サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

船場から社会派へ/山崎豊子(小説家)/88歳

2013年09月30日 | 毎日がメメント・モリ

山崎豊子さん死去、88歳=「白い巨塔」など社会派小説

時事通信 9月30日(月)13時42分配信

 綿密な取材に基づいて広大なスケールの人間ドラマを描いた「白い巨塔」「沈まぬ太陽」などの社会派小説で知られる作家、山崎豊子(やまさき・とよこ、本名杉本豊子=すぎもと・とよこ)さんが29日午前、心不全のため死去した。88歳だった。大阪市出身。葬儀は近親者のみで行う。
 山崎さんは8月下旬から「週刊新潮」で、海上自衛隊を舞台にした長編「約束の海」の連載をスタートしたばかりだった。新潮社によると、既に第1部全20回分の原稿を書き終えていたという。
 京都女子専門学校(現京都女子大)国文科卒。毎日新聞大阪本社入社。当時学芸部副部長だった作家井上靖の影響を受け、1957年に生家の昆布商をモデルにした「暖簾(のれん)」を刊行しデビュー。翌年「花のれん」で直木賞を受賞、退社して専業に。その後「ぼんち」「女系家族」など大阪商人ものを中心に執筆したが、大学病院を舞台に医師の政治的野望や医療過誤裁判を描いた「白い巨塔」(65年)が話題となり、作品は社会的な性格を強めていく。
 70年代から90年代初めにかけて発表した、シベリア抑留体験を持つ商社マンが主人公の「不毛地帯」、日米開戦に翻弄(ほんろう)される日系2世らの「二つの祖国」、中国残留孤児をテーマにした「大地の子」は戦争3部作と呼ばれる。
 日航機墜落事故などに材を取った「沈まぬ太陽」(99年)は、腐敗した組織の中で生き抜く男を描き、「運命の人」(2009年)では沖縄返還をめぐる外務省機密漏えい事件を扱った。
 ほかに「花紋」「仮装集団」「華麗なる一族」など。91年、菊池寛賞。09年、毎日出版文化賞特別賞。93年、中国残留孤児の帰国子女に奨学助成する山崎豊子文化財団を設立したことでも知られる。 

もともとは山崎豊子は、「大阪の船場人情苦労もの」の世界というように、その作品を読んでいたことがあった。 
無理もない。彼女が生まれたのは、船場の有名な昆布商。そこのお嬢さんだった。
毎日新聞で井上靖を上司に持ち取材や文章を学びながら、自分の家をモデルに書き上げた『暖簾』が処女作。
モデルとは大阪では知らぬもののない「小倉屋山本」。
食品業界のオリンピックとされるモンドセレクション金賞を三年連続受賞している老舗でありながら現在でも活躍している企業だ。
僕は小さい頃は大阪に親戚があったが、大阪の最高級のおみやげ物としてはここの「塩昆布」だったのを良く覚えている。
二作目は吉本興業の創業者吉本せいがモデルの『花のれん』で直木賞。
ここで記者を辞めて専業になるのだが、その後も大阪の足袋問屋が舞台の『ぼんち』や、老舗木綿問屋が舞台の『女系家族』など船場に代表される大阪商人が舞台である。

白い巨塔』が連載されたのは1960年代後半であったが、それからは日本および世界の近現代に舞台をとった政財官の権力争いや、戦争の悲劇や、巨悪の犯罪劇と庶民の辛苦を、次々と大きなスケールでしかし綿密な取材で、骨太のジャーナリスティックな物語を執筆してきた。
しかもお亡くなりになる時まで、その執筆意欲は衰えることがなかった。

山崎豊子のほとんどの作品が、テレビドラマ化ないし映画化されているのも、すごいことだ。
多くの役者は、彼女の作品への出演を通して、役者人生のなにほどかをかたちづくった。
もちろん亡くなった役者も多い『白い巨塔』の財前役の田宮二郎出演作の公開は1966年だが、中学生の僕は誰かにつれられて映画館に行った覚えがある。
その映画があまりに強烈過ぎて、その後何十年も、大学病院と言うと財前のような男がいるものだと勝手に決め付けてしまっている自分に苦笑することもあった・・・合掌!


 

 


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