森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

つれづれゲゲゲ

2010-12-13 02:13:39 | 思いつくまま

もう「ゲゲゲ」のお話は終わり~と思ったけれど、やっぱりここで語らなくては話す事も無くなってしまうかなと思うので、あとひとつだけ書かせてくださいね。なにげに同じテーマと言うのは、飽きっぽい私なのでそろそろ限界なのですが、続けてお読みくださった皆様にも感謝です。
でもだいたい最後に話すことが、一番言いたかったことなんじゃないかなとか思ってみたり。

 

【ゲゲゲと妖怪】

私はかなり妖怪好き。でも好きと言うよりは、結構なお年まで妖怪の存在を信じていたのです。でもそれは、別に水木作品の影響と言うわけではありません。不思議な気配のする家に住んでいたから、そういう人に育ったのです。

だから妖怪を描く水木作品を受け入れる気持ちも大きかったのかもしれませんね。そしてまた妖怪を見たと語る水木先生にも好感を抱いたのも当たり前のことだと思いました。

この話は有名ですよね。戦場で敗走していた時に、ジャングルの中でヌリカベを見たという話。

その話を読んだ時、私は思いました。人はいったいどんな時に妖怪を見るのか。

水木先生の体験を思うと、物凄い非日常の中に陥っている時のようにも感じますが、私はそうではないと思っています。眠れない夜に小豆研ぎの音を聞いたことはないですか。ウトウトとすると、窓辺で聞こえる「ジャリッ」と言う音。雑然としたままの部屋で目覚めると、部屋が妙に騒がしかったりするのに、片付いた部屋の中で目覚めると静まり返っているように感じる。

まあ、この先はまたいつか書くテーマとして保留にしておきますね。時間がいくらあっても足りないような師走に手を出すテーマではないかなと思いますゆえ。

だけど人はその存在を信じたいのだと思います。

ドラマの「ゲゲゲの女房」の中でも、スランプに陥ったしげるが森の中で小豆研ぎと出会い、自分の壁を破るシーンはそのドラマのファンだった人たちには、かなり嬉しいシーンでした。

 

ヌリカベを見たと言うインタビューを読んだのは、中学生ぐらいの事だったと思いますが、その時、初めて水木しげるが片腕の漫画家であることを知りました。普通の反応として、驚きました。耳が悪くなってしまった音楽家や視力を失ってしまった画家、それでもそれを補いながら才能の道を閉ざさなかった人たち、その人たちに通じるものをなぜか感じてしまったのかもしれませんが、その存在自体に勇気付けられました。

【記憶の整理】

実は、一つ前の子供達と見た映画のお話を書こうとした時に、記憶の混乱が起きました。我が家ではねずみ男の事を、時々ちゃん付けで呼びたくなってしまうと言う現象が起きました。それは、「ゲゲゲの鬼太郎、激突!!異次元の大反乱」のヒロイン、カロリーヌと言う可憐な少女の影響です。もちろん、映画のタイトルもリサーチして分かりました。

この少女が、ずるくてセコクテ汚らしいねずみ男と心通わし、とっても可愛らしく「ねずみ男ちゃん」と呼びかけるのですね。ありがちな展開かもしれませんが、人は多面的な存在であるのだとその物語はさりげなく言っているように感じました。ねずみ男の、普段は見えていない部分の善人である面を見つけ出し、信じきることによってその面を前面に引き釣り出したカロリーヌ。

そしてその面を信じる者がいると、その者の為に、その善人で生きようとし奮戦するねずみ男。なかなか奥深いのですよ。はっきり言って、面白いかったのですよ。でも、そのときの子供の反応を覚えていなく、可愛かったカロリーヌちゃんの事を書きたくても、何処に入れ込もうか分からなかったのです。

でも調べてみると、この映画は1986年の作品。先の記事で述べた「悪魔くん」の映画よりも4年も前なのです。どう言う事!?
この映画は、絶対に映画館で見たよねと自問自答。で、調べてみたのですよ。

そして分かったのです。

これは「東映漫画まつり」の1篇として公開され、同時上映は「ドラゴンボール神龍の伝説」「きんにくマン」。
思い出しましたよ、「ドラゴンボール」で。
年末早めに実家に帰っていたところに、おじが招待券をくれたのでした。まだ映画館は早いんじゃないかなと思いましたが、姉達も行くと言うので、ちょっと心強くもあり出掛けてみたのです。

