サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

円谷幸吉忌日

2006年01月09日 | インドア歳時記
1月9日は「円谷幸吉忌日」。1968年、27歳のことである。

円谷幸吉は1964年東京オリンピックでマラソン銅メダル。「円谷がんばれ、円谷がんばれ」のアナウンサーの声をよく覚えている。競技場には2位で入ってきた。「男はけして後ろを振り返るようなことをするな!」という父の言いつけに従い、円谷は後ろにせまりくるランナーを振り返らなかった。そして、ゴール直前、抜かれて、銀が銅になった。

僕が、いままで目にした「遺書」のなかで、もっとも哀切なのは、円谷幸吉のそれだった。身内に向けて恨み言をいうでもなし、ただただ、食べ物の名前を列挙し、「美味しゅうございました」と。干し柿、餅、おすし、ブドウ酒、リンゴ、しそめし、南ばん漬け、ブドウ液、養命酒、モンゴいか。

つきあっていた女性と結婚の約束をしていたが、次のメキシコオリンピックまで「上司命令」で結婚禁止。女性は、いままでのプレゼントの品一式をダンボールに詰め、円谷宅の玄関先に置き、去ったという。

数年前、所要で福島県須賀川市を訪れた際、円谷の生家である「記念館」を訪ねた。「もう、走れない」。彼の言葉に、涙が、止まらなかった。

円谷幸吉遺書

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