今回、心に残った順に記してみようと思います。
六平太が登場しました。ずっとずっと待っていましたよ。陰ながら傍にいて千代を守るのではなかったの。10年も離れていたなんて。しかも、海を渡って唐攻めの戦場にいたなんて。六平太の言葉は心に残りました。
「人は皆、虚と実を行き来して生きている。」
みんな千代のようにまっすぐには生きてないと、千代を心配して、その後まるで遺言のように、とってもナイスなアドバイスをして去ります。ナイスなアドバイスというのは、よく人を見極め豊臣に固執せず、判断して行けみたいなものだったと思うのですが、よく聞いてなかったのです。うちのパパさんが「ナイス・アドバイス」と言ったので、たぶんそんなとこかなっと。。。 違っていましたか?
何が心に残ったのかと言うと、「」に入れた言葉です。
虚と実を行き来して生きている人は本当にたくさんいるかもなぁ、みんなふうふう言いながら虚構の城を、自分の人生と言う砂の上に築いているのかもしれないなぁ。愚直でまっすぐな者の石垣は、そういう人たちよりは積むのにも時間もかかり小さな城かも知れないが、磐石なものかもしれない・・そんなことを考えていたら、次のセリフがあんまり頭に入ってこなかったのです。
でも、六平太は泣いていました。そして愛おしそうに千代の髪を撫ぜ付けたのでした。
「六平太、行くの?」と言った千代の高い澄んだ声が、別れを予感させて悲しさを感じてしまいました。
千代のようにまっすぐに生きていた大政所、なか様が逝ってしまいました。
菅井きんさんは良かったですね。とっても変な褒め方なのですが、おっかあは本当に死んでいるように見えて、凄いなと思ってしまったのですよ。
なか様と仲の良かった一豊夫妻、臨終の場面に同席していましたね。あり得ないこと山盛りの「功名が辻」ですが、私は今回ほどその不自然さが、気になったことは在りませんでした。ドラマとして、いろいろ、この「功名が辻」流に慣れてきたつもりです。が、制作している人たちも慣れちゃってるのかなあ。せめて、隣室でその悲しみを感じていて欲しかったです。
家族には家族だけの悲しみの場面があるのですから。
ゆかりの地紹介の時に出てきた掛川城。なかなか、趣のあるお城でしたね。お城を中心にした、その町並みも落ち着いた感じがして、一豊ゆかりのその町を歩いてみたくなりました。いつか行けるといいなと思います。
さて、またまた、我が家の「過激な食卓」の登場です。一豊が本に囲まれて部屋にいます。部分的にしかこのドラマを見ていないラッタが、チラッと観て冷たく言いました。
「何で、こいつはこんなことしているんだ。馬●だから勉強でもしようってことなのか。」―確かに似合わない。・・・カモシレナイ―
そこに千代が現れて、「五万石で満足しているのか、・・・・これからは戦ばかりではなく・・・人を見抜いて・・・」と一豊を諭します。
「そんな事言って、こいつにそれが出来るのかよ。」
―どうも、このラッタには一豊は情けない男そのものに映ってしまっているらしい―
「だって、(千代は)乗せるの巧いモン。」間髪入れずにパパさんが言いました。
―オ~、なんか「モン」が否定的。・・・―
「いいのよ、これで。中年夫婦はこのぐらいでなくちゃさあ 。」
―おや、の返事が返ってこないぞ。・・・妻は聡明、夫はおおらか、いいじゃないねえ。千代は時代も家の中もしっかり見渡していて凄いな。ああそれなのに。私は。。―
「アレにも、これにもみーんな甘くてさ・・」つい、そこだけ口に出てしまいました。
「何言っているの?」
「独り言でござる、お気に召さるな。」
って、どうしてあたし、なの? ブー
〈後はメモ〉
茶々は怖かったです。でも、何かにつけて「三成」と頼る彼女が気になります。後に家康たぬきと渡り合わなければならないのかと思ったら、このくらいの人でいいのかもしれないとか思ってしまいました。
子供を失った秀吉がその代わりに得ようとしたものは「夢」だったのでしょうか。信長の目は世界に向けられていた。その影響を受けていたのかも。それとも、信長を超えたかったのかもしれないととで、そんな話をしていました。
そういえば、ルート君、君はこのとき何をしていたの「・・・・」
ダメじゃ、思い出せーん。。。
確かに今回の千代は、もう少し一豊のやっている事を認めてあげても良かったかもしれませんよね。
褒めてからアドバイス・・子供を伸ばす基本だーって、あれ、なんで子供(汗)
>なんで一豊さんの例えが「子供」になっちゃうんでしょうね
ここ、笑ってしまいました。やっぱり一豊さんはそういうキャラなんでしょうか~。(笑)
NHKの描き方も、いきなり本に埋もれさせちゃったりして、いかにもポーズだけと言う雰囲気でしたね。千代は見抜いちゃったんだと思うのですよ。
でも、このドラマの中の千代さんは本当に大切な事をストレートに言うので、時に鼻につくときありますよね。と言うか、私はありました。なんだか主役なのにいまいち感情移入が出来ない。大切な事を工夫もなく夫に言うので、あまり利口な人に思えなかったのです。前にコメントでそれらしき事書いてしまいましたね。
それでも今は、この夫婦はもう中年だと思っているのであまり感じなくなったのですよ。中年の奥さんはこのぐらい言うぞと思っているので(笑)
それとも慣れかな?
庭で戦の訓練をしている新一郎たちを見ていた時の千代の気持ちもよく分からない。
千代の言うことは尤もなことなんだと思うのですが、一豊がしていたこともそんなに言われるほど無駄なことではなかったように思うし。
ちょっと感情的だったような気もして。
読みが浅いですかね~、私は。
子供なりに考えがあって何かをしていたのに、そのことに気付かず注意をしている母のようにも見えたり。
・・って、なんで一豊さんの例えが「子供」になっちゃうんでしょうね~。
真っ直ぐ生きると言う事は結構難しいことなのかもしれないですね。生きたくても、許されなかった権力者やその女達。
又は、生きてきたつもりでも、ふと振り返ると歪んだ自分の人生の軌跡に愕然としてみたり・・・
ただ、千代のように聡明に生きると言う事には及びませんが、真っ直ぐに生きるということだけは、自分にも出来る事かもしれないと思っています
お千代さんの真っ直ぐな所はきっと何時までも変わりませんね。
やはり、今回は六平太の言葉が心に残った方が多かったみたいですね。本当に現代にも当てはまりますね。
それから、千代がプレゼントされた源氏物語、確かに欲しいですね。秀次の選択はナイスと思いましたよ。聡明な千代に源氏物語はあっているように思いましたから。・・・・でも、一豊には似合ってなかったかな、本の山(笑)
みんなが千代さんのように真っ直ぐ生きれたら、
どれ程平和な世の中になったことでしょうか。。。
今の時代も、まさに「人は皆、虚と実を行き来して
生きている。」ですよね。。。
それだけに、お千代さんの真っ直ぐなところは、
いつまでも大切に取っておいて欲しいものです。
いつもありがとうございます。
いろんな場面が描かれましたが
記事にも書いたけど、六平太の
セリフが印象に残りました。
この時代だけでなく現代にも
当てはまる気がしたから・・。
秀次が千代にあげた源氏物語の
豪華装丁本が欲しくって♪
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/bluestar1719/diary/200609100001/61f7e/
やっぱり六平太は印象深かったですね。
>貫禄というかシブさというか、男からみてもなんか憧れますね☆
強いのに、普段は陰の人というところがウルトラマンと共通している所がある・・・と言ったら、こじつけっぽいですか(笑)
>大掛かりな「憂さ晴らし」
それも頷けますね。なんでも欲しいものは、その才覚で手に入れてきた秀吉ですが、子供だけは思うようにいかなかった。年を取ってから、やっと授かった子供を失ってしまったことは、もう、「悲しみ」と言う段階ではなかったかもしれませんね。
しかし、迷惑な・・と言うか、恐ろしい「憂さ晴らし」でしたね。
>秀吉は信長のような「外交」ビジョンというものを持ち合わせてはいなかった
それと共に、磐石な豊臣の存続と言うビジョンもないようにも思えてしまって、
やっぱり彼は成り上がり? それとも、老いて子を得たことで、そういう秀吉になってしまったのでしょうか。
なんだか、取りとめもない感じになってきてしまいました。今日も一日小さな城を築く為に頑張りまーす。
ミチさんも六平太ファンでいらしゃいますよね。あの、鋭い眼光と読み、陰ながら愛する女を見守る・・・クラっと来ちゃいますよ。「陰ながら」というのがいいんですよね。・・・あこがれてしまいます。
「過激な食卓」、面白いと言っていただいてありがとうございます。
kiriyさんは、さすがに表現がお上手です。
いつも感服しとるんですわ(ホントに)
>みんなふうふう言いながら虚構の城を、自分の人生と言う砂の上に築いているのかもしれないなぁ。愚直でまっすぐな者の石垣は、そういう人たちよりは積むのにも時間もかかり小さな城かも知れないが、磐石なものかもしれない・・
なるほど・・・「虚構の城」かァ~含蓄があります。
>子供を失った秀吉がその代わりに得ようとしたものは「夢」だったのでしょうか。信長の目は世界に向けられていた。その影響を受けていたのかも。それとも、信長を超えたかったのかもしれないととで、そんな話をしていました。
ここは、僕は違った印象をもちました。
秀吉は信長のような「外交」ビジョンというものを持ち合わせてはいなかったように思うんです。
秀吉の今回の出兵の理由は、いまもって「謎」ですが、鶴松死後に唐突に決まったことから考えると、“豊臣の子”という唯一確かなものを失った英雄の哀れさ・悲しさのすえの大掛かりな「憂さ晴らし」なんじゃないかなって感じた次第です。
大河ドラマよりも「過激な食卓」の方が面白いですわ、ホント。
権力の頂点に立つということは、ある意味、果てしない終わりのない戦いをすると言う事なのかもなのかもしれませんね。
あまりに伝わってこなかった、六平太の言う地獄のような海の向こうの様子でしたが、、その頃の秀吉は半端ではないストレスの中に居たのでしょうね。
そのなかの茶々の新たな妊娠は「守り神」と思わせてしまうものがあったかも知れませんね。
確かに、子を亡くした悲しみを癒すため
それから北の政所が指摘していた、領地拡大の宿命、これらがからみあっていたのでしょうね。
しかし天下人になっても
苦労はつきないものですね。