サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 07180「いつかA列車(トレイン)に乗って」★★★★★☆☆☆☆☆

2007年01月03日 | 座布団シネマ:あ行

昭和の面影を残すジャズBAR“A-TRAIN”。ピアノとサックスがリハーサル中の開店直前の店内。常連客の梅田茂一郎が現われ、お決まりのカウンターの“指定席”に腰を下ろす。やがて、ジャズ・クラブの演奏に惹かれるように、ひとり、またひとりと客が集まってくる。恋人の志賀を待つ洋子は、ある決意を胸に秘めていた。現役を引退した元検事の平松は、大好きなジャズと酒に酔いしれる。銀行の支店長を辞め、新しい店のオープンに意欲を燃やすニューハーフのベティ。そして、店の従業員たちもまた、それぞれに悩みや不安を抱え日々を送っていた…。

少年時代からの映画監督の夢を、幸運にもつかんだ作詞家。

 (商業)映画制作には巨額の費用がついてまわる。
いい脚本もある。監督(予定)もやるき満々である。キャスティングにも、夢は膨らむ。プロデューサーも、経験豊かだ。けれども、日の目をみない作品がほとんどである。
あたりまえだ。誰がお金を用意する?リスクをとる?
よく、構想10年とか20年とか、もったいがつくが、もちろん、ずっと温めてきたモチーフはあったとしても、結局、構想期には、お金の目途がつかなかったんだ、と考えたほうがいい。
マーケットや制作体制に違いはあれど、邦画に限ったことではなく、世界中の映画関係者が頭を悩ませていることだ。
そこで、国際シンジケートから市民ファンドまでの制作ファンドが立案されたり、宗教装置やオーナー企業のスポンサード参りをしたり、配給を映画館以外のチャネルに求めたり、自主上映運動の流れに乗ったりという、さまざまな努力が繰り返される。

 

いつかA列車に乗って」は、映画制作が夢であった新人監督荒木とよひさが、幸運にも周囲に助けられ、日の目を浴びた作品である。
新人とは言えど、荒木とよひさは1943年生まれ、フォークグループとしての音楽活動に次いで、「
四季の歌」のミリオンセラーヒットで親しい。
そして、作詞家に転じ、特に
テレサ・テンの「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」などを、この映画でも音楽監修とともに重要なジャズピアニスト役で出演する三木たかしとのコンビで世に送り出した。

僕は未見であるが、この作品のモチーフは内田吐夢監督の「
たそがれ酒場」(1955年)を引き継いでいる。
その映画では、ヤキトリキャバレーのような酒場は歌劇(オペレッタ)を上演しているようだ。
およそ半世紀を経て、舞台はJAZZクラブに設定された。
共通のモチーフとしては、一幕劇のように店を訪れる客の、一夜に生成する物語の断片を、モザイクのようにしかし時間軸は変えずに、組み合わせた群集劇ということだろう。

 

最近では、コメディの体裁をとっているが、大晦日の一夜にホテルを舞台に生起する群集劇を描いた三谷幸喜監督の「THE 有頂天ホテル」と同様である。
一方は、ホテルという巨大空間をカメラは激しく移動するが、本作では、味わいのあるJAZZクラブの店内、入り口、スタッフ控え室にカメラの移動は制限されている。
僕たちのようなJAZZファンには、とても心地いい小品に仕上がっている。「大人の映画」といってもいい。
シナリオもそれなりによく練りこまれているし、日本批評家大賞の監督賞を受賞している。

 

もうJAZZクラブに往年の熱気はない。店を手放そうとするオーナーに悩まされながらも、JAZZが好きな店長は必死で店を運営している。
初老のトリオがスタンダードを奏でる。子持ちの歌姫が出番を待つ。住み込みスタッフのサックス吹きの若い青年がおり、オリジナルをつくりながらチャンスを待っている。
妻の死とともに絵筆を絶った老画家。 JAZZの世界に進みたかった老いた元鬼検事。銀行の支店長の職を捨ててゲイをカミングアウトしたママ。隣に偶然居合わせた元部下。廃止の憂き目にあった実業団のサッカーチーム。最後の夜を迎える熟年不倫のカップル。麻薬の取引相手を待つ場違いなヤクザたち。詐欺の過去を持つ小心そうな男。飛び入り参加するアメリカの3人のJAZZメン。幼い頃父に店に連れて来られた若いサラリーマン。子供に渡すリカちゃん人形を袋に抱えた歌姫の元亭主・・・。

