サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09422「ラースと、その彼女」★★★★★★★☆☆☆

2009年12月04日 | 座布団シネマ:や・ら・わ行

アカデミー賞脚本賞にノミネートされた、ハートウォーミングな人間ドラマ。インターネットで注文した等身大のリアルドールとの恋愛関係に没頭する青年と、彼を取り巻く町の人々の人間模様が展開する。リアルドールに恋をする主人公ラースを演じるのは『きみに読む物語』のライアン・ゴズリング。監督は本作が初の劇場公開作品となるCM作家クレイグ・ギレスピー。型破りな設定と、ユーモラスかつ丁寧に描き上げられた人間ドラマが魅力。[もっと詳しく]

リアルドールのビアンカは、ただただ必要だから、出現したということ。

動画投稿サイトがいろんな話題をもたらしているが、先日も世界で話題になっている日本の青年の投稿動画を見る機会があった。
その青年の「結婚式」を動画に撮ったものなのだが、「結婚」のお相手がアニメのキャラクターなのだ。
その動画には、「ニコニコ動画」風のコメントがリアルタイムで流れているのだが、そのコメントは「おぉ・・・」との驚きから始まり、概して好意的なあるいは羨ましがるようなコメントが中心に流れていた。
青年は、そのアニメキャラクターにほんとうにはまっているようではあったが、まったく暗さはなくまた冷静なコメントをしていた。
「僕、とても女性とつきあうなんて出来ないから、まずはこの子とつきあってるんです」といったような。
オタク文化が一定の成熟を見せている日本の現在をある程度知る者たちにとってみれば、どこにも奇異な風景には映らない。
微笑ましくもあるし、この青年の茶目っ気なのか、必然のイニシエーション儀式なのかはわからないし、今後生身の女性とどうコミュニケーションしていくようになるのかわからないが、いいじゃないかと思うのだ。



このアニメキャラクターはたまたま二次元映像として映し出されたが、これが三次元になり、フィギュアになり、等身大になり、リアルドールになり、あるいは最新ロボットテクノロジーが導入されて、次第にアンドロイド的な存在になったり、ヴァーチャル空間に入り込んでのそのキャラクターと「経験」を共有するというところまで、進むのは必定であろう。
『ラースと、その彼女』という作品に登場するリアルドールのビアンカも、青年の結婚式の対象となったアニメキャラクターと、さほどの距離はないのかもしれない。
ビアンカは、実際にインターネットで販売されているリアルドールだ。
8種類のボディ、14種類の顔、5種類の肌の色、5種類の目の色を自由に組み合わせることが出来る。
いわゆるダッチワイフ的なものから、どれほど材質的にも構造的にも高度で精巧なつくりになっているのか、僕にはわからないが、この作品で観察する限りに置いて、とても魅力的である、とは思う。
外観的な造形は人によって好みがあるだろうから、それ以上云々しても意味がない。
興味深いのは、ビアンカのプロフィール(属性)である。
このプロフィールが購入時点ですでに記載されていたものなのか、ラース(ライアン・ゴズリング)がそのように仮構したかったのかはわからない。



ビアンカはデンマークとブラジルのハーフである。
子どもの頃に両親と死別し、修道院で育っている。
看護士の資格を有しており、「人を救うのが使命」と考えている。
子ども好きで、内気で、ベジタリアンだ。
宣教師として、世界中を旅している。
ビアンカはスーツケースを失くし、あろうことか車椅子まで盗まれてしまった。

こうしたビアンカのプロフィールを、ラースの妄想あるいはご都合主義的な設定、ととらえることはもちろん可能だ。
けれども、その設定をラースが信じている限りで、それは「真実」となる。
もし、ビアンカが生身の人間だとしても、所詮人の属性と言うものは、相手に投影された(了解された)像にしか過ぎないといえるからだ。
ラースがそう信じているのなら、ビアンカは当然、その属性を有していることになるのだ。
『ラースと、その彼女』という作品は、そのビアンカという存在に対するラースの確信を、周囲の人間たちも受け入れるというファンタジー的な構造の中で、成立しているといっても過言ではない。
町の住民たちは、もともとMr.サンシャインと呼ばれていたように、町の人たちに好意を持って受け入れられていたラースを気遣うようなかたちで、ビアンカという存在をラースのビアンカに対する「妄想(幻想)」をそのまま了解(しようと)している。
だから住民たちはビアンカに、ボランティアの仕事を委任したり、洋服屋のモデルに起用したり、子どもの授業に招請したりといったかたちで、ラース自身が途惑ってしまうほどに、受容することになるのだ。



ラースは対人恐怖症に陥っている。
特に、女性からの身体接触に関しては、触れられることで激痛を伴うことになる。
もちろん、この激痛は、ラースの心的状態がもたらした幻覚である。
ラースの特異な心的状態は、母親との関係がもたらしたある種のトラウマである。
ラースを出産後、母は他界した。
その後、父は気持ちを塞ぐようになり、兄であるガス(ポール・シュナイダー)はそんな家の雰囲気が厭で、弟を置いて、早くに家を飛び出している。
ラースはたぶん、自分のせいで母は死んだのだ、と思いなしているし、父との関係もうまくいってなかったようだ。
義姉のカリン(エミリー・モーティマー)が、心配してスキンシップを求めるのだが、兄夫婦と同じ敷地に住んでいるに関わらず、ラースはガレージにこもって、一人でいることを好んでいる。
あるいは職場でも、思いを寄せるマーゴ(ケリー・ガーナー)のアタックをかわすことに腐心している。
そんな感情の迷路に陥っているラースは、ある日兄夫婦にインターネットで知り合った女友達を紹介したいと言い出して驚かせる。
そして、兄夫婦が興味深々ガレージを訪ね、ビアンカを紹介され、当然のことながら仰天することになる。



