フランス・オルセー美術館20周年企画の一環で製作された、美しい芸術と印象派を思わせる自然を堪能できる感動的な家族ドラマ。母から遺された貴重な美術品を整理する兄妹たちの姿を通して、いつの時代も変わらぬ人の心を描きだす。主演はオスカー女優のジュリエット・ビノシュ。フランス映画の異才、『イルマ・ヴェップ』のオリヴィエ・アサイヤスが監督を務める。スクリーンを彩るコローやルドンの絵画、アール・ヌーヴォーの家具など、色あせることのない本物の重みが印象深い。[もっと詳しく]
誰にでも、思い輝く場所がある。
フランスの国立美術館と言うのは、その収集対象がわかりやすくていい。
オルセー美術館は、オルセー駅の骨格を利用しているので有名だが、基本的に19世紀美術を対象としている。もう少し正確に言えば、1848年の二月革命から1914年の第一次世界大戦以前ということになる。
例外を除けば、それ以前の古典文物はルーブル美術館、それ以降の現代美術はポンピドーセンターということになる。
もちろん、印象派好きの日本人にとっては、オルセー美術館には親しみがあり、この間でも国立新美術館でオルセー展をやっている。
そのオルセー美術館が20周年記念事業として、美術館が全面協力しての映画制作プロジェクトが始まった。
その第一弾が、『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』(07年)。
台湾ニューシネマの旗手である侯孝賢が指名されて、アルベール・ラモリス監督の名作『赤い風船』(56年)にオマージュを捧げた作品である。
赤い風船が少年の手を離れてパリの下町をプカプカと浮遊する。
その行き先の最後がオルセー美術館で、ちょうどそこでは少年たちが学芸員からヴァロットンの「赤い風船を追う子供の絵」の解説を受けている・・・。
この映画にも、実はジュリエット・ビノシュが出演している。
ビノシュ自身が、現在では俳優業の他に、画家としての仕事や展覧会の企画もしており、もしかしたらそういう面で、オルセー美術館とのなんらかの縁が深いのかもしれない。
『夏時間の庭』はオリヴィエ・アサイヤス監督が指名されたが、彼の最近の映画では結婚もしていたマギー・チャン出演の『クリーン』(04年)という作品があった。マギー・チャンはこの作品で、カンヌ映画祭で女優賞を獲得している。
アサイヤス監督は、アジアに造詣が深いそうだが、もともとは少し遅れてきた5月革命世代であり(1955年生まれ)、「カイエ・デュ・シネマ」誌の論客の一人でもあった。
『夏時間の庭』という作品で言えば、フランスの郊外の田園地帯であるイルー・ド・フランスのヴァルモンドワ地方が舞台になっている。
まさに印象派の画家たちがアトリエから飛び出して、光を求めて題材を探した土地なのだが、本作でも緑の濃い光と影に囲まれた、一軒の瀟洒なアトリエとその周辺の庭や林や湖水やといった風景をまことに美しく撮っている撮影監督のエリック・ゴーティエが素晴らしい。
最近では、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(03年)や『イントゥ・ザ・ワールド』(07年)のカメラワークが印象深い。
七十数歳になる母エレーヌは、画家であった大叔父ポール・ベルティエのアトリエを一人で守っている。長男はパリに住む経済学者、次男は中国で商売をしており、長女はデザイナーで世界中を飛び回っている。
エレーヌは身辺整理をする中で、長男に「家やポールの作品や彼が収集していた美術品を売却して子供たちで分割しなさい」と告げる。
長男は、思い出の家や美術品を本当は売りたくないのだが、相続税のことがあったり、兄弟も海外が中心でほとんどこの家に戻らないということがあったりして、処分を決定せざるを得ない。
そして美術品などは、オルセー美術館に寄贈が決まったりするのだが・・・。
さすがオルセー美術館の制作協力という背景もあるのだろうが、そのアトリエに付随する美術品がなかなかに泣かせる。
子供たちからは古臭いと言われるが、印象派風景画の先駆者でもあるバルビゾン派のコローの風景画。
黒の抽象画で有名であるが、晩年はパステル画を残したルドンの絵。
