調査隊のキャンプ地に着いた日から、4泊のテント生活です。この間は、地質を見学しながら移動しますので、毎日違う村でテントを張りました。テント場は、原っぱや村人の好意で稲刈りが終わった田んぼなどでした。
ネパール人のガイド、コック(キッチンボーイ)、ポーターなども一緒に移動しますので、私たちは軽い荷物だけでよいのです。トレッキングと同じようなものでしょうか。そして、夕食が終わると、彼らは踊りながら唄を披露してくれることもありました。そう、あの有名な ♪レッサンフィリリ♪ も楽しそうに唄ってくれました。
≪レッサンフィリリを唄っているネパーリ≫
テント生活中、どういう食事をしたのかは、ほとんど憶えていませんが、多分米と野菜主体の食事だったと思います。肉が食べたくなりますが、生肉を持って移動するのは難しいです。ところが、さすがです。ネパール人のサポーターたちは、米や野菜などの食料とともに、子ヤギを一頭連れて移動しておりました。これなら腐る心配はありません。
そして、このテント生活中に正月を迎えました。
その元日の朝、なんと雑煮がでてきたのです。ネパールでは、雑煮を食べる習慣はないでしょうから、これは調査隊の皆さんが気を利かせて作ってくれたものです。具のない雑煮でしたが、ネパールに来て正月に雑煮が食べられるなんて思ってもいませんでしたので、感激です。
そして、この前日(大晦日)、移動しながら連れていたあの子ヤギが逃亡したとのことでした。「あー これで肉はおあずけかぁ~」ということになりました。
ところが、元日の夕方、いつものように地質見学からキャンプ地へ帰ってみると、解体され、まだかすかに心臓が動いている肉の塊がカゴの中にありました。聞くと、ガイドたちが近くの村人にお願いして、新たなヤギを調達したとのことでした。
というわけで、元日の夕方からは、久々の肉料理を含め、大夕食パーティーとなりました。そして、調査隊の方がお願いしたのでしょうか、ゾクゾクと村人がキャンプ地に集まって来ました。ほとんどはギャラリーのようですが、そのうちネパール衣装で着飾った若い女性達が、踊りを始めました。ゆっくりと動きながら、我々男性陣の一人一人に何かおねだりするような所作なのです。きっと、伝統的な民俗舞踊なのでしょうが、結局どういう場面・意味を表現しているのかわかりませんでした。
きっと、この村にはまだテレビなどの娯楽的なものがなかったのでしょう。あるいは、とても踊りが好きなのかもしれません。調査隊を含め私たちは、夜が更けた頃、それぞれがテントに入って眠りについたのですが、彼らはその後も踊っておりました。
そして、驚いたことに翌朝目覚めると、まだ30名ほどが残って踊っておりました。一晩中踊り明かしたようです。私の地区でも、昔は盆踊りの時明け方まで踊っていたという話を聞いたことがありますが、きっとそれと同じようなテンションなのでしょう。
≪つづく≫
ネパール人のガイド、コック(キッチンボーイ)、ポーターなども一緒に移動しますので、私たちは軽い荷物だけでよいのです。トレッキングと同じようなものでしょうか。そして、夕食が終わると、彼らは踊りながら唄を披露してくれることもありました。そう、あの有名な ♪レッサンフィリリ♪ も楽しそうに唄ってくれました。
≪レッサンフィリリを唄っているネパーリ≫
テント生活中、どういう食事をしたのかは、ほとんど憶えていませんが、多分米と野菜主体の食事だったと思います。肉が食べたくなりますが、生肉を持って移動するのは難しいです。ところが、さすがです。ネパール人のサポーターたちは、米や野菜などの食料とともに、子ヤギを一頭連れて移動しておりました。これなら腐る心配はありません。
そして、このテント生活中に正月を迎えました。
その元日の朝、なんと雑煮がでてきたのです。ネパールでは、雑煮を食べる習慣はないでしょうから、これは調査隊の皆さんが気を利かせて作ってくれたものです。具のない雑煮でしたが、ネパールに来て正月に雑煮が食べられるなんて思ってもいませんでしたので、感激です。
そして、この前日(大晦日)、移動しながら連れていたあの子ヤギが逃亡したとのことでした。「あー これで肉はおあずけかぁ~」ということになりました。
ところが、元日の夕方、いつものように地質見学からキャンプ地へ帰ってみると、解体され、まだかすかに心臓が動いている肉の塊がカゴの中にありました。聞くと、ガイドたちが近くの村人にお願いして、新たなヤギを調達したとのことでした。
というわけで、元日の夕方からは、久々の肉料理を含め、大夕食パーティーとなりました。そして、調査隊の方がお願いしたのでしょうか、ゾクゾクと村人がキャンプ地に集まって来ました。ほとんどはギャラリーのようですが、そのうちネパール衣装で着飾った若い女性達が、踊りを始めました。ゆっくりと動きながら、我々男性陣の一人一人に何かおねだりするような所作なのです。きっと、伝統的な民俗舞踊なのでしょうが、結局どういう場面・意味を表現しているのかわかりませんでした。
きっと、この村にはまだテレビなどの娯楽的なものがなかったのでしょう。あるいは、とても踊りが好きなのかもしれません。調査隊を含め私たちは、夜が更けた頃、それぞれがテントに入って眠りについたのですが、彼らはその後も踊っておりました。
そして、驚いたことに翌朝目覚めると、まだ30名ほどが残って踊っておりました。一晩中踊り明かしたようです。私の地区でも、昔は盆踊りの時明け方まで踊っていたという話を聞いたことがありますが、きっとそれと同じようなテンションなのでしょう。
≪つづく≫