古い写真屋の家族を通して、人と人との絆を描く感動作。監督は脚本も手がけた三原光尋。頑固一徹の写真屋・高橋研一に藤竜也。その息子に『海猿』の海東健。映像、ストーリー、心に残る音楽、どれも暖かく描かれた珠玉作。[もっと詳しく]
全国で活発化するフィルムコミッションの記念碑的作品。
日本全国各地で、映画制作のロケ誘致を主たる目的とした、フィルムコミッションが創設されている。
政府や地方自治体も注目しており、全国連絡会議的な機構も整備され始めた。
また、映画制作のファウンデーションに、市民参加を求める試みもある。
歴史的に言えば、「ご当地映画シリーズ」というのは、昔からあった。
日活の「渡り鳥シリーズ」や、「駅前シリーズ」などのコメディ、近くは「寅さんシリーズ」や「釣りバカ日誌シリーズ」もそうだ。
これらは、ロケ地をからめて、主人公たちの物語が展開する。
結局、背景となるロケ地との距離はいつも一定である。
「それなりに」ロケ地のシナリオ的必然、整合性があればいいのであって、住民も、制作費を安く抑えるためのエキストラ動員となる。
つまりは、「群集」があればいいということになる。
また、ある地方を舞台に書かれた小説や歴史物語の映像制作という場合もある。
これは、必ず「物語」の背景となる現実的な場所が必要となる。
「伊豆の踊り子」や「潮騒」など多くの名作が創られてきた。
ここではまず「風土」から生み出された「物語」があり、役者が脚本を現地ロケをまじえながら演じることになる。
ある時期、「地方」を舞台としたドキュメンタリー手法のシネマが多く制作された。
現地に何年も住み込み撮影し続けたルポルタージュをもとに、構成されたりしたが、基本は良心的な「記録映画」という範疇であった。
ほとんど役者を使わず、現地の人たちの出演による作品もいくつかある。
いくつかの作品は、商業的にはともあれ、海外でも多くの賞を獲得した。
1964年生まれの三原光尋監督
現在の、フィルムコミッションが目指しているものは、少しこれらの流れとは異なっているように思える。
ロケ地の提供、エキストラの供給、上映運動への協力、こうしたことは当たり前だとして、作品そのものの質的成立そのものに、現地の市民が、より深くコミットメントしつつあるということだ。
映画のエンドテロップに、協力ありがとうということで、町村や公共施設などが列記されるが、それよりももっと、映画の成立そのものに、かかわっているというべきか。
「村の写真集」というきわめてすぐれた「地方映画」も、徳島フィルムコミッションの尽力なくしてはありえなかったであろう。
もともと、制作者のモチーフは、ダムによって沈んでしまう村がある、そこで役場は、沈む前に全戸の写真記録を残そうとする、喪われいく、いまの記録である。
これは、日本全国どこでもあるお話しである。
スタッフは、このモチーフからはじめて、舞台(ロケ)地を探すことになる。
長野であっても、三重であっても、宮崎であっても、このモチーフは成立する。
ここで、フィルムコミッションが、舞台として名乗りを上げ、そして、この舞台で物語を成立させるべく、プレゼンテーションをする。
現地視察と討議を経て、いくつかの候補地から最終舞台が決定し、そして、脚本にリアリティが付け加えられていく。
まるで、当初から、ここでしかありえなかった唯一の物語のように。
美しく幻想的な村の情景
その舞台として「勝ち残った」のが徳島県の奥深い山地である、池田町、山城町、西祖谷山村。
8ヶ月の赤ちゃんから93歳のおばあちゃんまでが、映画の構成に入り込む。
重要な登場人物のひとりに徳島出身の大杉漣。
また、写真監修に連日参加し、自らスチールも撮影するのが地元出身の写真家立木義浩。
主人公を演じる高橋研一役の藤竜也は、スタッフが入り込む前に、単身現地入りし、地元の方たちと会話し、風土を肌で感じながら、役作りに入っていたという。
