かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

僕のTシャツ(9:ネパール再び・後編)

2007-12-12 11:23:32 | 旅行
旅行5日目、今日も朝食はおかゆとゆで卵だった。結局、このトレッキング期間中、朝食は毎日このパターンだった。おかゆはほとんど味がないので、私が日本から持参した梅干、ふりかけ、フキの漬物が同行の皆さんに好評だった。 
今日は食事を済ませて、ナムチェ・バザールの集落をどんどん上る。100mほどの高さを上ってからは、今度はほぼフラットな道になり、一気にエベレスト方向の展望が開けてきた。そして、山腹を巻くように歩く。やがて、初めてアマダブラム(6,812m)が頭を覗かせる。どんどん上流へ進むにつれ、ぐんぐんアマダブラムが近づき、両肩が見えてくる。アマダブラムとは「母の首飾り」という意味らしいのだが、想像力の乏しい私には、どういう風にみればそう見えるのかよくわからなかった。緩やかな道が続いていたが、やがて徐々にドゥードゥ・コシに下りる道にかわった。ネパールのトレッキングは、こういう風に、何度も谷まで下ってはまた上るというパターンが多いので、何だか損をした気分になる。下りきったところで、ドゥードゥ・コシを渡るとロッジがあり、ここでランチとなる。ランチの後、ゆっくりゆっくりとした上りになる。上るにつれ、カンテンガ(6,685m)が見えてくる。そのうち、次第に下方から霧が上り始め、ぐっと寒さを感じるようになる。最後に、やや急登のジクザグ道を登り終え石門を抜けると、そこはタンボチェ(3,867m)だ。ここが今回のトレッキングの最終目的地点である。  富士山よりちょっぴり高いだけなので、高山病的障害は感じなった。ここタンボチェは、ゴンパとロッジがあるだけだが、ここのゴンパは、本堂が1989年に漏電で全焼したとのことで、残念ながら改築中だった。
タンボチェに着いた時には霧が深くて、周りはほとんど見えず、憧れのアマダブラムも全く見えなかった。しかし、ロッジでお茶を飲んだりしながら休憩していると、次第に霧が晴れてきた。そして、アマダブラムも次第に姿を現してきたので、バシバシ写真を撮る。やがて、最後には沈みかけた太陽の光がアマダブラムの中腹付近を照らし出し、しだいにその残照がピンクへと変化しながら中腹から頂上へと移動する。感動的な光景だった。そして、かなたにはエベレストやローツェも見える。こうして、ヒマラヤに入り込んだという実感に浸るなか、やがてタンボチェは闇に包まれていった。
旅行6日目、朝食の前後にタンボチェを散策したり、雄大なヒマラヤの山々を眺めたりしながらのんびり過ごし、昼前に帰路に着く。エベレストとローツェは、相変わらず頂上に雪煙の尾をなびかせている。この日はナムチェ・バザール、そして翌日ルクラで一泊ずつして5日間のトレッキングを終えた。

そして旅行8日目、ルクラからカトマンドゥへと帰るのだが、このルクラ空港は、山間にあるため天候が安定せず、フライトキャンセルになることが少なくないとのことである。そのため、旅行行程にも予備日が設けられていた。我々の時も、予定時間になってもなかなか飛行機のエンジン音が聞こえてこず、「飛びます」という知らせが届かないので、やきもきさせられた。しばらく待機したあと、何とか飛行が決定され、飛行場へ向かう。無事に搭乗して、ホッと一息ついたところで、ふと機内窓から外をみると、な、なんと私のザックだけが一人ぼっちで積み残されているではないか。一瞬あせったが、次の便に積むからとの説明を受け、安心した。ところで、このルクラ空港は、滑走路が石ころゴロゴロのなだらかな山腹斜面で、地元の方々の往来道にもなっている。そして、離陸時が怖い。斜面の下の方へ滑走するので、まるで谷底へ向かって突っ込んでいくという感じなのだ。だから、離陸に失敗して、そのまま崖を転がり落ちるのではないだろうかとの不安がよぎる。という、私の不安に関係なく、無事に離陸できた。しかし、この日は天気があまり良くなく、ヒマラヤの山々はほとんど見えなかった。そして、カトマンドゥに着いてから、その後ルクラ地域は雲が多くなり、これ以降のフライトがキャンセルになったとの悲報を聞かされた。私のザックは、明日の便で届けられるとのことであった。「あー、かわいそうな私のザックよ
空港からホテルに行き、ボリューム満点の食事のあと、久々のシャワーを浴びる。気持ち良い。でも、着替えのパンツがない。私は、着替えを置いてきぼりにされたザックに入れてあったからだ。そんな私を哀れんだツアーリーダーのKさんが、パンツを貸して下さった。新品ではなかったが、もちろん洗濯されたものだった。とてもありがたかった。このパンツは、後日洗濯してお返ししようとしたのだが、Kさんに「いらない」と言われてしまった。持ち主から見放されたパンツも可哀想だが、そのパンツに身を委ねた私の立場は微妙だと思った。 
このあと、急遽チトワン国立公園へ行くことになった。予定のスケジュールにはなかったのだが、日本人観光客誘致のPRのため今回は割安で行けますよ、ということで、全員賛成で行くことになった。チトワンのホテルにはやや夜遅くに到着した。このTシャツは、そのホテルで買ったものだ。ネパールのシャツにしては、生地も縫製も結構いいものだ。
翌日、象の背中に乗ってジャングルを散策したり、カヌーに乗って川下りを楽しんだり、ジャングルウォーキングしたりする。ここチトワンは、山岳をイメージするネパールの風景とは全く異なった風景だ。
チトワンから再びカトマンドゥに帰ったのだが、私のザックはまだ届いていなかった。やきもきさせられたが、ようやく夜遅くに届けられた。早速中味を確認したところ、ザックのポケットに入れておいたスイスで買った登山ナイフが抜き取られていた。少々残念だったけれど、その他は、フィルムをはじめ無事だったので、概ね安心した。
翌日はカトマンドゥ滞在のフリータイムだったので、初めてネパールへ来た時に印象深かった近郊の古都バクタプルへトロリーバスに乗って一人で行き、記憶をたどりながら街を散策した。私はこの古都の佇まいが好きである。昼食は、来た時に日向ぼっこしたガーデンでの、パーティ形式の楽しい食事会だった。昼食の後は、もう一つの古都パタンを散策した。この街にも古い彫刻や建造物があり、なかなか良いところだ。
こうして、ヒマラヤ・トレッキングとネパールの古都散策を楽しみ、私はますますネパール病にかかってしまった。「ダンニャバード」 


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