アールヌーボーの旗手であるルイ・マジョレの家具机。
北斎に傾倒しジャポニズムをヨーロッパに広めた印象派銅版画家である、フェリックス・ブラックモンの残したガラスの花器。
失明寸前のドガが制作した浴女の塑造。
ウィーン分離派の正方形を多用したヨーゼフ・ホフマンのモダンな棚・・・。
それらが飾られた家とともに、処分されることになる。
エロイーズという年老いた使用人が形見分けのような形で、花器をひとつもらいうける。
「上等なものだと困るから、なるべく平凡で、いつも季節の花を摘んで活けていた花器をもらって、花を挿すたびにこの家のことを偲ぶわ」とガラスの花器を持って帰る。
もちろんそれはブラックモンの制作物などとは知らずに。いいエピソードだ。
お婆ちゃんのいるこの家が大好きだった長男の娘は、親たちが想い出も売り払ってしまうことに反発して涙ぐむ。
三人の相続者である子どもたちだって、心のどこかで、処分することに心を痛めている。
けれどもそれも仕方がないことなのかもしれない。
ただただ「夏の日の思い出」の中にだけ、この家で費やした時間が、記憶に刻まれる。
僕も少し、田舎で育った家のことを思い出す。
もともと借家であったが、大家の死去に伴って、処分されることになった。
旅館の離れに使っていたような家で、鯉が数十匹いるような大きな池があり、庭にはほとんどの果樹が植わり、裏庭には大家が漢方薬の医師をしていた関係で、植物園のように百種近い草花が植えられていた。
もうとっくに亡くなってしまったが、両親や、僕を含めて三人の兄妹や、孫の世代までが、その家の記憶を共有しているが、もう1年に二回は入ってもらっていた庭師さんの仕事の形跡を偲ぶものはなにもなく、たぶん一千坪はあったであろう敷地は、跡形もなくコンクリートで舗装されてしまった。
その家が処分されたと同時に、僕たちに「田舎」はある意味で無くなってしまった。
ただ記憶の中にだけ、屋根瓦のシャチホコや、大きな池でフナ釣りをしたことや、柿や蜜柑や枇杷や無花果を季節ごとにもいで食べたことや、家を取り囲む牧垣に瓢箪をはわせたことや、玄関まで数十メートル続く石畳を掃き掃除したことや、水仙や朝顔やそのほかさまざまな草花を移植したりしたことや、夜の虫や蛙の鳴き声や・・・そんなことがとりとめもなく、記憶の中を駆け巡ることになる。
誰にでも思い輝く場所がある。
それはそこに費やした日々の記憶だけが、貴重なものとして残ることになる。
寂しい事だが多くのなにがしかの文物は、博物館や美術館や個人収集家に、保存され、価値付けられ、展示されるしか時を超えていくことは出来ない。
kimion20002000の関連レヴュー
『ホウ・シャオシェンのレッドバルーン』
『クリーン』
『モーターサイクル・ダイアリーズ』
『イントゥ・ザ・ワイルド』
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映画の方はちょっと文学趣味すぎるかな、という気が致します。
>フェリックス・ブラックモンの残したガラスの花器
ふーむ、全く知らないなあ。
勉強不足を痛感。すみません(笑)
日本の工芸美術や浮世絵やといったものが西欧に大きな影響を与えた頃の美術の東西交流にとても関心があります。
オルセーのバックアップですが、団体客が学芸員の早口の説明にただ見て回るだけになってしまう博物館をシーンに入れるあたりは、ちょっと自己批評めいていて面白かったですね。
またまた、観ていない映画にコメントして…
緑の庭に美しさに心惹かれる映画です。
これは近日中にDVDで必ず鑑賞します。
kimionさんのところへ来ると、必ず読み耽ってしまう文章に出会います。
その秘密の一端が、今日わかったような気がしました。
夏の日の思い出は年月とともに輝きを増し、
血を分けた近しい人々と分かち合ったその時間に、もう一度めぐり合うすべは最早どこにも無いことに、愚かな私などは呆然とするのです。
また、お邪魔します。
映画の見方はもちろん各人各様ですからね、僕の場合は自分の記憶や体験やに牽強付会しているだけではないかと、恥ずかしくもなりますけどね。
今後とも、気軽にコメント残してくださいな。