頑固な写真館のあるじを演じる藤竜也。
写真集を撮る為に父の要請で村に戻る茶髪の青年孝役に海東健。
写真集づくりに奔走する村役場の担当役に甲本雅裕。
戦争で亡くした息子の遺影をかかげるおばあちゃんに桜むつ子。
写真館の次女で父を気遣う地元の高校生香夏に宮地真緒。
孝の東京のガールフレンドだが、いきなり村に訪ねて来て、研一と孝の反目でぎくしゃくする高橋家の空気を、持ち前の陽気さでなごましてゆくモデル役に台湾出身のペース・ウー。
そして、父のことを何も知らない孝に、父と死んだ母のことを語ってきかせる大杉漣。
男と駆け落ちして村には帰らずじまいになっている長女紀子役の原田知世。
どの演技も、素晴らしい。
だけど、それらの演技が、この風土における脚本と撮影環境になかったら、ともあれ、この作品は成立し得なかったのだ。
湯煙の中で父子の距離が溶けてゆく。
小椋圭の歌い上げる「晩秋」。
山々に囲まれた小さな村の眺望。
深い霧が立ち込めている。老人は淡々と畑仕事をする。
子供たちは川面で魚とりに歓声をあげる。女たちは路地で井戸端会議。
若者たちは、酒場でウダをあげながらも、祭りの準備に余念がない。
変わらない風景はない。ダムに沈めば、村の光景も一変するだろう。
研一が最初に「撮らせていただいた」大家族のおじいちゃんは、物語では、お葬式の場面となった。
村の人たちも、キャストもスタッフも、そして僕たち観客も、年を経て、変わってゆく。
村の写真館
研一は病に冒されており、この「村の写真集」が最後の仕事であり、村への恩返しだ。
寡黙な研一は、カメラマン志望ではあるが、東京ではさえないフリーターの孝に、一軒ずつ山道を歩いて登り、撮影し終わり「ありがとうございました」と深くお辞儀する自分の姿をみせる。
「能率が悪い」と小賢しく反発する孝を殴りつける。
孝は徐々に、父の魂にふれ、親子の和解が成立していく。
ちゃんと、見ること。
足を使って、感じること。
相手と時間をかけて触れ合うこと。
変わりゆくものは、押しとどめることはできない。
だけど、その過程をしっかりと見続けることの重要性を、この映画はあるいはフィルムコミッションの活動は、僕たちに示唆している。
まだまだ邦画もこんな素晴らしい映画を撮れるんだと感じた作品です。藤竜也さんは勝手ながら僕の2005年の主演男優賞にあげました! 作品も上位にランクしました^^
最近徳島では、「バルトの楽園」が撮影されました♪
今回は徳島で本当にあった話を映画化したので、徳島で撮影されたのは当たり前のことかもしれませんが、やはり嬉しかったです☆☆
もし機会があれば、公開されたとき、ご覧になってみてください^^
あたしも見たら感想載せたいと思います!
「海猿」「男たちの大和」ですか・・・
これからもよろしくお願いします
はい、徳島は活発ですね。楽しみにしましょう。
>gajumaruさん
ああ、その2作は、広島ですね。やはり「海」ですね。
当地、山形も色々な映画の舞台になっていますが、まだまだよさが活かしきれてないような。四国や、長野でのいい仕事を見ていると、歯がゆいです。
三原監督の公開講座に参加し、この映画を撮るまで、どれだけ大変だったかという話は聞いたのですが、ロケ地側の視点での話は、知らなかったので。
この映画、確か台湾で賞を取りましたよね。日本じゃなくて、他の国で、というのが、また微妙ですが、これからもこういう映画が出てくるといいなと思います。
静かな作品ですが心がホントに和みました(*^-^*)
山形ですか。頑張って欲しいですね。
>hi-chanさん
台湾で!、とっても微妙。
>cherry@Cinemamaidさん
なんか、勇気づけられる作品でした。
田舎がなくて嘆いてた今までの人生でしたが、
都会の中の小さな自然をこれからも発見しながら生きていこうと思えるようになりました
(≧∀≦*)