ところが、「ドラゴンボール」ラストで、やはり2歳のラッタ君は飽きてしまい、椅子から立ったりしゃがんでみたり・・
覚悟してきたので、すぐに諦めて席を空け、ロビーでラッタ君の子守・・・あーあ。
映画ラスト、神龍登場シーンの音が聞こえます。ちょっぴり悔しかった映画体験なのでした。

でも、その事がインパクトが強くてすっかり記憶が薄くなっていたのですが、ラッタ君は鬼太郎の時は静かだったのですね。しっかり物語に感情移入していましたから。

この映画は、ちょっと今でも見返してみたいです。
なんと水木しげる夫妻がゲスト出演していたのですね。その時は何も思わなかったと思うのですが、今はもっとそんな部分も楽しめそうです。

そしてカロリーヌちゃんのこのセリフ・・・
「もし妖怪に生まれ変わったらねずみ男のお嫁さんになりたい。」
可憐でしょう。そして泣けるのですよ。

この「ゲゲゲの思い出」は子供達との思い出ばかりではなく、自分の涙とも再会した様に思います。

【恐怖、実はそこに】

思い出は結構尽きないのです。

高校生の頃、学校から帰ってきてテレビを点けると、「鬼太郎」の再放送を遣っていました。
でももう終わりのところで、看守が男に声をかけると、牢の奥にいた男は近づいてきて檻に触ろうとするのですが、その瞬間砂になって消え去ってしまうのです。後には恐れおののく看守が立っているだけ・・・

ああ、どんな話だったのだろうと気になりました。

翌日学校に行って、その話をしても誰もそのお話を知らなかったのですが、・・・

そう言えば、ドラマの中では次女の喜子が、妖怪の話をしようとすると気持ちがられて変人扱いにされるシーンがありますが運が悪い。友は友を呼ぶと言うか、私が高校生にもなって「鬼太郎が・・」といっても変人扱いなどされなかったのは幸せなことだったと思います。

そして盛り上がった「ゲゲゲ談義」。
一人の少女が言いました。
「鬼太郎は結構怖いよ。一人で見ていたりすると、なんとなく後ろを振り向くのが怖くなってしまったりするよ。」

そう、「ゲゲゲの鬼太郎」は怖かったのです。でもだからこそ、鬼太郎は頼りになるヒーローだったのかもしれません。

そしてその「恐怖」こそが、水木作品の骨格を成すものなのではないかしらなんて、ふと思ってみたりもするのですね。

 

実は短編集にも想い出作品があります。お話尽きないのでもうこの辺にしますが、人生を入れ替えてしまった若者の話で、ことある事に思い出す大切な作品です。かなり怖い内容です。

「恐怖」、人はそれを感じて、そこに自分への戒めを見出すこともある・・・

 

「ゲゲゲの鬼太郎」は怖かったと言うことの裏づけですが、今、なんとなくwlkipedaでリサーチ入れていましたら、ちゃんと解説が入っていましたね。怖かったんですよ、やっぱり。

鬼太郎がストーリーに介入する余地が少なく、「正義の鬼太郎が悪い妖怪をやっつける」という子供番組としての基幹コンセプトから外れて、鬼太郎が単なる傍 観者で終わってしまう話や、非常に怖く救いのない話も続出した。その反面、風刺色や怪奇色の強い大人向け作品を取り上げたことにより、水木作品の持つピュ アなエッセンスの忠実な映像化に成功した。原作の意図をよく理解したスタッフは当時の風俗や世相などを取り入れ、風刺やアイロニー、人間の業の深さなどを 描き切り、他のシリーズには見受けられない強いメッセージ性と独特の深い味わいを持ったシリーズとなった。wlkipedaより←リンクしています。

 

冒頭にも書きましたが、長々と同じテーマで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
深大寺蕎麦のレポなんかがあったらもっと楽しかったのですが、それは来年のお楽しみと言うことで♪

 

ゲゲゲの鬼太郎「激突!!異次元妖怪の大反乱」【劇場版】 [VHS]
水木しげる
東映ビデオ
ゲゲゲの鬼太郎 劇場版DVD-BOX ゲゲゲBOX THE MOVIES【初回生産限定】
水木しげる
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする