人はパンだけで生きるにあらず、神の言葉により生きる

イエス・キリストの福音をぜひ知って頂きたい

馬耳東風。

2014年08月19日 | お気に入りの言葉

ただ恵みによって
「このことをわたしは、あなたといっしょにいる間にあなたがたに話しました。」(ヨハネ一四・二五)
 キリストは、十字架を前にして、弟子たちに大切なこと、信仰の奥義について話しました。
しかし、弟子たちにはその本当の意味が理解できませんでした。また、心にもとまらなかったようです。
夫婦の会話でよく、「そんなこと聞いていなかったよ」「あらいやだわ、ちやんといいましたよ」などといっているのを耳にします。
実際は聞いていたはずなのに、聞こえてなかった。聞いてもわかっていなかった。
心にとめなかったということがよくあります。
せっかくみことばを聞くチャンスに恵まれながら、なぜ聞こえていないのでしょうか。
 一つの理由は、いくら話し手が熱心に語っても、聞く方が、心ここにあらず、馬耳東風で、右の耳から入って左の耳に抜けていってしまうからです。
聖書にも「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない」(使徒二八26)とあります。
 イエス・キリストは種まきのたとえで、四種類の地に落ちた種のことを話しましたが、ちょうど道端に落ちた種のように、聞く耳のない者の心に落ちたみことばは、サタンが取り去ってしまうのです。
もう一つの理由は、霊のみことばは、肉の心ではわからないからです。金、金、金で凝り固まった心には、愛の施しは理解できません。
肉欲に凝り固まり、欲望の満足のみを求める人に、きよい生活の喜びを話したとしても受けつけません。
 しかし、このような状態であったとしても、聖霊が働かれる時には、突然のように神がわかり、罪がわかり、救いがわかります。
罪の中に死んでいた者も、神は生かして下さるのです。
 福音書・霊想 みことばの泉 羽鳥明著より