 

常連も新顔も次々と入れ替わり立ち代り、登場しては退場していく。
それぞれが事情を抱え、明日に戸惑いあるいは向かおうとしている。
老齢も青年も、男も女も、集団もカップルも一人客も。
どこでも見聞きする週末のクラブの姿である。そして、僕も、ひととき、頻繁に通ったJAZZクラブのなつかしい光景である。

店の名前は「A-TRAIN」。
もちろん、ニューヨークのハーレム行きの地下鉄の名称である。
ハーレムでも成功者が住むとされる高台のシュガーヒル。そこを目指すのなら、早くA列車に乗らなくては・・・。
誰でも知っているスタンダードナンバーだ。
このクラブが、職場でも家庭でもない、JAZZを介在させた人生を垣間見せる空間であるとすれば、この映画制作もある意味で「家族」的な雰囲気で「荒木とよひさ」という時代と添い寝をしたセンチメンタルな男を、応援するようなかたちで創られているように思える。

 

そして、その「家長」となったのは、監督ではなく、主演の津川雅彦である。
常連客である津川雅彦は、客の出入りの激しいお店で、最初から最後まで、カウンターに陣取り、この一夜の物語の目撃者であり介入者であり解決者でありといった位置で存在している。
ここでは、もうひとつの監督であるといってみてもいい。

この老練な実業家であり趣味人であり役者である男は、たぶん、この映画での手ごたえを経て、マキノ雅彦の名前で初のメガホンをとることになった「
寝ずの番」(2006年)制作への、ひとつの契機としたのでは、と僕は勝手に推測している。
祖父にマキノ省三、父に沢村国太郎、叔父に加藤大介、伯母に沢村貞子、兄に長門裕之、母方の叔父にマキノ雅弘、叔母に轟夕起子、妻に朝丘雪路。
「いつかA列車に乗って」では、娘の真由子を初出演させている。生後5ヶ月で誘拐されたことのある、あの娘だ。
サックス吹きの青年役には、親しい加藤剛の息子である加藤健一を起用。荒木とよひさは妻の神野実伽も起用し、重要な老ピアニストの役には盟友の三木たかしを充てている。小林桂樹、愛川欽也、小倉一郎、峰岸徹・・・みな、仲間のようなベテラン陣だ。
この陣営の中で、「大人の映画」は、仲睦まじく、創られたのだろう。

 

映画には巨額がかかる。荒木とよひさは子供の頃の夢であった映画制作を、JAZZクラブの一夜の物語という演劇的な一幕手法と、作詞家として生きてきた芸能界への「顔」で、幸運にも、予算制約を解決することができたのかもしれない。
けれど、2作目はまだ撮られていない。
構想があるのかどうか知らないが、もう一度幸運があるのかどうかは、誰にもわからない。



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2 コメント

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TB有難うございます (MIEKO)
2009-09-15 10:06:12
「エコール」と共に、TB有難うございました。一昨日頂いた時同様、やはりどうもこちらからのTBは効かないようですので、URL欄に該当記事を入れてコメントにてで、失礼します。

この作品は、音楽絡みのユニーク作と思って見て、作詞家荒木とよひさが監督だったというのは後で知りました。あるジャズバー店内という閉じた空間で、スタンダード曲等バックに、人間模様が交錯して、かなめの津川雅彦、ピアニスト役の故三木たかし氏等の渋味もあって、特にどうという盛り上がりはなくても、雰囲気は好感持てた作品でした。
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MIEKOさん (kimion20002000)
2009-09-15 13:25:07
こんにちは。

あまり、話題にはならなかった作品なんですけど、独特の懐かしさがありました。

最近、作詞家・作曲家でお亡くなりになる人が多いんですが、荒木さんとも組まれていた方が、何人もおられますね。
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