娘のいる天国へ-。テレビ朝日系の長寿番組「パネルクイズ アタック25」(日曜後1・25)の司会で知られる俳優、児玉清(こだま・きよし、本名=北川清)さんが16日午後0時28分、胃がんのため東京・中央区の聖路加国際病院で死去していたことが17日、分かった。77歳だった。3月下旬から入院、闘病を続けていた。長女は9年前、同じ胃がんのため36歳で亡くなっている。
俳優、司会、そして芸能界きっての読書家だった児玉さん。マルチな活躍で人気を集めたが、がんには勝てなかった。
遺体の安置されている東京・千駄ヶ谷の自宅前で17日午後8時前、長男の会社員、北川大祐さん(41)が会見。涙をこらえながら「立派な父でした」と声を振り絞った。
児玉さんが最初に体調不良を訴え診察を受けたのは昨年秋。胃カメラを勧められたが、病院嫌いのせいか検査を受けず仕事を続けたという。
体調が再び悪化したのは今年2月下旬。急に食欲がなくなり精密検査を受けた結果、胃がんと告知され、すでに肝臓に転移していた。3月下旬に入院、手術しても手遅れといわれ、抗がん剤を1回投与された。今月14日に起きあがれなくなり、15日から意識不明に。最期は妻で元女優、北川町子(本名・好子)さん(79)と大祐さんに見守られ、眠るように息を引き取ったという。
「父は仕事復帰を目指して頑張っていました。『やり残したことがまだある』とも言っていました」と大祐さん。最後の仕事は3月23日のテレビ収録。4月1日から今月3日まで放送されたNHKBSプレミアムの開局記念PRスポットだった。
児玉さんは1958年3月、学習院大学文学部ドイツ文学科を卒業後、東宝映画に入社し俳優の道を歩き始めた。「隠し砦の三悪人」や「悪い奴ほどよく眠る」をはじめ、数々の名作映画、ドラマに出演。75年に「パネルクイズ アタック25」の司会者に抜擢された。
以来、3月下旬に収録を休むまで、36年にわたり担当。一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりが、幅広い年齢層から支持された。読書家としても知られ「子どもたちが本を読まない社会、国に未来はない。あらゆる人生が込められている活字の世界に触れることが大事」というのが持論。「翻訳が待ちきれない」と外国の本は原書で読み、分厚い新刊を月に4冊読破。蔵書は1万冊を数え、食堂まで山積みになっていた。テレビの書評番組や産経新聞の書評連載も好評だった。
その分、10年以上前から、俳優の仕事には消極的に。2001年に放送されたSMAPの木村拓哉(38)主演のフジテレビ系ドラマ「HERO」の出演依頼もいったんは断った。しかし、当時マネジャーを務めていた長女、奈央子さんから説得され、引きうけたという。奈央子さんは02年、当時4歳の息子を残し、胃がんのため36歳の若さで亡くなっている。
我が子に先立たれたつらさを「こんなに悲しいことはない」と周囲に語っていた児玉さん。司会者として俳優として、ものを考える力や想像力の大切さを世間に伝え、奈央子さんのもとへ旅立った。
田宮二郎と学習院時代の同期で、クールな二枚目で映画にも多く出演したが、『悪い奴ほどよく眠る』以外はあまり印象に残っていない。
やはりテレビ番組のいくつかと75年から始まった「パネルクイズアタック25」の司会である。
オセロ型のパネル争奪戦のクイズだが、こんな単純な番組が30年間1800回近く続いたのも、やはりこの人の司会の魅力だろう。
1万冊の蔵書を抱え、『寝ても覚めても本の虫』という著書もある児玉清さんは、司会者でありながら自分でもその博学からくる雑学知識を楽しんでおられたのかもしれない。
「結構!」「その通り」のセリフの物真似で人気を博した博多華丸は号泣しながら物真似は封印すると言っているらしいが、児玉ファンのためにも続けて欲しいものである。
時代小説や、切り絵や、オリピック観戦や、児玉さんのこだわったものも多岐に渡ったが、一視聴者としてそこに当たり前のように存在していた人がお亡くなりになるのはやはり寂しいものである・・・合掌!
