3年前に一度紹介した場所である。
・・・「石仏・石塔見て歩き(9:水神観音)」(2008年6月30日)
ここの石垣を見に、時々よそから訪ねて来られる人がおられる。
整然と積み上げられた美しい石垣である。
でもこれは見せるためではなく、生活の知恵の一部としての産物であろう。
この石垣の内部は牛小屋だった(と思う)。
そのなごりに、明かりとりの窓もみえる。
そして、傍らは湧水を溜める井戸になっている。
ただし、今はほとんど水が涸れてしまい、ここの水を利用する人はいない。
それでもその上の石垣で造られた祠には水神観音がいまも鎮座する。
右側面に慶応二寅十二月吉日と刻まれてある。
江戸最末期に作られたものだ。
そして、左側面には「地主利右エ門 世話人中地村中」ともある。
当時この場所は、利右エ門さまの所有地だったのだ。
利右エ門さまのご子孫は、私が子供の頃にはここに住んでおられたのだが、
今はこの地区を出て行かれ、この土地も他の方の所有地に代わっている。
その利右エ門さまだが、地区の共同墓地を調査していた時、そのお方の墓石を見つけた。
その場所はもう参る人もなく、ご覧のような藪になっている。
その藪に分け入って、竹や草木を少し切ってみると、かなりたくさんの江戸時代の墓石があった。
その中に「俗名利右エ門」と刻まれた墓石があった。
ただし、同じ名前のものが2つあった。
ひとつは、「天保13」とあり、この墓石は先代のもののようで、
水神観音に刻まれている地主の利右エ門さまは、明治元年に亡くなられたこのお方だろう。
戒名は「伶山善利信士」。
「伶」や「善」から人柄が偲ばれるような・・・。
見ず知らずの先達だが、ちょっとしたつながりを知っただけで何だか親近感が涌いてくる。
享年82才とあるので、当時としては相当長生きをされたようだ。
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