兄夫婦は弟が狂ったと思い、町の人たちの笑い者になると危惧する。
かかりつけ医で心理学の心得もあるドーマン医師(パトリシア・クラークソン)のところに、ラースを連れて行くことになる。もちろん、ビアンカを伴って。
ここからのドーマン医師の診断の仕方は見事であり、それがこの作品の魅力のひとつになっている。
もちろん、兄夫婦はラースの異常を診断してもらいに行ったわけだが、ラースはビアンカの体を心配して同行したのだ。
ドーマン医師は、まず真面目な顔をして、ビアンカの血圧を測り「ちょっと低血圧ね」と言う。ラースはビアンカを気遣うように「僕も低血圧だからね」と声がけをする。
ドーマン医師は、ラースが必要としたからビアンカは出現した、と診断する。
そしてビアンカを媒介としてラースのトラウマからの解放が段階的に成立するであろうことを、ドーマン医師は正確に見通している。



ビアンカと心を通わしながら第三者に紹介し、徐々に添い寝をしたり体を洗ったりするところまで「関係」を深め、嫉妬の感情まで有するようになり、ビアンカの先に生身のマーゴの肉体を意識するようになり、そしてビアンカと別れを告げられるようにまでなる。
いってみれば、このラースの回復過程、成長段階において、ビアンカは「必要」とされ、存在したのだ。
ラースの「引きこもり」ともいってもいい期間は、ラースなりの自己防御であり、「対人恐怖」という症状も含めて、必然の時間であった。
そして、自らラースはビアンカという存在を現出させることによって、その迷路から出口を探し出せるようになったのだ。
ここでドーマン医師が、ラースの引きこもり状態からの「引き出し屋」になったり、ビアンカとの接し方を「妄想」であり「精神異常」のように診断したとしたら、悲惨な事態を引き起こした筈である。
兄夫婦にしても、住民たちにしても、心優しくビアンカとラースを見守っている。
もちろん、こんなコミュニティなどありえない。ありえないからこそ、僕たちに感動を与えることになる。



ナンシー・オリバーという新進の女性脚本家の見事なシナリオは、アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。
また、もともとCM界の鬼才であったクレイブ・ギレスビー監督は、4年がかりで、執念を持ってこの作品を完成にこぎつけた。
現場では、ビアンカをちゃんとした「女優」として扱うことが徹底されたという。
DVDの特典映像からもうかがえることなのだが、ビアンカは自分専用のトレーラーを持ち、着替えや休憩、メイク、スタイリングについて、とても丁重に扱われたようだ。
食事の時にも、ちゃんとビアンカの前に、食事が用意されていた。
ビアンカに監督は「禅を思わせる平和で安らいだ」雰囲気を感じ取ったという。
優しく、純粋で、もちろん無口なビアンカに、たぶん関係者たちは、自分自身でなにかを感じ取り、そしてなにかを仮託するようになったのだろう。
若手の期待の役者であるライアン・ゴズリングも、撮影がはじまるにあたって、ビアンカとふたりっきりで何日も生活を共にしたらしい。
たぶん「ビアンカ」的なものに慰藉を求める社会であることは間違いないし、それはそんなに悪いことではないと僕には思われる。
けれど、コミュニティの人たちがおしなべてビアンカの「幻想」を静かに共有する、それはとても感動することだが、残念なことに、そんなコミュニティは『ラースと、その彼女』のようなファンタジーにしか存在はしないかもしれない。






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4 コメント

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今朝のニュース (sakurai)
2009-12-07 23:02:46
ですね。あたしも見ました。
あの動画の紹介はなかなか面白いですよね。
N○Kらしくないコーナーで、結構好きです。
あのあとの、ジャパネット・N○Kの商品紹介もおもしろい。

最近、「空気人形」というのを見まして、正しい人形の使い方をしてました。
ラースの使い方は、不健全だよなあ、なんて思ったりして。
うちのちょっとオタク度入ってる息子を見てると、母は死ねないかもです。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2009-12-07 23:29:49
こんにちは。

「空気人形」とか「アンドロイド」とかは、自律的な感情まで持ってしまいますからね。

>うちのちょっとオタク度入ってる息子

今の世の中は、そのほうが健全なような気がしますけどね。
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弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2010-03-18 14:41:05
kimionさん始め、ご贔屓にさせてもらっているブロガーの方々が余りに高い評価をされているので、「つまらない」派の僕にとって非常に書きにくい映画でした。(笑)

あの女医の判断はお見事でしたが、映画的には残念でした。実際には女医ではなく、それ以降の住民の反応が映画的に残念なのですが、いずれにしても先の展開への興味が湧きにくい構成になっていたような気がします。

ハッピーエンドと解釈する人が多いですが、現実に正対することにした主人公にとって本当に大変なのは、これからですよね。
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オカピーさん (kimion20002000)
2010-03-18 17:42:24
こんにちは。

>本当に大変なのは、これからですよね。

だと思いますね。ラースにとっては長い人生のトラウマからの脱出をよくやくひとつのプロセスとしてはじめかけている段階でしょうからね。

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