サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

289日目「今和次郎 採集講義展(パナソニック汐留ミュージアム)」新橋

2012年01月18日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ おじさん、なんかみんな携帯やスマホでカチャカチャやってるから、人の集まってるところでは周囲に目がいかず、危ないね。
キミオン叔父 しょっちゅう、ぶつかってるね。駅のホームなんかあぶないぜ。
電車の中でも、今日数えてみたら、8割ぐらいがいじってたね。さすがに、ノートPCを広げている人は減ったし、まあ新聞紙バサっと拡げて迷惑な人がいるけど、それがスマホになったということもいえる。
オジサンだって、文庫本や漫画を読むのを習慣にしていたのに、最近はフェイスブックやツィッターをチェックしているもんな。人のことは言えない。
でもさ、電車の中なんかは、最高の観察の場じゃない?いろんな人が偶然のように集まって、いろんなことを考えながらあるいは眠りこけながら、束の間の電車の時間。なんか意識していないだけに、「素」のその人が垣間見えたりする。
そうだな。おじさんもいつも前に座っている人たちを、勝手に品定めしてたもんね。自分でホームズとワトソンの掛け合いをしているようなもんで、服装や持ち物や姿勢やたまには連れの人との会話なんかで、いろいろ連想したり、推理したり。長い距離の場合は、もう短編小説のように、その人の物語を空想する。
そうよね。でもほとんどの人が俯いてスマホを触ったりしていたら、ちょっと「観察」にならないわよねぇ。

「観察」といえば、「考現学」。その創始者ともいえる今和次郎の展覧会はとても楽しみにしていたんだ。
観察し、記録する。いまは、シャメでもなんでもいいけど、みんなシャカシャカ記録を取って、SNSやブログで報告しあったりするけど、それが本当に「観察」しているかどうかというと、あやしいもんね。今和次郎の「考現学」は、もう採集の仕方が半端じゃないもんね。それもこれも、民俗学的好奇心・探究心もすごいけど、今さんの場合は、やっぱりドローイングというかデッサンの才能がすごい。写真なんかより、この人の描写のほうが明確に「姿」を捉えている。
柳田國男なんかが民俗学研究の一環で「民家研究」で集まっていた時に、若き今さんがスカウトされる。もともと建築を専攻していたこともあったから。で、柳田はお役人でもあったから、おかみの調査予算を使って、全国をかなり回るわけだけど、今青年のスケッチ力にずいぶん助けられたと思うよ。
「民家」の記録は、次第に民家の中での暮らしや生活用具や路傍や職業道具や特産品やその包装や・・・と記録が拡がっていく。朝鮮半島の民家もハンティングしている。そんな頃に関東大震災で東京が壊滅。で、廃墟からの復興のバラックの写真を撮りはじめて、ついには仲間と「バラック装飾社」を立ち上げて、貧相なけれどたくましいバラックハウスの飾り付けや看板や装飾ペインティングをしたりする。これ、popアートの先駆けかもね。
そこから都市の風俗記録に重点を移して、これが「考現学」の誕生となるんだね。まあ、でもこの人のすごいところは、時代の変遷の目のつけどころ。たとえば、煙草の持ち方ひとつにしても、分類して数を数えて、スケッチして。またそのレポートの仕方が、図表やイラストを使って、わかりやすく「見える化」をしている。
そういう観察で街歩きをしたり、道にたたずんで定点観測をしたりするときに、相手に警戒されないように、気軽なジャンパーにリュックのいでたちで。だから、その後学校の先生になっても、「ジャンパ―先生」「野暮天先生」と呼ばれながらニコニコして、生徒たちとどんどんフィールドワークに繰り出す。最高よね。
今和次郎に影響を受けた人は多いだろうな。赤瀬川原平や南伸坊らの「トマソン」学もその系譜だし、泉麻人の東京探検ルポをはじめとするイラストエッセイの若い人たちも、その手法を真似ているところもある。一方で、今和次郎の源流にあるものは、北斎漫画にあるような飽くなき観察ドローイングかもしれない。
やっぱり、自分の目で観察するということね。「スマホを捨てて、街へ出よう!」か(笑)


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