビの物語をもっと深く掘り下げて欲しいような気もするのですが・・・・・

もう、それはないのかもしれませんね。


だけどこの物語は、妖魔との関わりを描きながら、本当に丁寧に一族の事を描いていると思いました。さりげなく伝えられていた家族の悲劇。死んでしまった子供と行方知れずになってしまった息子の話。なんとなく飯嶋家にありそうな感じで、イメージの脚色と受け止めていたのに、しっかり開さんは帰ってきましたし、水脈さんのいやいや嫁いだエピソードのたくさんの子供に恵まれて末永く添い遂げたと言う写真も、単なる微笑ましい後日譚にしか感じていなかったのに、そこからまた話が広がるなんて思っても見なかったです。


主人公の飯嶋律の人生だけが先に進まないと思っていたけれど、ようやく彼もやっと一コマ進みそうです。大学院に進学と言う話が出てくるようになり、ようやく大学生からは卒業するようですね。

しかしおじさんはこの家に居て後を継いでくれるなら、生活費の援助はするなぞとのたまいます。

跡取りであるはずの自分が、怖いからと言う理由で家を出て、末の妹に後を継ぐことを押し付けた事に後ろめたい気持ちを持っているのですね。

だけどたぶん、恐ろしい家だからと潰したり逃げ出す事は出来ない事なのでしょうね。

「使命」-たぶんそこには何かあるのかもしれません。お母さんは律におじいちゃんのように世の為になる人になって欲しいと言います。

律は迷うー。おじいちゃんは世の中の人の為になることをやっていたのだろうかと。

少しずつではあっても、メインの部分もさりげなく進んでいるのかもしれないと、そんな風に感じたのでした。


今回は、

「身中の虫」「一夜華」「跡取り息子」「縁の廊下」「けあらしの足跡」が収録されています。

今回は皆面白かったと思いました。

「身中の虫」。民俗学のフィールドワークは大変だと思うし、そこの部分は鵜呑みにしてはならないところだと思うけれど、やはり自分の常識がすべての常識とは、狭い日本と言えども当てはまらないかもしれないと思うと怖いなと思いました。

「一夜華」。映像的に美しい。儚く悲しくもありました。

「跡取り息子」は「身中の虫」と少しだけ通じるところもあって、そしてやっぱりしっとりと悲しい。

「縁の廊下」「けあらしの足跡」はこれからにつながる物語でした。


また来年の夏が楽しみです。


百鬼夜行抄 26 (Nemuki+コミックス)
今 市子
朝日新聞出版


今市子様、お体を大切にしていつまでもお元気で描き続けてくださいませね♪


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野の花マニア 2

2017-09-02 12:01:37 | お散歩&写真日記

ちょっとだけ更新が止まりました。自治会の「夕涼み会」と言うイベントを終わらせたら、なんとなくボーっとしてしまいました。

それもありますが、先日の旅行の番外編を書こうかなと思っていましたが、頭の中でちょっといろいろな事を考えてしまって、なかなか書きだせない感じです。

急ぐことでもないので、そのほかの溜まってしまっている事を、ダラダラ書いていく事にしました。

 

だいたい「野の花マニア」なんてものをやっていると、ちょっとお散歩に行っても大変です。

「キャー、君、可愛いね。」

「あなたは誰なの。」

もちろん口には出しませんよ。怪しい人になってしまいますから。

イヤ、道端にしゃがみ込んで、写真を撮っている私は十分に怪しい人かもしれませんね(^_^;)

 

 

 写真を撮りながら、ふと心の中で歌っていました。

「富士の高嶺に咲く花も、京都先斗町に咲く花も~♪」

ああっ、間違えた。

ありゃ、雪か!?

 

だけどだけどさ、白馬の高原に咲く花も我が町の空き地や道端に咲いている花も、皆同じ花。

枯れてしまえば皆同じ♪

 

だけれど白馬の高原や山に咲く花を、可愛いからって摘んでしまう人は「極悪人」扱いになると思います。

でもこれらの花は、「ああ、増えちゃったなあ。」って草刈機で刈られちゃったりして・・・・涙

 それが花の宿命でもあり、個性でもあるのですよね。

ああ、人の世も一緒だな。

 みんな強く生きるんだよ。

ひっそりと咲いていても、きっと気が付いて見ていてくれる人はいるもんだ。

いや、誰にも見られたり褒められたりしないで咲いて枯れていったとしても、堂々と咲き誇った花の一生を送ればいいんだ。

 

もちろんそれは山で咲く花たちも一緒ですね。

 

そうそう、ついでに公園に咲く花たちも写してきました。

これは8月25日、地域の福祉の会合に出た帰りに撮ったものなんです。

 

この公園のベンチで一休みしながら、会合中に着信のあった姉と電話でおしゃべりをしていました。

 

野の花マニアではあるけれど、もちろん花はみんな好きですよ。

「花追い人」、今年は結構やっています。

秋はまた・・・・

 

いやいや、少々家に居て、掃除しろって思うのですが・・・・

さぁ、それはどうかな?

 

たまには自分と街の風景も撮ってみようっと。

(向きがおかしいかもしれませんが、そのうち訂正されると思います。)

 

今日はこれから実家に向かいます。

そのついでに「街中温泉(またはスーパー銭湯)マニア」の方を楽しんでくる予定です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする