森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

金色 & 日々の徒然

2013-12-10 01:35:23 | 梢は歌う(日記)

今日、街の中を自転車で走ったら、街路樹はすっかり冬の景色に様変わりしていました。

公園で金色に輝いていたこの銀杏の木も今頃はすっかり葉を落としてしまっているかもしれません。

 

 

私の幸せはささやかな日常のパーツを組み合わせて出来ているのです。

昨日という日今日という日、そして明日という日をそのような毎日で組み合わせていけば、ささやかな人生にはそれなりの平穏で幸せな人生を過ごしていけるのかもしれません。

慌ただしい12月の生活。

ささやかな確認のメモを綴ります。

 

本日三回目の更新ですが、「本日」では終わらないかもしれません。

 

12月1日は映画の日。夫婦のどちらかが50歳の人が夫婦で行かなくてもシルバーでなくても、または高校生でなくても、1000円で映画を見ることが出来る日です。それとは全く関係がなく夫殿と一緒に「SPEC」を見に行きました。この1年映画ブログは停止中です。でも映画はちょっとずつですが見続けています。最近は彼と一緒にいくことも多くなってきています。

あっ、だから彼って夫殿のことですよ。

2日。

11月に一回お休みしたので、その振替でピアノのお稽古。こんなふうに書くと、かなり熱心な人でさぞかし上達したのに違いないという感じですが、・・・お稽古の日にしかピアノに触らないというテイタラクで猛反省中でもあります・・・って、誰ですか。そんなこったろうと思ってたと今思った人は!?

その後地元の商店街で、お友達とランチをしました。結婚してこの街に来た頃は活気があって素敵だなと思った商店街ですが、時代の流れでここも御多分にもれず静かな通りになってしまいました。だけどそれでも頑張っている商店街でシャッター通りにはなっていないのです。確かに無くなってしまったお店もあるにはあるのですが、その後にちゃんと新しいお店が出来ていて、たまに行くと冒険少女・・・おっと冒険ウーマンになることが出来るのです。

この日も一度も入ったことのない喫茶店にチャレンジしました。私が頼んだのはオムライス。いわゆる「喫茶店の」という味がして、とっても美味しかったです。

 

3日。

火曜日はお仕事の日です。いろいろ反省点があります。

4日。

月一回の公民館でみんなで歌うボランティアの日です。←これ、変な日本語ですが、ここに正式なイベント名を入れたくないので、こんな感じに書いています。だけど今年最後のその日は、半分は声楽家の方を招いてのミニコンサートでした。短い時間でしたが、素晴らしくて充実の時間が持てました。

その時聴いたカッチーニ―の「アベマリア」は本当に心に響いてきました。

本当のことを言うと、私はクリスチャンではないので、いつもならこういう歌にはほとんど感情移入出来ません。はっきり言ってそのポジションがよく分からないからです。もちろんキリストの母なんてことを言っているのではありません。この部分はデリケートな部分でもあって半端にいじるところでないと思うのでこれ以上はナシですが、ここで「いつもなら」と書いたのは、この歌を聴いて、私の脳内ではすべての母というイメージが沸き起こってきたのでした。

母よ母
あなたはなんて偉大なんだろう
生み落とし、そして慈しむ
波のように繰り返しそして繰り返し
すべての生きとし生きるものは、ここまで命をつないできたのだ
ひれ伏して あなたを讃えたい

そんなイメージ。

 

この日は心がたくさん動いた日でした。

ああ、だけどもうこんな時間になってしまいました。

それではまた、明日。

   ※     ※

ちょっと昨晩、書ききれなかった分の追記です。

「アベマリア」の歌を聴いていて、上に書いたようなイメージで聞き惚れていたら、ずっと昔の小学校の頃、同級生の少年が言ってくれた言葉を思い出しました。

小学校の頃、紙粘土で何かを作るというテーマがあると、私の作るものはいつも決まっていました。女の人が首をちょっとかしいで、そして赤ちゃんを抱いているというモチーフのみ。ある学年の時、それがいつになくうまく出来上がったのです。女の人は優しげでしかもどっしりと安定していて赤ちゃんはスヤスヤ寝てるのが伝わってきました。

だからといって誰にも褒めては貰えなかったのですが、自己満足で自分の作品を見ていたら、そこにクラスの天才少年がやって来ました。

そうです。思い出しました。4年生の時です。その学年の時、母と担任の先生の間でちょっとした確執が生まれ、私は何をやっても無視されていたように思います。あの中学年の時代は自信喪失の時代でもありました。

その時少年が私の作品を見て
「この女の人はマリアのように優しい顔をしているね。それを見ていたら『エリーゼのために』という曲を思い出したぜ。」

ここで「『アベマリア』という曲を思い出したぜ。」と書いたら丸く収まりそうですが、それ、出来すぎ。リアルはそうはいかないのです。

そして私はこの時、その少年にそのように言ってもらったので、心が満足してそのモチーフを卒業したのではなかったかと思います。

大人になってからも美術館の絵画で山のように見た、同じモチーフ―

マリアが幼子を抱く構図は、多くの人がずっと心の中に抱えている大切な心の風景なのではないでしょうか

この日は前述の「アベマリア」も素晴らしかったのですが、たった一人の方のリクエストにあった「茶目子の一日」というオペレッタも素晴らしかったのです。かなり昔の曲で、ピアノを弾かれた先生も緊張したと言っていましたが、その流れるようなピアノ伴奏の調べに聴き惚れました。やっぱり頑張ったことは結果が現れることが多いのかもしれません。

 

頑張らなくっちゃ、ワタクシも。

 

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 秋の日の詩のある風景その3 ... | トップ | 錦 & 日々の徒然 »
最新の画像もっと見る

梢は歌う(日記)」カテゴリの最新記事