俳優、司会、そして芸能界きっての読書家だった児玉さん。マルチな活躍で人気を集めたが、がんには勝てなかった。
遺体の安置されている東京・千駄ヶ谷の自宅前で17日午後8時前、長男の会社員、北川大祐さん(41)が会見。涙をこらえながら「立派な父でした」と声を振り絞った。
児玉さんが最初に体調不良を訴え診察を受けたのは昨年秋。胃カメラを勧められたが、病院嫌いのせいか検査を受けず仕事を続けたという。
体調が再び悪化したのは今年2月下旬。急に食欲がなくなり精密検査を受けた結果、胃がんと告知され、すでに肝臓に転移していた。3月下旬に入院、手術しても手遅れといわれ、抗がん剤を1回投与された。今月14日に起きあがれなくなり、15日から意識不明に。最期は妻で元女優、北川町子(本名・好子)さん(79)と大祐さんに見守られ、眠るように息を引き取ったという。
「父は仕事復帰を目指して頑張っていました。『やり残したことがまだある』とも言っていました」と大祐さん。最後の仕事は3月23日のテレビ収録。4月1日から今月3日まで放送されたNHKBSプレミアムの開局記念PRスポットだった。
児玉さんは1958年3月、学習院大学文学部ドイツ文学科を卒業後、東宝映画に入社し俳優の道を歩き始めた。「隠し砦の三悪人」や「悪い奴ほどよく眠る」をはじめ、数々の名作映画、ドラマに出演。75年に「パネルクイズ アタック25」の司会者に抜擢された。
以来、3月下旬に収録を休むまで、36年にわたり担当。一般出場者を気遣う知的で誠実な司会ぶりが、幅広い年齢層から支持された。読書家としても知られ「子どもたちが本を読まない社会、国に未来はない。あらゆる人生が込められている活字の世界に触れることが大事」というのが持論。「翻訳が待ちきれない」と外国の本は原書で読み、分厚い新刊を月に4冊読破。蔵書は1万冊を数え、食堂まで山積みになっていた。テレビの書評番組や産経新聞の書評連載も好評だった。
その分、10年以上前から、俳優の仕事には消極的に。2001年に放送されたSMAPの木村拓哉(38)主演のフジテレビ系ドラマ「HERO」の出演依頼もいったんは断った。しかし、当時マネジャーを務めていた長女、奈央子さんから説得され、引きうけたという。奈央子さんは02年、当時4歳の息子を残し、胃がんのため36歳の若さで亡くなっている。
我が子に先立たれたつらさを「こんなに悲しいことはない」と周囲に語っていた児玉さん。司会者として俳優として、ものを考える力や想像力の大切さを世間に伝え、奈央子さんのもとへ旅立った。
田宮二郎と学習院時代の同期で、クールな二枚目で映画にも多く出演したが、『悪い奴ほどよく眠る』以外はあまり印象に残っていない。
やはりテレビ番組のいくつかと75年から始まった「パネルクイズアタック25」の司会である。
オセロ型のパネル争奪戦のクイズだが、こんな単純な番組が30年間1800回近く続いたのも、やはりこの人の司会の魅力だろう。
1万冊の蔵書を抱え、『寝ても覚めても本の虫』という著書もある児玉清さんは、司会者でありながら自分でもその博学からくる雑学知識を楽しんでおられたのかもしれない。
「結構!」「その通り」のセリフの物真似で人気を博した博多華丸は号泣しながら物真似は封印すると言っているらしいが、児玉ファンのためにも続けて欲しいものである。
時代小説や、切り絵や、オリピック観戦や、児玉さんのこだわったものも多岐に渡ったが、一視聴者としてそこに当たり前のように存在していた人がお亡くなりになるのはやはり寂しいものである・・・合掌!
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