サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

光太郎忌

2006年04月02日 | インドア歳時記
4月2日は「光太郎忌」。詩人・歌人・彫刻家の高村光太郎の1956(昭和31)年の忌日。アトリエの庭に咲く連翹の花を大変愛していたことから連翹忌とも呼ばれる。

光太郎といえば、もっとも影響を受けたのがロダンである。
21歳で、はじめてロダンの彫刻作品を写真でみて、衝撃を受け、翌年にはこれも雑誌で「考える人」と出会っている。

そして、大正5年34歳のとき、ついに訳編「ロダンの言葉」を刊行。以後大正9年「続ロダンの言葉」昭和2年評伝「ロダン」を刊行する。

先日、僕は上野の国立西洋美術館で、ちょうど「ロダンとカリエール」展をみたところであった。19世紀の末から20世紀の初頭の時代精神にあって、ロダンらは、印象主義から象徴主義へと大きく時代を先導した。彫刻作品を見ると、とくにその意図がわかる。

光太郎が外遊し、どういう想いで、ロダンの作品に触れることになったか。そのことを想像しながら、会場を歩いたものだ。

だが、本当に言えば、
いっさいが思想です。
いっさいが象徴です


『ロダンの言葉抄』 高村光太郎訳






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